線の恋病 第9話

僕は麻里さんと別れ、町へと戻る細い地下通路を登る。通路の中は狭苦しい空間に対して、不均衡なくらいの渋滞が続いている。

スマホの画面に目を遣る。どうやら少しだけ遅刻しそうだ。

暫く待っていると、ぞろぞろと渋滞は上へ上へと進み出した。
一度進み出すと止まらない。まるで喉の奥に溜まる吐瀉物を吐き散らかすかの様に人々は溢れ出て行く。僕も紛れて町に出る。

町に出ると、店灯りの隙間から覗く赤や緑の装飾がひっそりと目に映った。何故かそんな装飾達には数日前に感じた様な輝きは感じられはしなかった。
町の蛍光灯は時代遅れな装飾達には目もくれず、目新しい初日の出のイラストにライトを当てていた。
僕は辺りを見渡す。それらしき女を探す為に。すると、野暮ったい服装をした女が花壇に座り、手に持つ黒の液晶で自分の表情を確認していた。
僕は女を見下ろしながら声を掛けた。

「理沙さんですか?」

僕の声かけに女はびくりと体を震わせる。

「えっは、はぃ」

女からは七面鳥の様な甲高い声が返ってきた。予想外なトーンの声に僕は思わず笑ってしまう。
どうやら、このちんちくりんがアプリで知り合った最後の女、理沙だそうだ。

初対面から笑う僕に対し、理沙の顔は真っ赤になり、一向に動く気配はしなかった。
気づけば僕はそんなポストみたいな理沙の肩を優しく小突いていた。

僕は改めて眼の前に座る理沙を見てみた。ボーダーニットにカーテンの様なスカート。薄い顔に不似合いな太眉毛は野暮ったい田舎者と自己紹介している様なものだ。先に出会っていた愛菜や麻里さんと比べると見劣りしてしまう。
しかし、そんな理沙だからこそ僕は今までにないくらい落ち着いた感情で接する事が出来る。固まる理沙に声をかける。

「お店もう予約してるから、そこまで歩こっか」

僕は返事も待たずにゆっくりと目的地の方へと歩き出す。理沙はまた七面鳥の様な声を出し、忠犬の様に僕の後ろをついてくる。右手に持つ花柄の折りたたみ傘が尻尾の様に揺れていた。

僕等は大衆的な飲み屋を素通りし、少し寂れた鴨川沿いの方へと歩いて行く。そのまま先斗町の細い石畳のアプローチを抜けると、ひっそりと佇む数寄屋造の屋根が見えた。
Googleに(河原町 ディナー)と打つと真っ先に目に飛び込んできた店だ。鴨川を一望出来る事が売りだとレビューには書いてあった。

竹林を潜り、黒い漆塗りの扉を開ける。
店に入ると、すぐさま割烹着を着たやけに若い店員が席へと案内してくれた。
席に着くなり店員が身分の確認を促してくる。理沙が学生証を卓に置いた後、僕もそっと免許証を横に置く。次いでカシスオレンジを頼む。理沙は僕を真似る様にして同じものを頼んでいた。 

店の卓にはすぐにドリンクと前菜がやってきた。理沙は出会いの失態を取り戻そうとする様にシーザーサラダを並々と盛ってくれる。皿の端からは酸味がかった汁が卓にぽたぽた落ちていた。
僕は野菜には手を付けず、理沙の話を聞き出していく。理沙は大学生であり、美術を専攻している様だ。そんな僕に理沙は焦る様に話を振ってくる。

「鉄平さんって会社経営してるんですか?」


(またか)

僕がプロフィールに書いた事なのだから仕方の無い事ではある。しかし、僕自身の事は誰も見てはくれない。

「小さな会社だよ。でも、これからもっともっと大きくしていくつもり」

小慣れた僕の言葉。僕の嘘に目を丸くする女の顔にも代わり映えはもう感じない。

「どんな会社経営してるんですか?」

興奮する理沙。メインディッシュの分厚いステーキが卓に運ばれてきたが、気にも留めていない。

「簡単に言うと大学生をターゲットにした人材派遣の会社かな」

理沙は適当な僕の言葉にすごいすごいと驚く。その反応がいちいち面白く、ついつい舌を滑らせてしまう。

「僕が学生の頃に思ってた事なんだけどさ、企業に対して僕達が持つ発信の場って極端に少ないと思うんだ。名刺だとか10分くらいの面接だとか」

無言で頷く理沙。手元に置かれた真っさらのステーキが寂しそうにじゅうじゅう泣いている。

「そんなに短い時間や少ない情報で僕の何がわかるんだって。まだこのアプリのプロフィールの方がよっぽどましな内容じゃない?」

僕はスマホの中のピンクのアイコンを指差し、トントンと画面を叩く。

「だから名刺にQRコード貼り付けてみたんだ。そこに就活生の自己紹介を載せてね」 

手元で名刺くらいの大きさの四角を作る。


「こうする事で会社も暇な時に僕達就活生の事を見てくれたりしないかって。人事の人も仕事として血走った眼で見る時より、ふと仕事の合間にパラパラっと見る方が案外、いいねを押したくなる気がしたんだ。言うなら企業版のマッチングアプリかな」

