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闘病珍道中〜結核って私が?〜③
最後の検査である、気管支鏡検査とは。簡単に説明すると、内視鏡を気管支まで入れて、肺の中に水を噴霧して、その後水を回収してくる…その水は培養器にかけられ、結核菌の種類を同定するために用いられます。
これ、一泊2日の入院でやってきました。鎮静剤で半分寝ている状態で行いましたが、溺れたような感覚だったのを覚えています。検査後の合併症があるため、大事を取っての入院だったのですが…。
思ったより早く麻酔
闘病珍道中〜結核って私が?〜②
3年前の職場での健康診断でのこと。突然保健医から呼び出されて
「肺に浸潤影があるから、すぐ病院に行って!」
と。一応レントゲン写真を確認したら…右肺に墨汁をちょこっとぶちまけたときのような形のシミが…1ミリくらい?これが影??
まぁ、早く行けと言われたので、とりあえず町医者に相談することに。
結果、レントゲンでは判断がつかないとのことで、後日CTスキャンを行うことに。
まぁ、大したこたぁ
闘病珍道中〜結核って私が?①〜
結核………かつては、俳人の正岡子規、音楽家の滝廉太郎が命を落とした病。戦前における日本人の死亡原因の上位にいた。現代でも、タレントのJOYさんなどが罹患したと明かしている。
戦前まで「不治の病」とされてきた結核。ストレプトマイシンなどの抗生物質の普及により、その罹患率、致死率も大幅に下がったが………。
2017年の厚労省のデータで、現在日本全国で結核に罹患している患者の割合は20%前後(東京都
じぃちゃんのおもひで④
祖父は学がなかった。貧しく、大家族の長男でもあったため、進学は諦めて若くして職業軍人となった。
戦後、帰還してなんとか職にありついたものの、学がなかった祖父はよほど苦労したのだろう。自分の息子、娘や孫たちには十分な教育を受けさせようと、小金を貯め、厳しく促した。
…厳し過ぎたな、今にして思えば。
厳し過ぎて、叔父や従兄弟たちは相次いで脱落…私と妹だけは、祖父の切なる願い「大学を出ること」を叶
虐待だったかもしれない。
眠れない夜に、ふと思い出すのは、幼いときの記憶。
私は、ぼーっとした子どもだった。ビビりだし、不器用だし、飽きっぽくワガママだった。ちょっとした怪我でも、針小棒大に騒ぎ立てたけれど、それは親の気を引きたかったわけではなく、当時の私の感覚では本当に痛かったのだ。
それをすべて「ワガママ」「根性なし」で片付けられてしまった幼少期。
今も鮮明に覚えているのは、幼稚園の夏休みの宿題の工作だ。世間体を
じぃちゃんのおもひで③
母方の祖父は、学は無い。しかし、やたらスペックが高かった。ちまちま小金を貯め続けてひと財産築く計画性と継続性、衛生兵時代に培った自己流の傷病治療、手習いを受けていないのに達筆、習っていないのに弾ける算盤、なぜかできる半田付け、自己流で磨いてのど自慢にまで出た八木節、その辺で拾った竿を直し、その辺に落ちていた鳥の羽で毛針を作っての渓流釣り、細い体のくせに強い喧嘩、いつからやっていたのか畑仕事、変電所
もっとみる旦那とのファーストデート
だいぶ間があいたことをまずお詫びしたい。
婚活シリーズを何回かに渡って書いてきたが、そろそろゴールが見える話をしようと思う。
今の夫とは、現在の職場で出会った。夫は5歳も歳が下である。彼は新卒採用、私は中途採用なので、歳は離れているが同期着任だった。
最初に言っておくと、私は枯れ専なので、正直、自分より年若い男には全く興味が無かった。
ただ、初めて出会ったときの、優しくさわやかな笑顔が印象
じぃちゃんのおもひで①
後から自分の文章を見ると、やたら堅く、理屈っぽいと気づく。本来、そんな堅い人間ではないので、今回は少しはっちゃけつつ、身内の恥を晒そう。
母方の祖父の話。私が12歳のときに他界した。
この祖父、偏屈で、酒癖が悪くて、口も悪くて…しかし、一族郎党皆頼っていた。なぜなら、この祖父、ハイスペック&レジェンドじじぃだったから。
書き出したらきりが無いので、ひとつ挙げるなら、『腹巻き』である。この腹巻