見出し画像

綺麗事、食事

 イオマンテ。それは、キツネやクマをカムイ(神)として敬い、その魂を神々の世界へと送り返す儀式。アイヌ文化の一つだ。

 私は北海道出身でありながら、アイヌについてよく分かっていない。そのことが心のどこかで引っかかっていた時、『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』という映画に出会った。キツネのイオマンテに密着したドキュメンタリーだった。

 本当に軽い気持ちで観に行った。アイヌ文化を知れるのなら、是非観ようと。


 映画の舞台は1986年の北海道、美幌峠。

 上映が開始されて間もなく、スクリーンに一匹のキツネが映る。日川善次郎エカシの家で飼っている、可愛いキツネ。名前は「ツネ吉」といい、日川夫妻は我が子のように可愛がっていた。

 そんな日川エカシによってその年、実に75年ぶりのイオマンテが行われることになったのだった。

 イオマンテについて事前に調べもせずに行ったけれど、すぐに分かった。ツネ吉はその祭祀で、殺められるのだということを。

 同年5月31日。イオマンテ前日。前夜祭が行われる。祭主の日川エカシが、「明日、育てたキツネを神々の国にお返しします」「無事に儀礼が行われるように見守っていてください」といった内容の祈りを捧げる。人々が歌や踊りを楽しむ。木の檻に入れられたツネ吉の周りでも、歌ったり舞ったり。ツネ吉を楽しませようというものらしい。でも私には、ツネ吉が震えているようにしか見えなかった。

 6月1日。イオマンテ当日。祭主が祈りを捧げる儀式が執り行われた後、ツネ吉は檻から出された。きょろきょろと落ち着かない様子。そんな彼の背中や尻を、タクサと呼ばれる道具で軽く男性たちが叩く。ツネ吉を遊ばせているのだという。そして次に、花矢と呼ばれる矢をツネ吉めがけて射ってゆく。

 弱って動けなくなったツネ吉は、締め木によってついに絶命した。2本の太い木で、強く首を挟むものだった。

 その後、ツネ吉の毛皮が包丁で剥ぎ取られていく。神々の国への土産物を備え、動物の魂を送り返す代わりに、人間たちはその動物の肉や毛皮をいただくのだ。

 肉が剝き出しになったツネ吉の顔が、アップで映し出される。死んだツネ吉が、私の目を強く見つめてきたようだった。心の奥深くまで刺さる鋭さだった。

 イオマンテが行われる前。撮影スタッフの「自分の飼っているキツネをイオマンテに出すというのはどういった気持なのか」という質問に、日川エカシはこう言っていた。

「我が子が亡くなるというのは、悲しいことでしょう」

 イオマンテという祭祀は、とても晴れやかだった。私はそう感じた。動物を殺める儀式は終始、実に晴れやかだった。


 昨年食肉用に処理された鶏は、7億羽を超える。日本では鶏のほか、牛や豚、私の地元北海道では羊や鹿も食べられている。日本の食文化の代表が寿司であるように、魚も多く消費されている。

 イオマンテは正直、あまりにも残酷だった。ツネ吉が花矢で射られている瞬間は、どうしようもなく涙が止まらなかった。

 でも、私たちだって、生き物の死の上で常に生きている。ただ、その死を直接に見ていないだけのことだ。

 別に家で牛を飼っていなくたって、自らの手で牛を殺めなくたって、スーパーに行けば私は牛肉を食べられる。

 真っ白のトレーに入れられた真っ赤なお肉を見て、祈りを捧げながら手に取る人はきっといない。でも、確かにその真っ赤なものは、生きていたし殺された。だからスーパーに並んでいる。

 本当に残酷なのは、私の方なのだろう。

 自分の生が、生き物の死の上に成り立っていることを忘れていながら、イオマンテを見て残酷だと泣く私。

 毛皮の無くなったツネ吉の、あの強烈なまなざしが、再び私に迫ってくる。

 自分の生が、何かの死でもあるということ。

 それは現代を生きる私が、向き合うのを忘れていたことだ。

 そして遥か昔のアイヌの人々が、イオマンテを通じて向き合ってきたことなのだ。


 『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』。

 私たちが見なくて、どうする。



【参考文献】
・農林水産省大臣官房統計部.“畜産物流通調査 令和3年食鳥流通統計調査結果”.農林水産省統計.令和4年5月31日公表

・財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構.“イオマンテ 熊の霊送り【儀礼編】”.アイヌ生活文化再現マニュアル.2005年3月発行

・相賀徹夫.“イヨマンテー上川地方の熊送りの記録ー”.小学館.1985年

・萓野茂.“五つの心臓を持った神ーアイヌの神作りと送りー”.小峰書店.2003年


【追伸】
見出し画は、
意識高めに映画を観ながらメモったものの、
解読不能だったメモ書き
手元暗すぎて終わってた
普段はもっと綺麗に字書けますので!!

いいなと思ったら応援しよう!