米子のレトロ喫茶店(米子をゆく・番外編2)
鳥取県民は珈琲を多く消費する県民であると言われる。日本で三位。それにもかかわらず、以前は日本で唯一スターバックス(以下スタバ)のない県で有名であった。県民自身も裏返しの感情か、スタバがないことを誇りとし、鳥取市内ではスナバ珈琲なる店もできた(鳥取砂丘の砂場とスタバをかけている)。その後、鳥取市にスタバが一号店がおかれ、二号店は米子にある。
地方都市めぐりで最も楽しいのは、地元で愛される喫茶店にはいることである。鳥取マガジン(後述)によると、米子市内で最も有名な喫茶店の一つが洋燈(ランプ)のようだ。夜行バスで早朝に米子駅前に着いて、皆生温泉で温泉につかってからここを訪れた。朝の9時過ぎぐらいであったか。店の入口は雑然としており、すぐに僕のこころをわしづかむ。マスターは相当70歳は過ぎているであろう。しかし、背中がまっすぐで、キビキビうごく。マスターらしくぴしっと蝶ネクタイ。
席に着く。この椅子の感じ。古い喫茶店のそれ。年季の入った砂糖入れ。これをレトロというのだ。
何かを頼まねば。ぼくはとりあえず、壁に貼られた手書きメニューに目をやった。朝だからモーニング。でも、たくさんメニューがあって迷う。そのなかでも、とりあえず、一番無難そうなタマゴドッグのモーニングを注文した。
年季の入った店で、店内がよくわからない置物と無秩序におかれた観葉植物(珈琲栽培しているらしい)、日に焼けた雑誌や漫画本で埋め尽くされ、ごちゃごちゃしている。令和に変わった今日に、昭和のにおいがプンプンする。生ジュースフェア。もう何年もフェアしてんだろうな。絶対おいしいよね。
その後若い女の子二人組が入ってきた。慣れた感じでマスターに注文しているのを聞き、はっとした。ここの名物はプリンのセットであった。それを米子出身の友人から聞いていたのに、忘れていたのだ。不覚である。後悔は先にたたないのだ。
そうこう考えていたら、来た来たタマゴドッグ。何の変哲もない。これでいい。中くらいの丁度いい味。なんだか落ち着く。
それにしても、若い女の子も来るのだな。老若男女に愛される喫茶店。どの地方都市も昔はにぎわっていたはずなのだ。人口も多く、商店街もいつも活気があったはずだ。私の田舎もそうであったようだ。私は陸の孤島と呼ばれた町。一応「市」ではあるが、人口減少が著しく、もはや市を名乗っていいのやら。むろん、その罪は田舎を出てしまった僕にもあるのだが。いまは商店街も閑散としていて、歩いていて心配になるほどであったが、昭和の時代には商店街もひとでごった返していたそうな。そして、人々の生活や人間関係を支えていたのがこうした喫茶店なのだ。
東京で私が数年前までよくいっていた年寄りが経営する隠れ家的喫茶店(非常に素敵なんだ)でも、続けられて東京オリンピックまでかな。。。と言っていたのを思い出す。きょうび喫茶店経営は困難であろう。跡取りもいないし、よほどでないと儲からない。
そのような中でこういう長く続けられている喫茶店は存在だけで貴重である。それに加えて、地元の人に愛され続けているというのは、それだけで町の宝であろう。鳥取マガジンによると47年、毎朝5時開店、正月以外休みなしとのこと。この世で最も価値があるものは長く続いているものなのだと私は思う。マスターには無理しないながらも、米子の宝として存在し続けてほしい。
なお、洋燈のさらに詳しい情報は鳥取マガジンの記事が非常によい。
追伸
あと、このハマという喫茶店もかなりおもしろかった。が、その存在感に圧倒されて、店内写真を取り損ねた。唯一、注文したナポリタンの写真をとっていたようだ。中くらいの丁度よい味。ここも最高に面白いところだった。以下、鳥取マガジンの記事を掲載しておく。