ダージリン・シッキムの山旅⑩ ~SIKKIM~
すてきな二日間を過ごしたカリンポンに別れを告げ、8時半のバスでシッキムに向かう。
前日予約しておいたバスは、ぎゅうぎゅう詰めのインドの乗り合いバスのイメージとは程遠く、空いていて快適。後ろの座席に学校の先生が乗っていて、お父さんとの会話がはずんでいる。
――この先生、実は学校で英語を教えているそうだ。日本の地理のことなども少し知っていて、私が単語を理解しないと、ずい分と気にして「俺の英語は下手か?発音はどうだ?わかるか?」と、しきりに聞いてきた。うれしいことには、私が日常に英語を話していると思ってのことらしい。ベンガリー特有の巻き舌の聞きにくさはあったが、なんのことはない。私が英会話を知らないだけなのに・・・――。(夫)
昨日のお兄さんが、発車前のバススタントに見送りにきてくれる。彼はこれからダージリンに行くそうで、厚手のジャケットを着ている。 「ガールフレンドに会いにいくの?」と聞くと、ものすごく照れてというか、真剣に否定していた。
ゆうべ書いたという手紙持参で、開けてみると自分の写真が2枚入っている。 「返事書くからねぇ!」と、手を振って別れた。そのお兄さんからはクリスマスカードを始め何通も手紙をいただいた。 “Dear ・・・"で始まり
"Your loving brother Tseten Wangchuk (彼の名前)"と結んでくる。
旅が終わると悲劇的な常雑事に追いまくられ、不得意な英文手紙をのばしのばしにしてしまっていた。最近やっとの思いで返事を書き、お詫びのしるしにそのときの写真を大判にして送った。
カリンポンからは美しい樹林帯をずうっと下って行く。実に緑が新鮮だ。下りきってしまうと大きな川(これがカンチェンジュンカを源とするTista River か)に沿って走る。濁った水が川幅いっばいに流れ、その速さと蛇行する地形の変化はカヌ一族が一目で喜びそうな感じである。
末娘が、突然”おしっこした一い!" という。お父さんは慌てず、運転手に向かって大声で“ヘーイ、ストップ!" 手慣れたものだ。のんびりと大河を眺めながら用を足す。連られて何人かが降りて来た。
2時間ほどでチェック・ポストに着く。お父さんが3通のパスポートを持って手続きしている間に、子供たちは冷たいリムカを飲む。こんな山の中に冷蔵庫があるなんて信しられない。
私と姪っ子は牛小屋のかげで用足しをする。
出発したバスは2、3分で橋を渡ると、また降ろされる。橋の手前がベンガル州のチェックで、橋の向う側がシッキム州のチェックなのだ。この間、他の乗客たちは我々のために付き合ってくれている訳だ。
そしてすぐ先にある大きなバザールで休憩。プーゲンビリアの大木が美しい南国の暑いバザールだ。
ここからは上りが続く。ハイビスカスの咲く村をぬけると、ネパールの山間部そっくりの風景が広がってくる。大きな山の斜面に段々畑と点々と人家。バスがカタガタ揺れるので、居眠りをしている姪っ子のポニーテールの根元をしっかりつかまえていないと...。
しこたま頭を打ちつけそうに揺れ動くバスは、右に左にハンドルを切りながら山道を上って行く。
シッキムはネパールとブータンの狭間に人差し指を立てた様に突き出ている。小さな王国だったが、 1975 年にインドの州の一つとなった。
州都ガントク (Gangtok) は、思ったよりインド風の町だった。バスから降りる。が、客引きは来ない、リキシャもない、乞食もいない!!。まず店に入り、チャイを飲んで、ひと息つこう。大きなポットに入ってくる紅茶をつぎわける。子供たちは砂糖をたっぶりとミルクを入れて、カップー杯を飲み干すとひと心地がつく。
お父さんにはカリンポンのホテルで紹介されたところを当たってきてもらう。でも、いまいちのようだ。つぎはインド人の経営だが、ここもすっきりしない。となりのホテル・チベットをのぞく。ここはダージリンのタシデレおじさんが紹介してくれたところだ。
ティベット人のほほえみが心落ちつく。部屋は狭いがベッドが3つあり、ホットシャワーもあるので良しとする。
ホテルは切り立った斜面に建っている。そのため入り口、ロビー、レストランは一階だが、地下二、三階にも客室がある。私たちの部屋は地下二階だ。
外に向かった窓からは谷底に向かってつながる人家が見える。深い谷をへだてた正面は、白い家の点在する山が連らなっている。そして、そのむこうに聳えているであろう白き神々の峰には、相変わらず厚い雲がベッタリと張り付いている。
通りには洋服屋、薬屋、本屋、食べ物屋、雑貨屋、 が軒を並べている。そして、酒屋がやけに目立つ。インドのふつうの町ではめったに洒屋を見かけないし、洒を飲ませるレストランも限られている。それがシッキムでは、まるで日本のように洒屋が多いのだ。レストランもそのほとんどが Restaurant & Bar となっていた。
町に散策にでて、スイート屋で一休みしているうちに大雨になる。スイート屋とは喫茶店のようなもので、チャイとインド独特のバカ甘のお菓子を食べさせるところ。その甘さたるや「ウェッ!」となるほどで、子供たちにも人気はなかった。
でも私の経験では毎食カレーだと、食後のハルワやジュレヒ(スウィートの名前)がしっくりと調和していて、胃袋と味覚が満ち足りてくるから不思議だ。ごはんにみそ汁、食後にお茶と羊かん、といったらわかってもらえるだろうか――。
ホテル・チベットのレストラン Snow Lion (ヒマラヤ山中にいるといわれる幻の動物)は、白いテーブルクロスの清潔な、それでいて肩のこらないレストランだ。
メニューも豊富でおいしかった。Japanese Sukiyaki、焼ギョーザ、なんていうのもあって驚いた。スキヤキには豆腐も入っていた。チベット料理のモモは蒸しギョーザで、皮がネチネチとしていて重たいかんじだ。それがYaki gyozaだとすっきりした味になる。 Yama Yasaiなんていうメニューもあった。注文しなかったが、山菜のことだろうか――。
現在、ガントクにはネパールのカトマンドゥから7時間のバスの旅で入ることができるそうで、日本人観光客も増えているのかも知れない。
大雨は小降りになったが雷がなり、ちょくちょく停電する。稲光の中、シャワーを済ませる。
ガントクはダーシリンよりずっと暖かい。風呂上がりのビールなんていいねえと、一階のバーに買いに行ったが、――ロビーのとなりに『 Bar』の文字を見たときはとても驚いたが―― 21時で終わりだそうで、冷たいビールにはありつけなかった。