2020:瞬瞬必生
この本によれば……今日、1月8日。それは平成の始まった日であり、奇しくも劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzerのソフトの発売日である。これは記事としてまとめざるを得ない。祝え!いや……もはや言葉は不要。ただこの瞬間を味わうがいい!
王王 この記事には仮面ライダージオウ 本編及び劇場版のネタバレが含まれています。 王王
キングダム2068
普通の高校生、常磐ソウゴ。彼には魔王にして時の支配者・オーマジオウとなる運命が待っていた……
仮面ライダージオウとは、2018年9月から2019年8月まで放送された平成仮面ライダー第20作目であり最終作だ。王様になるのが夢である普通の高校生、常盤ソウゴを主人公に、歴代平成ライダーを闇鍋的に総括する作品となっている。
時の魔王、オーマジオウに支配された50年後の未来。それを変えるために2018年にやってきたレジスタンスの戦士、明光院ゲイツとツクヨミ。彼らは、歴史上でオーマジオウに成るとされている常盤ソウゴを倒すため・見極めるために接触する……というのが大まかなあらすじである。
良くも悪くも白倉的ライブ感に溢れた作品であり、まさに瞬瞬必生。しかしそれこそが仮面ライダージオウの醍醐味であると言える。そもそも作品の成り立ち自体がミラクルで、改元のタイミングと平成ライダーの記念作のタイミングが奇跡的に重なったことで生まれた作品なのだ。
オレたちのゴール2019
この作品の肝は個人的にはソウゴの成長と、ゲイツとの関係性の変化だと思っている。歴代レジェンドライダーの客演ももちろん重要な要素ではあるのだが、今回はこっちに絞ってまとめていきたい。
前項でも述べたようにゲイツはそもそも、ソウゴを倒すために2018年にやってきた。しかし彼と行動を共にする中で、次第にソウゴの人柄に惹かれ考えを改めるようになる。そして遂にはソウゴに未来を託す様にまでなるのだ。
この項のタイトルにもしている第28話 「オレたちのゴール2019」はジオウの中で私が1番好きなエピソードだ。
ジオウⅡへの進化を果たし、オーマの日が目前に迫る中、ソウゴはオーマジオウの力の片鱗を見せ始める。一度は魔王にならないと信じたソウゴの事をやはり倒すしか無いのでは?とゲイツとツクヨミは疑心暗鬼に陥っていた。
彼らはとうとうソウゴとの離別を決意し、クジゴジ堂から出て行ってしまう。しかしソウゴはどうするわけでもなくいつもの様に飄々とふるまう。それを見かねたおじさんこと常盤順一郎は初めてソウゴを叱責する。
「寂しい時ぐらい、大丈夫なんて言わないで寂しいって言いなさい!寂しい時に寂しいって言えない人間なんて、人の心が分からない王様になっちゃうぞ!」
順一郎の勇気を振り絞ったこの言葉が、ソウゴの運命を大きく変えたと言っても過言ではない。
そして迎えるオーマの日。白ウォズの知る歴史では、この決戦でゲイツリバイヴがオーマジオウを倒すとされていた。
ゲイツとの約束を果たすために決戦に赴くソウゴ。しかし彼はこの期に及んでゲイツの事を友達だと言い切る。ジオウを倒すしかないと決断したゲイツの心は揺らぐ。
「ゲイツは確信したんだよね。俺がオーマジオウになるって」
ソウゴの言葉に口籠るゲイツ。そんな中、アナザージオウの横槍が入る。彼はゲイツに対し
「こいつはお前にとっても敵じゃないのか。魔王になる男だぞ!」
と問いかける。そしてゲイツは
「ジオウが魔王になるだと?そんなわけがあるか!こいつは誰より優しく誰より頼りになる男だ!そして……俺の友達だ」
と言い切った。ここに来てとうとうソウゴへの本心を告げるのだ。この非常にエモーショナルなシーンは何度見ても涙腺が緩んでしまう。正直こうやって文章に起こしてるだけでもやばい。この場面だけはセリフを暗記できるほどに見返している。
アナザージオウとの決着の末、ついに始まろうとする2人の決戦。ソウゴはそこである提案をする。
「クジゴジ堂へ帰ってきてくれない?ゲイツやツクヨミのいないクジゴジ堂なんて寂しいんだよね。だから……帰ってきて欲しい」
