アンデス音楽三昧、チャランギスタの宍戸さんから、スキが、きた!
嗚呼、うれぴーー、ボリビア在のチャランギスタの宍戸さんから、きよっちゃんの雑文にたいして、
スキのサインが、「NOTE]で、、。
いや、ここにも、載せた、これからの余生は、旅とアンデス音楽だーー、とゆう、駄文に、対して、なんですがね。
この宍戸さん、あーーーの、カルカスのチャランゴ奏者に日本人として、参加していた、いまは、どうか、知りません、
大阪のコンサートのときに、観客席で、見て、聞いた、ぐらい、なんですよー。
あ、いま、うじらぼ、たーだのWIFIのとこ、きよっちゃん暦64年、令和4年1月31日。
日本から、アンデス音楽関連で、ボリビアに遊学、移住したひと、ほとんど男性やけど、けっこう、いてはるが、あーの
グループカルカスのメンバーに、加入するのは、すごい、ことよー。ここで、アンデス音楽知らないヒトに、ちょっと解説すると、
89年ぐらいに、ランバダちゅう曲が、世界で、流行った、でしょう、あれも、元歌とゆうか、盗作された、曲は、カルカスの若くして、
死んだ、ウリセスエルモッサが、作曲したのよ。lloranndo sefue,ジョランドセフエ、泣きながら、にほんでは、あーのいんでもた、河島英五が、日本語訳しして、89年の英五とカルカスのジョイントコンサートで、歌っ、てなーー、なつかしや。ほんで、このウリセスとは、忘れられない、エピソードが、あって、年は、オレと同じくらいかなー
1985年、俺が、赤旗京都分室の記者1年生のとき、来日公演して、京都の当時のアバンティーで、コンサートしたとき、密着取材したのよ。
それは、その時のプロディーサー?の京都のアサクラさんとゆう、北区で、個人コンサートを、主催していた、アンデス音楽ファンが、いて、
あ、そこでは、チャランギスタのエルネストカブールの兄弟コンサートも、あった、な。そのとき、メヒコに遊学していた、同い年のユルギ君に通訳
してもらって、ウリセスに、アメリカに、ついてどう思う?と聞いたら、オクトパス、タコのように、足を、のばして、アメリカを、支配してる、とか、どうとか、ゆうてた、なー。
ま、その5年後に、フリーで、ニカラグアのサンデニスタの大統領選挙取材に、いくんやけど、橋の下に、おおくの水が、流れた、独裁を、倒した、
ダニエルオルテガが、ファミリーで、ニカラグアの独裁者に、なってる、とは、日本人は、ミャンマーほど、関心ないやろう、なー、
遠い、ラテンアメリカーー。
そやけど、きよっちゃん、アンデス音楽では、チリのヌエバカンシオンのほうが、スキとゆうか、詳しいとゆうか、ビクトル、ハラ、ビオレータパラ、インティイジマニ、キラパジュンとか。さらに、ボリビアでは、カルカスより、サビアンディーナのほうがスキ! あとは、以下次号。