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貴方の死に、祝福を。 2話

悪魔じゃないのなら、一体何なのだ。
どう見たってアンタのせいで、拓実の魂は、その体から抜け出していったじゃないか。

沙也加の疑問は、ハッキリと顔に現れていた。

「悪魔がこんなに大人しく人間の側にいて、その話しに耳を傾けると思うのか」

「いや悪魔自体見たことないし、これといって定義はないけど・・。」

「まあ立って話すのも何だろう、一旦そこに座ったらどうだ」

白い丸椅子に座るよう促される。
なぜアンタの言うことに、と反論したいのに、体が勝手にその椅子へと腰を下ろす。女が片方の椅子に座り、向かい合う形になってしまう。

心の中で怒りが渦巻いているというのに、なぜか体は言うことを聞かず、女のペースに飲み込まれてしまう。

いやいや、私は悪魔の定義云々の話しをしたかった訳じゃないし。
拓実の魂を取り戻したくてアンタと話がしたかっただけだし。
その沙也加の気持ちを知ってか知らずか、滔々と語り出す。

「悪魔というのは、お前が思う以上に醜悪な存在だ。悪魔と相対していたら、お前はとっくにそそのかされて、その身を闇に堕としていただろう」

だから悪魔などと呼ばれるのは、虫唾が走るのだ、と言って微かに眉を顰める。

あの鉄面皮のような女がここまで感情に出すのだ、よっぽど嫌だったのだろう。

「じゃあ悪魔じゃないなら、一体何なの?とういか、名前とかあるの?」

ふん・・、と少し考える素振りをして、顎に手を当てる。

「名・・・というほどのものも、ないか。蔑称ではないのなら、好きに呼べば良い」

好きに呼べば良い、と言われても・・。

「あなた、いったい何物なの?それが見当がつかないから、今とても困っているんだけど」

「何者か、ということに、さして意味は無い。ただ、この現世、お前たちはこの世、というか。その中で、我々はただの現象に過ぎない。人間が気にするようなものではない」

はあ、と思わずため息のような返事しか出来なかった。
一休さん・・?と思わず頭の中で呟く。禅問答を強いられているような気になってきた。

「でも、あの時あなたが杖をかざして、拓実の魂を奪ったじゃない。それは事実でしょ!」

「何をもって事実というのか。お前は何も分かっていない。おおかた、魂を器に戻せと言いたいのだろう。」

話しが早いじゃないか。噛み合わない会話だが、それさえ通じれば、もうそれでいい。

いきなり立ち上がった女が、部屋の奥の窓の前まで行き、カーテンを開ける。人の部屋だというのに、勝手知ったるとはこのことか。

「器は器でしかない。仮にアレにもう一度魂が入ったとて、それはもう、"伊藤拓実"ではない。伊藤拓実の魂は〈奪われた〉のではない。行くべき所に行く運命なのだ。私はそれを変えられない」

じゃあ、あの杖でアンタは一体何をしたというのだ。
「器と魂が離れる時、多少の苦しみが生じる時がある。その苦しみから、あの者を楽にしただけだ」

夜空を見上げるその後ろ姿に、怒りがふつふつと湧き上がる。

「行くべき所って何よ・・。器って何よ。」
さっきから訳の分からないことばかり言って。

「体から離れるのが苦しいなら、魂を離す必要なんてないじゃない!まだ生きれたってことじゃない!アンタが余計なことなんかしなければ・・・っ。アンタのせいで・・!」

泣きじゃくりながら話す沙也加を振り返り、女は冷め切った視線でその様子を見る。

お前は何も分かっていない。その表情が、その女の思考を物語っていた。

「拓実は、あんな所で死ぬはずじゃなかった。私なんかと違って、叶えたい夢も、目標も、たくさんあった。あんなとこで死んじゃったら、今までの努力は、何だったのよ。拓実の人生は、いったい、何だったのよ・・!」