帰れたら良いな、と素直に返すゲイツ。しかしもう後には引けない。戦うしか無いと2人がライドウォッチを握りしめた瞬間、灰色のオーロラと共にツクヨミが現る。彼女がソウゴとゲイツが戦う必要がない事を告げると2人は笑い合うのだった。
ソウゴとゲイツ。2人は全く違う様で、素直じゃないという意味では非常に似た者同士なのだ。そんな彼らが初めて互いの心境を吐露した事で、真の友人となれたのだ。そしてゲイツは1つの結論に辿り着く。
「奴は魔王になどならん。俺たちがさせない」
ずっとひとりぼっちだった孤独な魔王、常盤ソウゴ。彼はゲイツやツクヨミ、そしてウォズというかけがえのない友人を得たことにより、新たな未来を勝ち取ったのだった。
「お前たちの平成って醜く無いか?」
「仮面ライダージオウOver Quartzer」とは2019年8月に公開された仮面ライダージオウの劇場版であり、ジオウという作品における完結編である。
この作品の凄いところは、いわゆる春映画的なお祭り要素と本編の重大な要素を奇跡的なバランスで成立させている所だ。そしてこれでもかというぐらい「平成」という元号をメタ的にいじり倒した作品だ。本当にこのタイミングでないと生まれ得なかった作品であり、生まれたのも必然だったのかもしれない。
それぞれが独立した世界観である平成ライダー。そんな凸凹で醜い存在を綺麗に舗装しようとする組織、クォーツァー。彼らが「仮面ライダージオウ」という作品における全ての黒幕だった。常盤ソウゴも結局は真の魔王である常盤SOUGOの替え玉でしかなく、本当に何の能力も持たないごく普通の高校生だったという衝撃の事実が明かされる。
しかしソウゴは思い出す。生まれながらの王ではなくとも、世界を良くするために自分で王になることを望んだのだと。過去の意思は嘘なんかでは到底欺けないのだ。それを理解した時、ソウゴは初めてオーマジオウのライドウォッチを継承し、仮面ライダージオウ オーマフォームと成る。クォーツァーの一員だったウォズも彼らを裏切り、世界の外側の住人だった彼もまた「仮面ライダーウォズ」として平成ライダーの歴史に刻まれることを望んだのだった。
この後の展開は正直カオスとしか言いようがない。次々に溢れ出してくる「平成」。テレビシリーズ20作品はもちろん、Vシネやら舞台やら漫画やら。こんなにも芳醇なコンテンツである平成ライダーを1つに纏めることなど到底不可能。
毎年新番組の発表が行われるたびに呟かれる「こんなの仮面ライダーじゃない」という議論。しかし平成ライダーにカテゴライズされた以上彼らは仮面ライダー以外の何物でもない。誰かにそれを否定される謂れはないのだ。瞬間瞬間を必死に生きた平成ライダーはバラバラで当たり前。みんな違ってみんな良いのだ。これを逆手に取ったある種の開き直りとも言える展開。脱帽というほか無い。
総括
と、まぁ正直に言えばここまでの文章はアルコール度数9%のチューハイとOver Quartzerをキメながら勢いで書いた文章だ。これもまた瞬瞬必生。しばらくはこの4文字を自分のスローガンとしていきたいと思う。
話は変わるがここで私の仮説を書いておきたい。ジオウには本編で明かされなかったいくつもの疑問がある。その1つに「ウォズはなぜゲイツたちレジスタンスを裏切り、オーマジオウの臣下となったのか」というのがある。
これについて私はオーマジオウが紛れもなく常盤ソウゴだったからだと思っている。ゲイツがそうであった様にウォズもまたソウゴの人柄に惹かれたのだと私は確信している。
「だが、私は嫌いじゃ無かったよ。君を我が魔王と呼ぶことが」
現在放送中の仮面ライダーゼロワンからは便宜的に「令和ライダー」となる。今後もシリーズが継続していくのだとは思うが、平成ライダーと同様に毎年議論が起こるほどの個性的な作品を未来永劫魅せていって欲しい。そしていつの日か、成長したソウゴの圧倒的魔王ムーヴをまた見れる日を楽しみにしたい。
「未来は誰にもわからない。瞬間瞬間を必死に生きて行くしか無いんだ」