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いつか枯れてしまう花


花は定期的に買うけど自分で選ぶんじゃなくて誰かに選んでもらいたいなーって思っちゃうときがある。できれば花束で。花束がほしい。
でも花束は感情を伝えるためのものって感じがする。だからなかなかもらえる機会なんてないよなー。

私が過去もらったのは数回。
大人になってからの花束はいまでも全部覚えてる。
花言葉を意識して選んでくれた時もあれば、私のイメージで選んでくれた時もあった。選んでくれたところを想像してさらに嬉しくなった。
誕生日に家にいたらでっかい花束が届いたこともあった。あれはびっくりした。1人で花束をもって跳び跳ねた。
あとは長く務めた職場を退職した時、いろんな人からたくさんのプレゼントをもらって最後に「お疲れ様でした。寂しくなります。」と仲の良かった男の先輩から花束をもらった。別の感情もすこし感じた。のちに人から聞くと先輩は私のことが好きだったらしい。やっぱり花束は感情が伝わるのである。ふふ
そしてその先輩は今…普通に仲いい友達です。
(そのまま気付かぬふりをし続けました。)

ぎりぎりまで隠してるけど隠しれきれてない花束の端っことか、渡そうと持ってるときの少し照れ臭そうな姿、そして受け取った瞬間のあのぼわっと湧き上がる嬉しい感情は忘れられないしこれからも忘れたくない。

あのときのような感情ほどはないけれど花は自分で買っても嬉しい。カサカサになった心に過去もらった時の感情のかけらのような気持ちを思い出させてくれる。部屋も、心も、少しだけ明るくなれる。

昔は枯れてしまうから意味がないって思ってたけどむしろそこもいい。(手入れも楽!)
枯れてしまうから儚い。時間に限りがある美しさはめちゃ愛おしい。
花に感情はないけど枯れていく姿に共感してしまう。

もし人間が花であれば、形や大きさは遺伝、花びらや傷は経験、色は感情で変わる気がする。(明るい色の時もあればどす黒い色の時もあるでしょうな)

私がもし花であれば、みんなと力をあわせて花畑となりたくさんの人に見てもらうより、ひっそり陰に隠れて咲いていたいかも。そしてたまたまそこを通った人だけに見つけてもらうくらいがいいな。
どんな花であろうとも咲いていられるこの間は誰かの目に触れることがあれば嬉しいし、立ち止まってこの花はなんの花やろうとか、また見にこようかな、他の色の姿も見たいなんて思ってもらえたら花の私は陰のなかでも自分がだせる限り綺麗に咲き続けたい。カネコアヤノは枯れないって言ってたけど、やっぱり花も人もいつかは必ず枯れちゃうと思うから。


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