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鬱は心の一時停止

お久しぶりです。
ヤキソバライターです。

職業訓練で忙しかったのと、鬱の期間に入っていたため最近まったくnoteが書けていませんでした。

猛暑もついにその勢いを落とし、秋にバトンタッチする気持ちになれたようです。
最近ようやく少しずつ涼しくなってきて、過ごしやすい日々が続いています。

文通、はじめました

最近文通をはじめました。
ワタシはふだんジモティーをやっていて、無料で家具などを譲ってもらったりしています。
そんな中、文通友だちを募集する投稿がありました。

「新しいペンを買ったので、文通してくれる方いませんか」

その投稿にワタシは応募してみました。
そしてワタシの住所を教えて、文通を開始したのです。

まだ一往復しかしていないので、これからたくさん手紙を書いていきたいです。
その人は関東地方に住んでいる人で、住所を調べてみるとなかなかの田舎でした。
ワタシも以前三重県の田舎町に住んでいたことがあります。
それでも東京の喧騒が忘れられず、戻ってきた思い出があります。
そんなことを考えながら手紙を書いていたところ、ある童話を思い出しました。

田舎に住んでいる一匹のネズミが、御馳走を振る舞おうと仲の良い町のネズミを招待した。二匹は土くれだった畑へ行き、麦やトウモロコシ、大根を引っこ抜いて食べていたのだが、町のネズミがこう言った。「君はこんな退屈な生活によく暮らせるな。ねえ、僕のところへ来ない?そうすれば珍しいものが腹一杯食べられるよ。」

田舎のネズミは二つ返事で承知すると連れだって町へと向かった。ある建物に着くと町のネズミは、パンやチーズ、肉といった見た事も無い御馳走を田舎のネズミに見せた。めくるめく御馳走を前に田舎のネズミはお礼を述べ、食べようとした。その時、何者かが扉を開けてきた。二匹は潜りこめる狭い穴をみつけると一目散に逃げ込んだ。

そして、彼らが食事を再開しようとすると、また別の誰かが入って来た。すると田舎のネズミは、急いで帰り支度を整えてこう言った。「こんなに素晴らしい御馳走を用意してもらってすまないんだけど、こんなに危険が多いのは御免だね。僕には土くれだった畑で食べている方が性に合ってる。あそこならば、安全で怖いこともなく暮らせるからね。」

Wikipediaのあらすじ

イソップ童話の「町のネズミと田舎のネズミ」です。
このネズミたちはお互いの家に行かずに文通していればよかったのではないかと思いました。
それで情報交換もできますし、会わなくても友だちではいられますからね。

そういえば年賀状も出さなくなって久しいですね。
郵便料金が10月から上がるらしいですが、あなたも手紙を書いてみませんか。
最近の世の中はインプットする情報が多すぎて、アウトプットする機会が減っていると思うので、文通などをしてみるとちょうどよいかもしれません。

墓参り

先週末、お彼岸だったので祖父の墓参りに行ってきました。
ワタシの実家は東京にあるのですが、祖父は茨城県出身なのでお墓は茨城県にあります。
実家からは車で一時間半くらいかかります。

午前中にお墓につき、墓石を磨いて、お花をお供えして線香をあげました。
すると、父親があることに気づきました。
新しい卒塔婆が墓石の後ろにさしてあったのですが、親戚の人の名前が書いてあったのです。
父親は毎年お寺さんにお金を払って卒塔婆を新しくしてもらっています。
しかし、今年のぶんがなぜかたてられておらず、代わりに親戚の人の名前が書かれている卒塔婆がたっていたのです。

その謎はそのあとすぐに解けました。
そこのお寺には祖父の実家と祖母の実家の墓もあり、ワタシたち家族は毎回そこにもお参りしています。
今回も祖父の実家のお墓を参ったところ、なんとそこに父親の名前が書かれた卒塔婆がたてられていました。
その卒塔婆には祖父の戒名が書かれていました。
そこでピンと来たのです。
苗字が同じなので、お寺の人が間違ってテレコにしてしまったのだと。
そこで、ワタシはそれぞれの卒塔婆を入れ替えて正しい形に戻しました。

そのあと、父親がふといいました。
「俺なら卒塔婆が間違ってたっていたら、家族の夢の中に毎日出て知らせるな」
そこで思い出しました。
ワタシの祖父はとても無口な人でした。
たまにとてもよくしゃべるときがあったのですが、普段はまったくと言っていいほど口をききませんでした。
やはり亡くなってからも性格というものは変わらないものなのかな、と思いました。

鬱は心の一時停止

お墓参りをするために実家に帰っていたのですが、その間に母親が交通事故にあいました。

ワタシの母親はとてもそそっかしい人で、よくケガをしています。
ワタシは完全にその血を引いていて、バイクで事故ったり、銭湯でこけて眉のあたりを切ったりとかなりそそっかしいです。

そんな母親が交通事故にあいました。
相手は左車線を逆走していた女子高生で、スマホ片手に運転していたようです。
母親が道路から出ていったところで直角にぶつかったそうです。
幸い手を切ったくらいでたいしたケガもなく、自転車も無事でした。
偶然パトカーが近くを通りかかっていたようで、事故が目撃され、事故処理を事情聴取を受けたそうです。
母親の過失としては一時停止の標識があったのに、減速しかしなかったことだそうです。

「止まれ」の標識は守りましょう。
一時停止はなにも闇雲に街中に設置されているわけではありません。
そこで止まらないと危険だとわかっているから設置されているのです。
それを守らないと命を落としてしまう可能性があります。

この事故の話を聞いて、ワタシはこう考えました。
「鬱は心の一時停止信号なのではないか」
最近鬱の期間が続いていて、主治医の先生から薬を増やしてもらいました。
それで少しは良くなったのですが、実は鬱というのは身体からの一時停止信号なのではないかと思ったのです。
ワタシも含め双極性障害の人は好奇心が強く、人の顔色もたえずうかがうので自分でもわからないうちにかなり疲れてしまっています。
しかしそれに気づかないので休むということをしません。
特に躁状態のときは、誰かが止めても聞く耳を持ちません。
そのせいで疲れが限界まで達したときにどうやら鬱になるようです。

それならば普段からこまめに休憩を取るようにして、疲れを身体にためない工夫を自身でするしかありません。
そして、鬱になってしまった場合には心の一時停止だと思ってゆっくり休むことに専念することが大事だと思います。

もっともこれは元気な状態だから思えることであって、鬱の期間中は死にたい気持ちで頭の中が支配されていたりするので、なかなか難しいのですが。

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ヤキソバライター
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