大人になった元半端な不良たちが率先してやる同窓会に行くか、行かないか ❷
(前回の続き)
私は中学ではいじめられていなかったが、小学校ではいじめられた経験がある。 リーダーはエリカちゃんというハーフの女の子だ。
私はエリカちゃんのお母さんが自宅でやっている英会話教室へ通っており、エリカちゃんもそのクラスに一緒に参加していた。その最中、何かされたことはなかったが、教室がない日も多分その4、5人で編成される英語グループで一緒に帰る日があり、その中で私へのいじりが始まった。
それは〝仲間いじり〟の範疇でギリギリのラインを突いてくるもので、私はとても嫌だったし傷ついてもいたが「やめて」とは言えず、そんなことがありながらも一緒に帰っていた。堪え切れず泣き出したこともあったが、「えっ泣いてる? ごめんごめん〜よしよし〜」とそこまでのつもりはなかったよということにされ、相変わらずその状況は変わらなかった。
しかしある日、そのギリギリだったラインを超え、私は帰り道の途中通学カバンを奪われた。 当時の私はそのように言いたいことも言えない小学生だったのだが、
(いじめっ子)何かを奪う、隠す ➡
⬅(いじめられっ子)「返してよ〜」と追いかける
という構造の上でしか、いじめっ子の快楽は成り立たないというのを理解していたのでその遊びには乗らず、「哀しきかくれんぼの鬼」になることも放棄して手ぶらで家に帰った。
家族にはカバンを取られたことは言わなかったと思う。
夜になり、グループの中で一番気の弱いタイプのミカちゃんが親と一緒にカバンを返しにやってきた。中を開けるとノートなどがカッターでズタズタに切り刻まれている。「バカ」とかも書いてあった気がする。
今になってみると、私がカバンを探しに来ないので想定していた遊びの醍醐味が宙に浮いてしまい、結果ターゲットの『持ち物を破壊する』というフィナーレを無理矢理作り出すしかなかったのかもしれない。その他メンバーの手前もある。
ああ今気が付いた。あれはきっとそういうことだったんだ。
何もないのにいきなりそこまで暴力的なことをするタイプではなかった。「何で探しに来ねぇんだよバカ」の「バカ」だったのかな。
次の日、私は担任の先生に中途半端にチクった。
エリカちゃんからは「何で言っちゃったの!?」みたいなことを言われ、私はまだ怖い気持ちがあったので「間違えて言っちゃった」というようなよくわからないやりとりがあったが、何故かそのことは学校でも大ごとにはならず何となく流れ去り、エリカちゃんから直接謝られた記憶もない。
ただ私はその一件で完全に冷静になり、他に友達がいなかったわけでもなかったので、普通に好きな友達と帰るようにした。エリカちゃんもその後私を執拗に追っていじめることもなかった。
最初から、ただ半歩その輪っかから足を出せばそれは簡単に解決することだった。あの頃私は、自分が去るというちょっとした能動を面倒くさがり、嫌な気持ちにさせられるという受動のほうを選んでいたのだ。 今でも、テレビの前に鎮座するペットボトルが視界を邪魔していても、「じゃまだな」と思いながらそのまま見続けることがある。
その出来事は私の中で心の傷というよりむしろその逆で、「自分なりによくできた」という肯定的な過去になっている。
「いやだ」とか「やめて」とか、一回も言えなかった。
何にも言えなかった。
でも私はあの時ちゃんと自分で考えて、まともに「居なくなる」という正解を導き出した。あの場所に大事なものなんてなかった。エリカちゃん以外の子のことだって別に好きでも嫌いでもなかった。
20歳くらいの時同窓会でエリカちゃんに再会したが特に何も思わなかった。少し会話を交えたかもしれない。ということは中学校では同じクラスだったのか。それ位、あの事件後は完全に別々の世界を生きていた。
私は結婚して子供を産んだ。
その「いじめられ話」を何かのきっかけで4歳の自分の子供にしたことがあったのだが、何故かその話を気に入り、「ねぇ〜、あのおはなししてよ〜」と日本昔話のようにしばらくの間エンタメとして楽しんでいた。確かに人のいじめられ話というのは、各々聞いたら面白いかもしれない。
子供は
「そういうときはねぇ、やめてっていうんだよ、そうすればなかよしになれるよ〜」
と子供らしい感想を言ってきたので、
「お母さん別に全員と仲良くならなくていいよ、本当に好きな友達がちょっといればいいんだよ」
と答えたが、
子供は『やめて』って言って、『全員と仲良くなる』という案を譲らなかった。お前はそう生きればいい。
話し終わって私は必ず、こんなふうな一連の想像体験をする。
(3へ続く)