まだ暗いうち (4 時頃か)、祭のねり歩きの歌で目を覚ます。お父さんを起こすと、テープとカメラを持って出かける。 ところが、帰りが遅いので心配してしまった。以前ベナレスで、カメラマンが宿を出たまま行方知れずになった、という事件があったので、待っているほうは余計な心配をしてしまう。 ――哀愁を帯びた歌声がタンバリンや太鼓の音と共に、夜まだ明けぬ静かな街角に遠くから聞こえて来た。その音はだんだんと大きく近づき、宿の前のチョウラスタ広場を通り遠ざかっていく。 このあい
暗いうちから目覚める。稲光がまだしている。お父さんは起きてカメラなど用意しているが、中止だ。これで3回ともオジャンになった。 朝食はいつものようにオムレツにトースト、ティだ。パンは10cm位の長方形の食パンを5mm位の厚さに切って焼いてくれる。バターやジャムが器に添えてある。今朝はオムレツではなくフライドエッグにしたが、黄身は白っぽくて生焼けだと気持ち悪い。 卵といえば、日本でこれと値段の変わらないものもない。小さい頃は15円位で、今も安売りだとそのくらい。物価の安
5時ごろ目覚める。曇り。窓いっぱいに広がったカンチェンジュンガの、お腹の部分だけがかすかに浮かんでくる。ここからのカンチは圧倒的な大きさだろうと、残念至極。 アンパンマンテープをかけて萌、彩を起こし、霧の中をゲイジングへ下る。バスは SILIGURI行きで、途中のJORETHANGまでの私たちにはシートをくれない。でも、出発直前になって何とか座席を確保する。 お父さんと末娘は一番うしろ。ドア前の車掌の後ろに長女と姪っ子、その後ろのインド人のおじさんのとなりに私。とこ
7時起床。8時に朝食をたのんでおいたのに食堂へ行くと、ツアー客の分しか用意していない。悪意はないのだろうけれど、とっても感じの悪い応対ぶりなのだ。湿っぽいコーンフレークスとトースト、オムレツ、ゾーセーシの朝食を急ぎ済ませて、9時前から待っていたジープで出発。 ドライバーと助手、二人ともほとんど英語を話さない。昨晩の食事のこともあり、ペリングのレストランに寄って、夕食の予約をしておく。 ネパール的な風景の中をひた走る。ドッコを担いだり、鼻に飾りをつけた人が目につく。一
9月20日。バスは7時スタート。きのうのブッキングでは「出発の30分前にバススタンドに来い」といわれたので、6時起床。 見える、見える。部屋の窓からオレンジ色に輝くカンチェンジュンガの白い峰が、ガントク最後の日を飾ってくれる。お父さんが勇んでカメラを手に出かけた間に、子供たちをやっとのことで起こす。 ――朝5時45分「カンチが見えるよ」と言われ、うたた寝もそこそこにとび起きた。なるほど、真っ白なそして完全な姿を初めて現わしてくれた。ガスが谷の下のほうに沈むにつれ、徐々
朝7時からガンガンのインド音楽で起こされてしまう。プジャ(ヒンドゥ教の宗教儀式)なんだ。それにしてもこのボリューム!!。 ガントクにはしっかりした政府のツーリスト・インフォメーションオフィスがあり、そこへ情報を集めに行く。個人ツーリストが入れるのは限られた地域だけのようだ。 2泊で奥の村まで行くツアーの募集もあったが、インド人のみ許可されたもので、私たちは参加できなかった。 ――オフィスのカウンターには二人の女性職員がいて、笑顔を絶やさずテキパキと説明してくれた。感
すてきな二日間を過ごしたカリンポンに別れを告げ、8時半のバスでシッキムに向かう。 前日予約しておいたバスは、ぎゅうぎゅう詰めのインドの乗り合いバスのイメージとは程遠く、空いていて快適。後ろの座席に学校の先生が乗っていて、お父さんとの会話がはずんでいる。 ――この先生、実は学校で英語を教えているそうだ。日本の地理のことなども少し知っていて、私が単語を理解しないと、ずい分と気にして「俺の英語は下手か?発音はどうだ?わかるか?」と、しきりに聞いてきた。うれしいことには、私
朝、ベット・ティーがつく。 起きぬけのベットの中でお茶を飲むという、イギリス人の優雅な習慣だ。優雅とは程遠く、お父さんは銀マットを敷いた床から、末娘はゆりかご風イスから、私と姪っ子、長女は、まん中がへこんでいて寝にくかったベッドからゾロゾロ起き出し、ミルクティを楽しむ。 実はこの宿、水が出ないのだ。バスルームには大きなブリキのバケツが3つ並んでいて、水が汲みおかれている。朝、湯を持ってくると聞いていたが、顔を洗う程度かと思っていた。 ところが石油かんにたっぷり、
