愛情だって自分勝手に図々しく。
起業家さんは愛情深い。
育休に入って、起業家の知り合いが増えました。
起業家さんの話を聞くたびに【親切心】というより【愛情】深い人が多いなぁと思わずにはいられません。
私はというと、家族にもパートナーにも友人にも『へーそーなんだ。』『いいねー。』『ほー。』としか思えません。
『これいいよ!』『これオススメ!』というような相手の事を思った気持ちや【熱意】というようなものは全く沸かず。
起業家さんは皆、身内にとどまらず赤の他人にまで熱くなれるなんて、【愛情】と言わずして、なんというのでしょう。
私ったら、スーパードライ。
私だって愛情深い?
長らく自分を薄情者だと思っていましたが、私にも私なりの【愛情】がある事に最近気がつきました。
きっかけは年賀状に関するインスタの投稿でした。
会わない間に起業家になっていた友人が、好きな人とだけの繋がりにしたら、年賀状が減ったという旨の投稿を。
我が家には年賀状来てませんけど!?
私は年賀状出しましたけど!?!?
おいっ!!選抜漏れかいっ!!
となったわけです。
でも不思議と『もーええわ。こんなやつ』とはならず、『んまいっか。私が送りたければ。』となりました。
年賀状といえば、中学時代の親友にも生死の別が分かるように毎年送り続けていします。
中学時代の友達とは、ほとんど連絡をとっていない彼女。彼女が私の事をどう思っているかは知りませんが、私は親友…いえ、心の友と思っているので、相手が迷惑だろうとなんだろうと送り続けます。
この時代に住所だけが、唯一の連絡先なんですから!
ちなみに、毎年ちゃんと彼女からも送ってくれています。(2023年1月現在。)
結局のところ、相手がどう思っていようと、私が『大切』と思えばそれでいいわけです。
相手が同じカタチで愛を表現してくれるとは限りませんし。相手が『お断り』と思えば、それなりの反応になるはず。
私ったら、めちゃくちゃ【愛情】深いじゃないですか!
勝手に【愛情】とは、『相手の事を想って、相手のために何かしてあげること』と想っていました。
でも単に『相手の事を想う』ただそれだけでも、充分、愛なんじゃないかと。『してあげよう』なんて思えるほどのモノは、私には何もありませんし。
愛情だって自分勝手に図々しく。
思春期には、愛情も友情も『相手はどう思ってるか分からない』という、生真面目さに似た臆病さと、なんとも言えない気恥ずかしさを持っていましたが、30も過ぎれば図々しくなり『相手なんてどうでもいい』となりました。
もしかしたら、生きるほどに大切な人が増えて一途じゃなくなったのかも知れません。
不思議なことに、執着が薄れ濃度が濃くなっているようです。
流れる月日と日常が嫌な思い出を忘却の彼方へ。
美しくて懐かしい思い出が、都合のいい距離感を保ってくれているのかもしれません。
そんな私でもやはり、一方通行と感じると寂しくなりますが。それはそれで、甘酸っぱいじゃないですか。