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展覧会:感想「ムンク展―共鳴する魂の叫び」

たぶん、生まれて初めて、「誰でも知っている名画」を観た。

小さいころ、絵を習っていた。

幼稚園の頃から、小学校の半ばくらいまで…通っていた幼稚園の先生の旦那さんがプロの絵描きで、その人が、園児が帰った後の時間を利用して、幼稚園で週一回、子供に絵画を教えていた。
「アルプスの少女ハイジ」のおじいさんのような人だった。

そのハイジのおじいさん先生は、日展に入選することがたまにあって、そのたびにチケットをもらって観に行っていた。そんな背景や、当時の家が上野から比較的近かったこともあって、同年齢の子供たちにくらべたら、多く美術館や博物館に行っていたと思う。

その後、転校した時に東京から離れたので、特に、美術館というものには行かなくなっていたなあ…と、ふと振り返る。

以前、日展は、東京都美術館でやっていたこともあり、美術館にも、東京都美術館にも久々に行ったので、すこし感慨深くなったのかもしれない。

閑話休題。

今回、人から声を掛けられて、自分としては能動的ではなく受動的に観に行くことになった。
当然、「ムンクの叫び」は知っている。そりゃ、作品名が「ムンクの叫び」だと思っていた過去もありますが、ムンクさんの「叫び」といえばアレ、というのは知っている。

昔、絵を習っていた割には、その先生も、私も、感性のみで絵を描くタイプであったせいもあってか、絵画の勉強といっても、机で、小難しい美術論とか、絵画に対しての芸術論なんかを見たり聞いたり習ったりは全くなく、ただ、お題だけ与えられてひたすら描く、という授業だった。
それが好きだった。

よって、芸術に関しては『考えるな、感じろ。』タイプの自分は、こまごまと評論をつけるつもりもないし、他人の評論を聞くつもりもない。
この文章は、そういう感想文である。

全体を通して感じたことは、思ったより「自画像」が多い人だなあということと(笑)、若いころから常に「死」を身近に感じ、死の触感や気配を常に感じ続け、それを描き続けたんだなあ、…ということだった。

展示のパートや流れ、作品への考察や解説は、素人知識の私にもわかりやすくまとめられており、とても観やすかった。

個人的には、絵自体が持っている迫力というか、オーラをまともに感じると、いわゆる「貰いゲ○」のようにアテられてしまう恐怖に近い思いをもった絵もあった。

「叫び」の印象が強いせいか、主線や表現が抽象的なものが多いのかと勝手に思っていたが、そんなことはなく、写実的に描かれたもの、そこから発展して表現が抽象化していくもの…特に「接吻」の一連の作品の流れは、すごく伝わってくるものがあって、個人的には好きである。

最初は窓辺で「接吻」している絵なのが、二人の境界がどんどん薄れて交わっていく表現が、個として求めるだけだったのが、相手と交わる歓びや相手への想いが高まり魂が交わってく感じ、でもそれは決して清いだけの話ではなくて、人と人の間に起こることというエロティックな感じもあって…とりあえず、この感覚って、たぶん大人にならんとわからんだろうとすごく思った。

体験だけではなくて、気持ち的な成長とか、いろいろな経験とか、そういったものへの理解や想像力…そんなのを踏まえて感じている気がした。10歳若かったらその感覚はまだなかったと思う。

小中学生の校外学習くらいで気軽に観てはいけない気がする。
あと、あまり親と行くものでもない気がする。そんな感想を言い合える親子関係ならともかく(笑)。

常に死の気配を背後に感じながら、そこから感じ取るのは「生」であり、そこには必ず逃れられない「性」があり、それを見据えて表現し続けたのだなーと私なりには感じ取った。

ここで1つ困ったことがあり…「叫び」以外の絵は初めて見た物がほぼほぼだったこともあって印象的なのかもしれないが…せっかく見たはずの「叫び」の印象がイマイチ、薄い。

おそらく誰もが主役だと思っている…「叫び」。
「叫び」のあるパートは、大体、全体の1/3を過ぎたあたりに登場する。

館の中を、地階→1階→2階と移動しながらフロアを回り、1つの回で3パート程にまとめられているのだが、「叫び」は、1階の最初のパートの最初に位置付けられている。

美術工芸品の保護の観点から部屋の照明が落とされていることはよくあり、ムンク展自体、他の展覧会よりおそらく照明が暗いのだが、「叫び」の部屋は、さらに倍くらい暗い。

さすがに「叫び」は、他の作品より丁寧な解説と、周辺の作品との関係性なども詳しく書かれている…のだが、肝心の作品を観る際…ここだけは列形成が行われており、立ち止まって見ることが許されない。

大規模な展示やイベントではよくあることだし、「叫び」クラスの超メジャー作品では仕方ないかと思いつつ…私個人的に残念だなあと思ったのは、3~4人の係員が列整理の声を常に、美術館としては到底大きすぎる声を出し続けており、なおかつ止まれないという状況で、気にすることが多すぎて、まったく絵に集中できないのである。それともそんなのは私だけなのだろうか…?

係員の案内の声、誘導、前に進むこと、そして暗い…結果、絵の記憶が薄くなってしまっている…。それが残念でならない。

それの解決には…なんて話をしてしまいがちなのはおそらく職業病なのだが、今回の主題とそれてしまうので、これくらいにする(笑)。

とにもかくにも。
「叫び」だけ見ると、どうも、現代社会においては、ちょっとシュールなキャラクターへ昇華されたユーモラスなものに見えてしまいがちなのだが、他の作品からの流れ、背景などを一緒に見たり感じたりするとまた、違う見方や感じ方が出来るなあと思ったのは非常に勉強になった。

そしてすべての展示が終わった後に、特別販売があり、コラボグッズなどが販売してるのだが…

作品集は置いといて。それは美術展の必須なので。

作品そのものをポストカードやクリアファイルにしたものも、まあいいとして。

やはりコラボ商品だと、さっき一瞬忘れたユーモラスが蘇ってくる!(笑)
いや、このシュールなギャップもまた、本物の作品を観たからこそ感じられる理解なので、むしろ歓迎でもあるのだが…(笑)。そして買ってしまうのだが(笑)。

なんだかんだ総じて、良い芸術の秋になったと、思う。

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