得意げに話す僕。気づけば理沙の手は卓に置きっぱなしの学生証の上に重ねられていた。まるで自分が学生である事を恥じる様に。

「すごいなぁ鉄平さんは……」

尻窄みに消えてゆく理沙の声。川床から聞こえる川のせせらぎだけが空間を満たす。

「大学は楽しい?」

僕は話を理沙へと移す。

「全然。私、あんまり友達いないんです」  

理沙は恥ずかしそうに返事する。カサカサの唇を何故かずっと触りながら。

「なんか学生って皆んな子どもっぽく見えてあんまり話合わないし」

聞いてもいない言い訳を並べる理沙。私ってませすぎてるのかなと笑いながらステーキの肉にナイフを入れている。しかし、ぎしぎしと音を立てて千切れていく肉の様子には大人の魅力は感じられない。

「じゃー、どうやって大学過ごしてるの?」

少し意地悪な僕の質問。

「実はベンチでずっと座ってるんです」

理沙は何処にでもある様な答えをまるで記者会見でもしているかの様に告白する。そして、バツが悪そうに眉を曲げるのである。

「そこでぼーっとしながら学生を眺めていたりしてます。大学の講義が終わる度に色々な人が講堂から出てきてぐるぐる回っていて見てて飽きないんです」

居たなこういう人。寒い中、意味もなく座り続ける人。どう言う思考をしているのかいつも気になっていた。

「なんか洗濯機の中の景色ってこんな感じなんですかね」

理沙は少し笑って説明する。こんな風にベンチの人は楽しんでいるんだなと変に納得した。

「でも面白いんですよ。色々な人達がいて、キャンパス中で溢れかえっているんですけど、集まるタイプは何となくわかっちゃうんです。あ、あの人はこの人を待っているんだって」

エスパーみたいな事を言う理沙。太ももの端に寝転がる乾いた折りたたみ傘からは信憑性等感じられない。僕は視線で理由を促す。

「なんて言うか色ですかね?」

「色?」

「はい。変な例えですけど、学生達って絵の具みたいだなって思うんです。
赤の人、青の人、緑の人って。だから同じ色をしている人を見つけるだけなんです。服のブランドとか顔つきとかで」

美大生らしい理沙の着想。僕も最近、大学でおらついた集団とすれ違った事があった。何となく振り返りリュックを見た時、確かに全員が揃ってノースフェイスのリュックを背負っていた。
案外理に適った考えかもしれない。
話の続きが気になり、僕は疑問を理沙に投げかける。

「仮に学生が絵の具だとして、何で集まる人は他の色の人とは集まらないの?」

理沙は鼻から息を吹きながら僕に指摘する。

「そんな事したら違う色になっちゃうじゃないですか」

何か変な事を僕は言ったのだろうか。

「絵の具ってのは混ざれば混ざり合う程彩度は失われていくんですよ。だから、違うタイプの人と関わり合う程、違う価値観に汚され濁っていくんです。それが何となく皆んな怖いんじゃないですか」

薄化粧な頬をそっと理沙は弛ませる。素朴な表情は店の行燈に照らされ橙色に染まる。

「それは色々な価値観に触れて大人になっていく事だと思うんですけどね」

理沙は話し続けながらも、手元では肉を小分けにカットしていた。カット専用のナイフを使い僕を配慮する姿勢は大人な仕草であった。

今度は僕の唸る声が尻窄みに消えてゆく。
僕は話を振る事を辞めてしまった。あれ程、得意げに話していた僕の嘘が今になって何一つ面白味も無い物だと自覚してしまったからだ。
そんな僕を待っていたかの様にざあざあと音をたてて川のせせらぎが呼んでくる。
呼ばれた方へと目を遣ると等間隔の人影の隙間から絢爛な町並みが僕らの方を覗いていた。

「なんか綺麗ですけど下品ですよね」

主語すらない理沙の言葉。まるで僕の心を見透かすかの様な一言。

「どう言う意味?」

何となく想像出来る話の続きが僕は堪らなく気になってしまった。

「さっき大学生の事を絵の具に例えてみて、混ざり合う程に彩度が失われていくって言ったじゃないですか」

理沙は講義するかの様に僕に優しく説明する。

「でも、光っていうのは全くの逆なんですよね。光は混ざり合う程白くなって彩度を増していくんです。
そんな空の光が水面に完全に映った時って、水面には何も映らないんですよ。そんな景色が私は好きなんです」

どこかで聞いた事のある言葉。それはほんの少し前に勝手に僕自身で消してしまった僕の思い。それを堂々と言ってしまう理沙。なんだかそれが悔しくて僕は自然と口を開いていた。

「混ざり合う光彩の中にはきっとこの煩さも含まれているよ」

ださい言葉だな本当。
でも、きっとそうなんだ。純粋過ぎる空の光も人工的な町の灯りも等しく水面の中には映っている。
僕は自分の言葉を心の中で何度も反芻させてみる。そんな僕を理沙は恍惚とした表情で静かに見守る。
理沙の目線の先の僕は店の灯りにより、必要以上に照らさせれていた。

理沙の瞳には今の僕は何色に映っているのだろうか。

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