MO
朝を愛す 室生犀星
メダカがいます カレはそこの住人です 世界はそこにあるだけ 外にでたら死ぬでしょう でもカレは悩ましく思います 自分の世界はどこだろう たぶんここではないだろう でもカレは鯉にはなれません カエルにもなれません ネコにもなれません カレはメダカで生きるのです でも思うだけならいいのかな 壁に希望の世界を描いてみる その世界を飾っていきます すると心にさざなみが生まれてくるでしょう 僕にもたぶんできるだろうと それもいいかもしれない でもあなたはメダカです
石川啄木
うむ、しばらく書いていない。 さて、これからどうするか。 よし、考えてみよう
いまはテレワークという名の監禁状態 仕事はそれなりにできるが、やる気度としては降下気味 そんな隙間の多い中を漂っている。 みんなが一人になる時間 自分を省みる時間 皆んなを思う時間 これからを考える時間 世界を考える時間 生きることを考える時間
今 職場では8割以上の人がテレワークとなった。 何気になんとかなっており、皆さん、iT操作にも慣れてきた。 自宅にいながら世界ともつながることがより簡易にできると思えるようになった。 でも、このままだと仮想空間での生活に慣れてしまう。これでは良くないことかもしれません。 コロナが落ち着いたら、、 PCを捨て街に出よう。
知識を得るために本を開くのではなく ほんのすこし旅にでる。 そんな感覚で本を読む。 松浦弥太郎さんの『読書という旅』の話です。 読書の楽しみは「読んでいる時間そのもの」と。 ✳︎本を一人の人間としてみてみる。 ちょっと朝のあいさつ風にペラっと すこし会話するなのもよいですね。
Duh
抱かれるって気持ちいい この歳になると、そうそう抱かれない。 朝、お母さんが早速と自転車を運転している。 身体の前で子どもを抱っこしいる、 彼女の顔はとても素敵な笑顔だった。 子どもが小さい時はよく抱っこされた。 抱っこしていたわけだが、今思うと抱っこされていたのだと思う。 抱っこされたいなぁと思った。
私にとっての身近なものといえば、 『絵本』 とはいっても目の前にあるわけではありません。 納戸の段ボールの中に📦入っています。 子どもが小さい頃に読んであげた絵本 200冊くらいがひっそりと眠ってます。 目の前になくても、ちょっとした時に『絵本』の表紙の絵と伴に、子どもに読んでいた時の子どもの様子、自分の姿が思い出されます。 これは、私にとっての大切な思い出、残り続けるものです。 本はそんな感じになれる代表的なのものですね。 ✳︎トイストーリーのよ
最初読み始めた時は、しっくりこなくて 置いておいた。 しばらくして、何ぺんか読み始めた。 そして今日、最後の人の文章を読んだ。 あぁ、いいなぁと思う。 この本を作ることにした先生 高原さんの文である。 ✳︎本は、手わたすもの、と書いている。 私もこれら本達を手渡されてきたのだと思う、 また、なぜセンジュ出版からの本なのかも分かる気がした。 ひとつひとつの日常の一コマをていねいに生きていこうと思えた。
今日は久しぶりにコンビニでカップラーメンを買った。一年に何回か無性に食べたくなる。 期待して食べた。 まずかった、ほんとに 歳を取ったからかもしれないが、 作った人の見える食事を食べたいと思った。 それはコンビニの弁当のように完成度の高さはないけれど、たまにあれって思うこともあるけれど、やっぱり美味しいと思う。 誰かを思い作られた食事ほど素敵なものはない。
とても面白い考え方 これはひとつの哲学でしょう。 すっとした表紙の本です。 私も真似しよう。 松浦弥太郎 『今日もていねいに』より 子どものままの好奇心のかたまりを、大人になっても、ずっと持ち続けることができたら、どんなに素敵でしょう。子どもの頃は人に尋ねていた答えを、自分自身で探したら、無限の発見があることでしょう。 それはおそらく「大人の役割」ではなく、「大人の楽しみ」であり、「生きていく目的」だと思います。