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2025あけますから、巳年にちなんで日本文学を語る会
あけましておめでとうの前に、語る会を開こう。
巳年🐍にちなんで、とある日常の話。
ところで、美容室に行った。
施術が一通り終わったあと、腕にヘビのタトゥーが入ったお兄さんが髪を乾かしてくれた。
つい声をかけた、「綺麗なタトゥーですね」
話を聞くと、ヘビと紅葉と般若の彫りが入っているらしい。
気になったので聞いてみた、
「なんで般若なんですか?」
どうやらお兄さんは、能が好きらしい。
「般若って、男を恨む女の姿なんですよ」
と教えてくれた。
日本文学味を感じた私、
テンションが上がってくる、
話はどんどん深くなってゆく。
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「最終的に般若は、蛇に変わっていくんです。こういう日本の怪奇譚って、能もありがちですけど、どうしてかバッドエンドが多いんですよね。」
思わず聞いてみる、
「どうしてそうなんでしょうね?」
「いや、日本人の感性って言うか…。桜が美しいのは、それが散ってしまうからで、いつまでもあるモノには魅力を感じなくないですか?なんだろ…儚さが美しい、みたいな。だからハッピーエンドがないんじゃないですかね。」
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度肝を抜いた、まさにそんなようなことを、在原業平が言っていたのだ。
【世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし】に対して、
【散ればこそいとど桜はめでたけれ 浮き世になにかひさしかるべき】
【世の中に桜がなかったら、こんなにヤキモキせずに済んだのになぁ】
→【いや、この世に常に在り続けるものなんてない、そうしたものには美しさを感じない。だからこそ、散るべき桜に愛おしさを感じるのだ。】
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話は盛り上がる。
「九相図(くそうず)って知ってます?人間の女が、美しく生きているところから、死んで朽ちていく様子が描かれてる絵があって」
まぁ気になるから調べてみる、結構グロい。死体が犬に喰われている絵である。
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ここでタトゥーお兄さんは交代。
1人きりで思案タイム。
そもそも、なんでそんな絵描いたんだ?
調べてみると、九相図ってのは地獄を描いたものらしい。
じゃあどうして地獄なんて描いたんだ?
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思うに、昔の人は今よりもっと、【死】という概念に、真剣に向き合ってきたのではなかろうか。
飢餓とか疫病とか戦とかに塗れた世の中で、
死後が浄土であれと縋り願う風潮で、
【死】を畏れ同時に、
突き止めようとしたのではないか、地獄の風景を。
【浄土への憧れ】【地獄への恐怖】、こんなもの、現代で考えている人などいないだろう。
死が身近にあったからこそ、
憧憬と忌避が強くなる。
失われるものに、【悲しさ】だけでなく【いとおしさ】まで感じてしまう。
変わりゆくものを惜しみながら、一方で変わらないものへの冷淡さまである。
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誰かが、【日本文学は滅びへの鎮魂】と言っていたが、ちょっとわかるかも。
滅びや朽ちを受け入れるのが、
日本独自の在り方なのだ。
結局はじめから、無くなる前提なのだ、私たちは。喪失の痛みすら、美しいと感じるドMなのだ。
それでは、佳いお年を。