天才、頭のいい人、要領のいい人は確かにいるかもしれない。けど、、、
こんにちは、panです。
頭のいい人。悪い人。
天才。凡人。
私は、そういう言葉をあまり使わないようにしている。
先天的に備わったものを何かの理由にはしたくはないから。
そして自分がモノを教えるという立場にいるから、
意識して使わないようにしているのもある。
要領がいい、悪い、ということだって、
要領がいい人、悪い人
と決めて、その人の未来を決めることにはつなげたくない。
では、学生時代、
「アイツはあまり勉強してないように見えて、いつも結局いい点数を取るんだよな~」
みたいなことを感じたことはあった。
ということは、頭がいい人と悪い人って
やっぱりいるのかなって思っちゃう。
ただ、教える立場にいて見えることがたくさんある。
結果、頭がいい人になってる。要領がいい人になってる。
はあるかもしれない。
きっと、頭がいい人も要領がいい人も、
生まれてから、そのことに頭を使って、時間を費やしてきていることの
積み重ねなんだ。
机の上で勉強してなくても、疑問に思ったら、解決するまで
頭の中でその問題を考えてたりするし、
何かもっと要領よくできないかって考えている時間が多いから
要領よくすることにアンテナを張っているから
結果として頭のいい人になっちゃうし、要領のいい人になる。
努力もせずに、何もしてないのに、
先天的に備わっているものがあって
他の人よりもできるということは、少ないと思う。
事実は分からない。医学の専門でもないので、
専門的なことは言えない。ひょっとすると遺伝子的に
そういうことが言えることもあるのかもしれないけど、
あの人は天才で、自分は凡人だから、
やっても仕方ないという理由にするほどのものではないと思う。
もちろん、親の子どもへの接し方はとても大事だと思う。
どのように声をかけ、どのようにその子のことを思ったのか。
一つ言いたいことは、
他の誰より何かが優れているにはキリがない。ということ。
それを考えるより、自分が何に興味を持ち、何を好きと言えるかの方が
よっぽど建設的だと思う。
なぜなら、好きという気持ちは本物だから。
誰かと何かを比べて、勝ったとして、
やっぱり世界を見渡せば、その分野でもっとすごい人は絶対にいるわけで、
いつかは負ける。
その競い合いにはあまり生産性はないと思う。
だから、自分が好きだなと思う事、情熱を注げると思うことには
とことん時間を使おう。つまりそれは未来の自分に対して時間を投資するということ。
その先に何が待っているのかは分からない。
そのまま【好き】が将来の夢に直結しないことだってある。
だけど、何かに情熱を注いだ濃密な時間こそが財産で、
どれだけそんな素敵な時間を過ごせたかは、確実にその人の幸福感につながるはず。
天才という言葉を敢えて使うなら、
その情熱をそそぐ対象が見つかって、
そこに多くの時間、頭を使って、
そのことを考えて考えて考えた人は、
きっとその道で天才と呼ばれるようになるんだと思う。
その対象は何だっていいし、
年齢だって、いつから始めてもいい。
その日から続けていけばきっと何かの形になる。
昔、古畑任三郎が言ってた、
「明日死ぬと決まってて、今日から何か新しいことをはじめてはいけないと誰が決めたんですか?」
って。
すごく勇気の湧く言葉だな~って思った。
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