声を振り絞り、泣きじゃくる沙也加を見るその視線は、相変わらず冷たい。

「もうさ、この暗い空気やめない?」

背後から、軽やかな声が聞こえた。
一瞬、女が喋ったかと思った。にゅっと沙也加の顔を覗きこむように、男の顔が現れ、腰を抜かす。

ヒュッと声にならない悲鳴が喉を通り、倒れかけた彼女の背中を、男が支える。

現れた男も、長い金色の髪をたなびかせた、大層美しい男であった。

「ふ、ふほ、不法侵入・・」

思わず先ほどまで敵意を向けていたはずの女に、救いの目を向けてしまう。
女は女で、微動だにせず、こちらをまっすぐ見ている。

「お前まで姿を見せる必要はないが」
「だって、あの完璧優等生が失態を犯したっていうんだから、見に来ない訳なくない?」

失態、という言葉に、女の眉がピクリと動く。
あの人、やっぱり眉毛に感情が出るんだ・・、と弱みを見つけた気がして、若干溜飲が下がる。

「あの、あなた達、どういう関係・・」

ほとんど同じタイミングで、2人は答えた。

「関係などない」
「仲間みたいなものだよ〜」

どちらの言うことが、本当なのだろうか。


木村沙也加の混乱は、限界まで達しようしていた。
かたや、白いドレスに金の鎧をつけた銀髪美女、かたや、黒いスーツに身を包んだ、サラサラ金髪スレトート美男子。
多分、どちらも人間ではない。

「死を看取ったばかりの人間に、お前の常識を押し付けるなよな〜。ごめんね、お嬢さん」

そう言って沙也加に笑いかけると、ベッドに腰を下ろし、その長い足を組む。
この2人に共通しているのは、他人の部屋に対する気遣いが希薄だ、という点に思えた。

「現象だとか何だとかさぁ。そんなこと言ったら、悪魔だって現象みたいなもんじゃんか。お前の説明分かりにく過ぎだろ」

「悪魔とは一緒にするな!」

語気を荒める様子に、あ、そこは本当に心底嫌なんだ。と、最早微笑ましさすら感じる。

金髪美形男は沙也加をじっと見て言った。

「我々のことは、天使みたいなものだと思えばいい」
「天使・・・?」
「名前をつけると、人間は面倒なことを色々言うからさ。君の好きなように呼んだらいいとは思うけど。分かりにくいし、俺のことは天使様って呼んでくれてもいいよ」

なんか響き良くていいよね、そう言って軽くウインクをする。
女の方とはまた印象が違う、ずいぶん軽薄な天使もいたもんだ。

「天使のような存在とは・・?」
ますます謎は深まるばかりなのだが・・・。

こうした方が分かりやすいかな、そう言っておもむろに立ち上がった男、もとい、天使。
その背中から、美しい純白の翼が、突然狭い室内に広がった。

この狭い部屋で迷惑な、との思いが一瞬頭を掠めるも、月明かりに照らされたその姿は、感嘆するほど美しかった。

本当に天使っているの・・・?
その神々しさに当てられたからか何なのか、流れる涙が、急に引っ込んだ。

「あなた達って、いったい・・」

「天使、という概念に当て嵌めたほうが分かりやすいのなら、それで良い。
お前達の思う天使は、人から命を奪うのか。その魂を地獄に送るのか」
「お前には、我々がそんなものに見えるのか?」

これ以上、現実を突き付けてくるのはやめて欲しかった。
いっそ、悪魔だったら良かったのに、とさえ思った。

拓実の魂は、あなた達のせいで、この世から連れ去られたと言って欲しい。
あなた達が、その命を奪ったのだと言って欲しい。

「寿命という言葉があるだろう。それを受け入れろ。あの者は、その天寿を全うしたのだ」

そんな事を言われて、納得できる人間がいるだろうか。
「あなた達が本当に天使なら、その力を使って、彼を救ってはくれないの?」

男天使が、失敗した、という顔をする。

「あぁ〜、もう。元はといえば、お前のせいで面倒なことになったんだからな・・」
そう言われると、女天使は、なんとも言えない微妙な表情をした。

そして今までの軽薄さを捨て去った彼が、急に真面目な顔をして、口を開く。

「君のこと、救えないことはないよ」

立ちすくむ沙也加の前に立ち、その瞳を見下ろす。彼の長い髪がかかり、顔に影が落ちる。

「君の記憶から、伊藤拓実の存在そのものを消してしまえばいい」

「そしたら、今ある悲しみも、苦しみも、全て忘れさせてあげることは、できるよ」

拓実の記憶そのものを無くす・・?

