見出し画像

人と社会に貢献する

1月に45歳になった。

最近、すっごく思ったことがある。

私は、自分が苦手な自分の想いを
誰かに届けるプロになりたいと漠然と思っていた。

それはどんな形でもいい。
だから、環境はその時に、ふと思った
やりたい!
という環境を選んで、その中で
自分を磨いていくうちに上手になっていくんだろうなと
漠然と思っていた。

ただ、一つ思い違いをしていたのは、
社会に出るということは、
社会に出て、世のため、人のために
尽くすということだ。

でも、手段と目的が
あべこべになっていることが
ようやく最近になって分かった。

私は、社会に出て、
誰かのためになるように、
自分を磨いていくうちに、
自分の発信力が強くなり、
それが社会に貢献することにつながると思っていた。

でも、私はとんでもないエゴイストで、ナルシストだった。
自分が塾の講師になることになり、
よりよく生徒に伝えることができる人間になることで、
子ども達のためになると思っていた。
でも、それは半分嘘だった。

目的と手段がひっくり返っていた。

生徒に伝えることが上手になることが
何より大事で、
伝わった生徒のことを一番になんて考えてなかった。
うまく伝えることができた瞬間に、
自分の目的は成就していて、
それはあくまで手段であって目的ではない。

だから、アホみたいに、
自分がうまくいかなかったときに落ち込む。
自分のパフォーマンスが上がらないときはある。
それでも、生徒に対して、
生徒ファーストで動くことができているかと言えば、
ぜんぜんできてなくて、
私はこれまでいつだって、自分ファーストだった。
自分のパフォーマンスが上がるために、
生徒を使っていた。
そんなところも多々ある。

あー、薄っぺらい。
薄っぺらいから、もし仮にどんなに
パフォーマンスが優れていても、
自分さえよければいい人間の言葉なんて
響かないんだ。

社会に貢献する
ということは頭では理解していた。
でも、理解はしていても、
感情は動いてなかった。
下手したら、困っている生徒と
パフォーマンスが落ちて困っている自分がいたら、
迷わず、困っている自分のことだけ考える。

そんな人間の言葉なんて誰が聞く?

ようやく腑に落ちた。
私の伝え方がどうこうなんてのは、
2番か3番で良くて、
そもそも目の前に困っている人を助けるのが
社会に出て、人に貢献するってことだろう。

なんでそんなことが
45歳になっても分かってなかった?

薄っぺらい。。。

ま、でも、ひとまず、
45歳で気づいてよかった。
45歳でようやくちょっとだけ大人になれたのかな。
少なくとも、今日がこれからの人生の中で
一番若いわけだから、
年をとったことを悔やむより、
一番若いまさに今から、変えて、
行動をすればよい。
と自分に言い聞かせて、
これから歩もうと思う。

うすっぺらいけど、
これから、ちょっとだけ厚みを増していこうかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?