少しだけ開いた鉄の門に、小さく『ヒマラヤン・ホテル』と看板がある。木々に囲まれて、いかにも 19世紀のイギリス人の別荘といった感じの建物が、芝生の庭の奥にある。 人の気配がなく、おとなしい犬が一匹寝そべっている。 “廃業してしまったのかな"と心配したが、しばらくしてインド人マネージャーが現れた。 「空いているからどうぞ」というわけで、二階へ案内してくれる。 玄関の灯、廊下を飾る絵画、階段の踊り場の大きなつぼ、部屋の調度品...、ゆるやかなる時が流れている。天井の
ダージリンの天候がさえないのでトレッキングを後回しにし、9月14日からカリンポンとシッキムに足をのばすことにした。 ダージリンは前日から雨模様。長いひさしがトタンぶきのホテル・ベルビューは、夜半の激しい雨にすごい音を立てていた。木造りの落ち着いたロビー兼食堂で朝食をしている間に、タシデレおじさんが心配してジープのオフィスに電話を入れ、 席を予約してくれる。一人30Rsx5、150Rsで行かれる。 実は前夜、ホテル近くでタクシーをあたってみた。しかし、 700Rs
ダージリンでは3泊位で3600m の地点まで登るトレッキングを計画していたのだが、着いてみると雨ばかり。雨というより、雲がフワーッと押し寄せて来て、山も町も覆い随してしまうのだ。 カーテンを閉めた部屋の内側は湿気でびっしょり濡れ、洗濯物は何日も乾かない。そして時どき激しい雨になる。まだ雨季が明けていなかったわけだ。そこでトレッキングを後回しにして、シッキムに人ることにした。 小さな避暑地カリンポンとシッキムの州都ガントクに行くためには、それぞれに人域許可(取得場所が
9月9日。昨晩のしつこくて強烈なパンチが、列車でダージリンヘ行く気持ちをためらわせ、早々とホテルをチェックアウトして空港へ。バグドグラヘのチケットを買い、出発までの数時間を空港で過ごす。 えらく退屈だ。このチケットは日本でも買えるのだが、一人7000 円のチケット代に3000 円の手数料(一枚毎に)がかかる。退屈は我慢するしかない。 空港内にあるカウンターでサモサとチャイをためしてみる。サモサは、ゆでたジャガイモにカレ一味をつけたものを春巻の皮みたいので包み、油で揚
今度は両替。なんでこんなに時間がかかるんだろう。疲れ切った子ども3人と私は、荷物を守りながらお父さんを待っている。 姪っ子がトイレに行きたくなる。一人では行かれない。 でも私がついていくと、娘二人が荷物と残されることになる。それは危険だ。姪っ子が頑張って一人で行く。 インドルピーを手にしたお父さんが戻ってくる。今度はホテル探しだ。空港の外は真っ暗闇で、ホテルなどありそうにもない。 ガイドブックの『地球の歩き方』にエアポート・アショカホテルの紹介があって、『一流
カルカッタにつく。インドが押し寄せてくる。パスポートチェック、税関、深呼吸して”さぁ、街へ!”となるわけなのだが、今回は税関で大変な目に合ってしまった。 別に悪いものを持ち込んだわけではない。荷物がちと大きかったのだ。子ども連れということで、狙われてしまったのだ。通常の手続きもしないで、別室へと連れていかれる。 「さあさあ、マダムと子供さんたちはこちらにお座りください」 二人の男たち(れっきとした空港の係官だ)の物腰は穏やかなのだが…。 「大きなザックの中身は一体
エア・インディアのカルカッタ直行便(バンコク経由)は週一便、土曜日のみということで、出発まで二週間しかない。 食糧だけでも大変だ。トレッキング用はもちろん、食欲不振の時、病気の時も考えてリストを作る。おせんべいや干魚も恋しくなるだろうし、お汁粉なんかも楽しいだろう。 衣類も、カルカッタでは半袖で、ダージリンに行ったら長袖長ズボン。トレッキングでは厚手のジャンパーに手袋も必要だろう。熱帯夜の中、汗だくで押し入れの冬物をかき回す。プーリーのために水着と浮き輪も忘れずに。
今年の家族旅行は思い切ってインドにした。私、夫、娘二人に加え、姪っ子(11歳)も一緒だ。カルカッタから入り、ダージリンでトレッキングをし、シッキムにも足を延ばして、最後はプーリーの海(ベンガル湾)で泳いでこようという計画だ。 8年前インドを旅して、すっかりインドに魅せられてしまった。果てしない魅力にあふれるインドなのだが、今回ははじめからインドに行こうと思っていたわけではない。 『すてきなインド』を感じる前に下痢になるだろうし、『悠久のインド』に浸る前にお乞食やリキ