あの日差しのような笑顔も、抱きしめてくれる大きな腕の温かさも、
沙也加を見つめた時の、優しい眼差しも。

全て、忘れてしまうの?

「でも、その記憶がある限り、君はその苦しみを忘れることはできないだろう?」

沙也加を見つめる天使の瞳は、慈悲深い光を讃えながらも、その思考を操ろうとしているようにも感じられた。
沙也加は、今この人こそが、悪魔という存在なのではないか、そんな恐怖すら抱いた。

「あなた達、いったい何なの・・?
・・怖い。怖いよ。もう、私のそばに寄らないでよ。私の前から消えてよ!」

そう叫ぶと、勢いよく走り出していた。ろくに靴も履かず、靴下だけ履いた状態で外へ飛び出す。

外は暗く、夏の訪れを感じさせる夜の空気が、生温く沙也加の体を駆け抜けていく。

怖い、怖い、怖い・・・!
拓実の死を取り戻せないことが。
あの訳の分からない存在が。
何より、あいつの言うように、記憶を失いたいと、一瞬でも思ってしまった自分が。

怖い。

思いを振り切るように走り続けるも、元来体力がある方ではない。
近所の河川敷にたどり着いた時点で、息も絶え絶えだった。両手を膝につき、中腰になって呼吸を整える。

鼓動が脈打つ。胸が激しく前後し、まさに心臓が口から飛び出しそうだった。
何より足の裏が痛くてたまらなかった。ひとたび休む体制になると、思い出したように、体が痛みを訴え出す。

その時、ズキン、と頭に痛みが走る。
病室で感じたのと、同じような痛み。

こんな時に限って、追い討ちをかけてこないで欲しい。
今度は頭を抱えて、痛みを堪えだす。

「あなた大丈夫?」
ふいに暗がりから女性の声が聞こえた。
思わず顔を上げると、相手の女性も驚いた顔をする。
「あなた、私が見える・・?声が聞こえるの!?」
そして次から次へと矢継ぎ早に話し出し近付いてくる女性に、痛みが限界を迎えようとしていた時。

「ストップストーップ。そこまででーす」
と例の天使が割って入ってきたのだった。

金髪男天使と銀髪女天使。沙也加はその髪色と見た目の性別で、二人の天使らしき存在を区別していた。
その二人が駆けつけてくれたことによって、少しずつ頭痛が引いていくような気がした。

何やら金髪の男天使と女性が話し込んでいるが、その女性の姿は、少し場違いなものだった。
この夜中に、病衣を着て、河川敷を歩いているのだ。あたかも、病院から抜け出したきた患者、というスタイルだった。

不思議なのは、ちらほらいる通行人が、彼女のことを全く気にも留めていないことだった。
むしろ、靴も履かずに汚れた靴下を履き、ヨレヨレの状態で突っ立っている沙也加のことを不審な目で見ていった。

「彼女のようなものを、未浄化な魂、と呼ぶ」
背後から急に女天使が声をかけてくる。急にそんなこと言われても、と戸惑っている沙也加に続けざまに言う。
「死んだことに気づいていない、または、この世への執着が強すぎる魂が、彷徨っている様子、とでも言うべきか」

なるほど、だからあの姿でここにいるのか。
沙也加はもう、疲れ果てていた。そう、思考が停止するほどに。
先ほどまでの諍いのことは、しばし忘れることにした。
一旦、この状況を整理したかった。

なにやら真剣に話し込んでいるものかと思っていたが、
「貴方が天使様なのですか!?」
「はい、私が天使です」
という会話が聞こえてきて、スン、と真顔になる。
その気持ちは、背後の彼女も同様だったようだ。

「・・・ああ見えて、やる事はやる奴なんだ、あいつは」
心なしか、呆れているようにも聞こえた。



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