見出し画像

私とプロレス

どうも。
前回の投稿からだいぶ経っての更新です。
スマホのメモに書くテーマをたくさんメモしているのですが、どれを書くべきか、、、と
悩んでいる間に次第に書く気分ではないぞと小説家でもないのに気分を優先してしまった自分を恥じております。
そう、恥じております。

そんなこんなで今回書くのはプロレス。
昔からプロレスが好きで、一番古い記憶はどこだ?と考えたのですが物心ついた時から兄の影響でプロレスが好きだったので、初めて観た試合がどの試合なのかすら覚えていない。
しかしながら、たぶん1番ショッキングでとても記憶に残っている試合は
1996年4月29日のグレート・ムタ VS 新崎“白使”人生の試合だと言える。
確か兄が当時夜中に放送されたワールドプロレスリングか何かを観ていて、
たまたま私も観たのか、録画したもの観たのかまではわからないが夜中に観たという記憶だけ何故かハッキリとしている。

当時5歳くらいだった私は、卒塔婆に「死」と書くムタに「何をやっているんだこの人は!!!」と思った。
もちろん、年齢的に死を理解してはいない。
ただ、人の額から出た血を指でちょんちょんとして
(おでんツンツン男を彷彿とさせるその姿)
文字を書くという行為に言い表せない感情が起こった。

そこから兄が読み終えた週刊プロレスを読むようになった。
それも、いま思えば漢字など読めないもんだから
写真をただ閲覧するに近かった。
未だに記憶の片隅に残っているのだが、グレートサスケが、聖火リレーで走っている写真が忘れられないのだがあれは実際にあった写真なのだろうか…。
とてもにこやかな表情で聖火を掲げていたのが印象的だ。
もしそれが実際に存在した写真ならば是非とも待ち受けにしたいものだ。

私も例に漏れず、学校ではプロレスごっこはしたが
それに飽き足らず、近所の駄菓子屋で買ったスパイダーマンの空気人形を相手に時間無制限一本勝負をよくやっていた。
今思い出しても何故そんなに長い時間スパイダーマンと戦えていたのか、
また、戦い続けなければいけなかったのかは謎だがとにかく戦った。
律儀に空気人形のスパイダーマンに負けることすらあった。
しかし、彼との別れは突然だった。
クラスの友達にスパイダーマンを紹介し、彼がいかにどんな技でも受け、そして素晴らしい経験を与えてくれるかをプレゼンしたところ
「是非自分も戦ってみたい。」と言ってきた。
もちろん私も二つ返事で快諾し、私は何の疑問もないままレフェリーを買って出た。
あれは私の目から見ても白熱した戦いだった。
家にあった踏み台をコーナーポストに見立ててダイビング技まで披露する始末。
彼は興奮が最高潮に達したのか、スパイダーマンの両足を両手で持ち逆さまの状態にしたうえで、コーナーポスト(踏み台)に登り出した。
実際のプロレスでそんな行動を見たことがない(ましてやできるわけがない)私は一瞬固まり「何をするんだ?」と思ったと同時に彼は叫んだ。
「ピラミッドドライバー!!!」
叫んだと同時に逆さまにされたスパイダーマンを頭から落とした刹那
スパイダーマンから「パンッ!」と音がした。
私は固まる。友人も固まる。
スパイダーマンはペラッペラ。
脇腹に裂けた穴があり再起不能。
突如として起きた戦友との別れに激しく動揺し友人に対して「そんな技はない!!」と責めた。
いや、実際にピラミッドドライバー自体はあるが両足を持ってマットに頭を突き刺す技ではない。そんな危険な技は近しいものではタイガードライバー91辺りか。

彼はただ「ごめん…」とだけつぶやき逃げるように帰った。
後日彼は父親に連れられ家に来て謝罪をしに来た。
いやいやそんな大ごとになったの?とあたふたしたが、どうやら同じスパイダーマンを購入して返しに来てくれたとのことだった。
なんて律儀な奴なんだと嬉しくなったのだが、その空気人形は何故か膨らました状態だった。
しかも、パンパンにではなくふにゃふにゃな状態。
だいたい60%くらいにだ。
子供ながらに何故膨らます必要があったのかと疑問に思いながらも感謝を伝え受け取ったが、
友人が途中まで膨らましたスパイダーマンを自分で口をつけて100%まで膨らます気にもなれずに、以降戦うことは無くなった。

果たしてこれが私とプロレスというテーマに沿った話だったのか…。
私にはわからないが、思い出したのだからしょうがない。
しかしスパイダーマンと戦っていた時、
私は間違いなくプロレスラーだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?