私は人より大変なのか
気づけばnoteを3か月近く放置してしまった。私もノートパソコンはすっかり、次男と夫がマイクラをやるときの専用パソコンになってしまい、使いたい時に使えなくなった。
まぁそれはいいとして、私は、夫はがん治療中でまだ治ってないし、転移して悪化する可能性もある、長男は起立性調節障害で通信制高校高1になって、朝は起きられない時も多いし、頭痛もあるし、いったい何時に起きてくるのか分からない毎日で、次男は自閉症スペクトラムで支援級に通う小2で、毎日小学校に送迎し、放課後デイに週2で通い、体操教室と美術教室も、全部送迎し、家では癇癪を起こし、怒ると自分の頭を叩いたり泣きさけんだりする、そんな毎日を送っている。
そして私自身は、この私にとっては過大なる負担とストレスで、次男と一緒に心療内科に通い、抗うつ剤と睡眠薬、血圧を下げる薬を飲み、貧血だから鉄剤も飲みんでいるし、なぞの耳鳴りももう1年くらい毎日お付き合いしている。
周りにはあまり家庭の内情を話すことはないので、私とお仕事でつき合っている人は、普通の幸せな家庭だと思っていることだろう。
そして、ふと、思うのだ。
私は他の人より大変な日々を送っているのか?と。
私が周りから見て分からないように、他の人のことだって私からはわからない。時折、偶然にも「義母の介護で大変だった」「息子が自閉症で」とぽろりと聞くこともある。そのたびに「え!そんな風にはみえないくらい明るい方」という印象を受ける。
人はみな、なにかしら抱えているのだろうな、と推測はする。幸いにも私の母はまだ健康だし、徒歩10分のところに住んでいて、いろいろお世話になっていて、介護はまだ不要だ。
介護で大変な人からみたら、私はまだ大変という域ではないのかなとも思う。
でも、私は辛い。毎日、大変だなーと思いながら、やっと1日終わったなって布団に入るときに感じる。
でもまだまだもっと大変な人はいるんだろうな、とも思う。
でも、それでも、私は疲れた、辛いって言っていいと思っている。夫には全然伝わらないけども。
誰かと比較して「大変」「辛い」「あの人の方がもっと大変なんだから、あなたは頑張れる」なんていうのは、だれにも言う権利はない。各々の心身のスペック、家庭環境だって、仕事だって人間関係だって、同じものは1つもないのだから。
比較的若い(40代)で癌患者の家族の立場に置かれたこと、自閉症スペクトラムでいわゆる発達障害という範疇の子供の親になったこと、で本当に多くのことを知った。それまでの人生では経験したことのない苦しみ、大変さだった。
知ったこと、経験したことで、人生は深くなったかもしれないけど、それはやっぱり大変なことで、できれば知らずに生きていければよかったのになーとも思う。
人生後戻りはできないから、私はこのまま生きていくんだけども、それでもやっぱり子供は発達障害でなければよかったな、夫は健康のままがよかったな、長男も健康であればよかったなって思う。
長文で、自分が大変だ、大変だ、と綴ってきて、なにが言いたいのかと言えば、まぁそれだけです。
なかなか周囲の人に「大変なのよー!」って叫べないので。そしてもし状況を知っている人に「大変ね」って言われたら、それはそれでなんだか違和感があるので。
本当に私はどこまでもひねくれているな、と感じた今日のnote。支離滅裂だけど、私の思ったことを書いておくのは勝手だよね。