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読切小説/ダムの話_20210618

僕はダムが好きです。

ダムが好きだということは明白なので朝飯前に回答できますが、ではどんなダムが好きかと訊かれたら、これはなかなか複雑で、腰を据えて話をしなくてはなりません。

まず、大きな括りでロックフィルダムというものがあります。その名の通り石を積み上げた様式のダムです。姿は野暮ったいんだけれど、その分なかなか安定感のあるダムで、麓に暮らせと言われてもそんなに嫌じゃない。まあ、出来ればダムの麓には暮らしたくはないけれど、どうしてもの時にはロックフィルダムならいいかなと思います。あとはずっと見ていられる。だから僕はロックフィルダムのことが好きだと思います。夫婦になれそうだという感じがします。


対極なところに、コンクリートダムというものがあります。僕はコンクリートダムの事が好きかと訊かれたら正直分からない。ロックフィルダムのように、気楽に好きとは答えられない感じがします。麓には住みたくないし、夫婦にもなれる気がしない。でも気がついたら、Wikipediaで詳しく調べたり、世界中のコンクリートダム写真を漁ったり、足を伸ばして実物を見に行ったり、何故かコンクリートダムが気にかかっています。でもやはり長い時間触れていると、なんだかとても不安になって苦しくなって、幸せが遠くへ行ってしまったような気持ちになります。

コンクリートダムの様式はいくつか分かれるのですが、大雑把に言ってしまえば人間が科学的計算に基づいてコンクリートで造ったダムといったところでしょうか。もちろんロックフィルダムも科学的計算に基づいますが、コンクリートダムはもっと挑戦的で逆算的です。

このコンクリートダムは容姿も特異で、ダムは大体が山の中や傍にあることが多いですが、美しい木々や水面だなあと思っていると、その自然の中に突然巨大なコンクリート建造物として現れます。圧倒的な自然の力に包囲された場所にもかかわらず、超人工物の超巨大コンクリート建造物が、緑に囲まれながらひとり鎮座しているのです。それは、自然を切り抜き、堰き止めるという偉業を成し続けながら、異彩を放って建っています。

絶対的な自信と強靭な意思がみなぎる姿にはどこか傲慢さすら漂い、その美しさは、ひれ伏したくなるような魔力を孕んでいます。そのため、コンクリートダムを見た人間は、大小の差こそあれ皆必ずコンクリートダムに心を奪われるのです。

しかしその裏で、どこか不安気な、なんとも言えない憂いのようなものが隠しきれず存在していることにも気がつきます。そう、コンクリートダムはどこか不安定なのです。これは設計上の話しというよりも、概念的な話しです。コンクリートダムが自信たっぷりにたたずむほどに、本当に大丈夫なのか、と僕はらはらさせられるのです。僕は一度、出来たばかりのコンクリートダムを見に行った事があります。最新の技術をもって造られ、真新しい白いコンクリートに包まれた美しいコンクリートダムを見た時、僕の中に最初に浮かんだ感情は、これはいつまで保つのか、というものでした。

コンクリートダムは生まれた瞬間から美しく強靭で、生まれた瞬間から不安定で破滅的なのです。僕自身もコンクリートダムに対して、永遠の美を望んでいるのか、刹那的な破滅を望んでいるのか、分かりません。

長い時間なんかとても見ていられません。でも何度も見てしまい、また訪れたくなり、忘れられないのです。僕はコンクリートダムを好きなのか分かりませんが、僕にとってコンクリートダムとはそういう存在です。



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