見出し画像

#698 言葉に縛られ過ぎないようにする

 僕は東京都で小学校の教員をしています。2023年1月からnoteの更新をこつこつと続けています。2024年の目標は「noteの毎日更新」「30,000PV」「3,000スキ」です。そのために毎日継続してnoteを書いていきます。noteは日々感じていることや考えたこと、教育だけに限らず習慣化やお金についても書いています。もし、読んでいただき、共感いただけるなどしましたら「スキ」をポチッと押してください。毎日更新の励みになります。

 今読み進めている本の中に「要約語」という言葉が出てきました。例えばその人を表す言葉として使われる「優しい」「人見知り」などの言葉は要約語です。これらの言葉はその人の性格などを表す際にとても便利です。「あの人は優しい人だよ。」と表現すれば、その人がどのような人なのかをイメージしやすくなります。しかし、要約語にはデメリットもあります。「優しい」という要約語は受け取る側に多様な受け取りをさせてしまうのです。

 「Aさんはとても優しい人です。」とBさんとCさんはAさんについての紹介を受けました。Bさんが頼んだ仕事をAさんは快く引き受けて取り組みました。Bさんは「Aさんはやっぱり優しい人だ。」という印象をもちました。一方、Cさんが依頼した仕事をAさんは断りました。Cさんは「Aさんは優しい人と聞いていたのに。」とAさんについて悪い印象をもちました。
 
 「優しい」という言葉は多様な意味をもちます。AさんはCさん自身の成長の妨げをしてしまうと考えて、あえて仕事を断ったのかもしれません。それはAさんのCさんに対しての優しさです。Cさんが「優しい」から受け取る印象とAさんの「優しい」は具体にすると一致しませんが、要約語で表すと一致します。

 この話からの僕の学びは「要約語で自分を捉えすぎない」です。僕は自分のことを「人見知り」だと思っています。でも「人見知り」という言葉も広い意味をもちます。自分のことで考えると、セミナーなど初対面の人と話をするのは苦手ではありません。でも、共通することがない人と初対面で話をすることは苦手です。つまりそのときの状況や場面によって人見知りをしてしまうかどうかは変わるのです。でも「人見知り」という言葉で自分を捉えてしまうと、自分は「人見知り」だからという思考で行動をしてしまいます。言葉に捉われ過ぎずに思考、行動していきたいです。

いいなと思ったら応援しよう!