あなたたちが、そこにいるということ。
アイコンを見ていただければ一目瞭然かと思われるが、私はペットを飼っている。ヒョウモントカゲモドキというヤモリの一種だ。
この“飼っている”という言い方は、実は私はあまり好きではない。かといってなんと表現したらいいのかと言われると、うーん、難しいのだけど。あえていうなら“共存している”くらいの表現が正しいのかもしれない。
彼らとの出会い
我が家には現在二匹のヒョウモントカゲモドキがいる。
一匹目、我が家に初めて来たヒョウモントカゲモドキは、年に二回ほど開催される大型の爬虫類イベントでであった子である。爬虫類好きを誇示しながらまだ飼ったことはなく、別に飼うつもりもなく、ただ爬虫類を見たいという願望を満たすためだけに初めて妹を誘って参戦したイベントに、その子はいた。
空気穴の空いたプラカップの中に多くのヒョウモントカゲモドキが眠ったり、ぼぉっと虚空を見つめたりして鎮座在す中、“その子”は「出せやゴラ」と言わんばかりに一人がりがりと勢いよくプラカップを爪で引っ掻いていた。その生命力の強さと、キッとした眼差しに、私は心奪われ、運命を感じてしまった。
これは我が家に来た初日の彼である。
お店のお兄さんに聞いて適切な大きさのケージを飼ったにも関わらず満足行かないとばかりに脱走を試みている生命力。
彼があまりにもとととととっと移動するトカゲなので、名前はととに決めた。飼い主の名付けセンスは問わないでいただきたい。
二匹目のヒョウモントカゲモドキは、それから半年後に我が家にやってきた。とととであったのと同じイベントに、もうあんまりにも脱走を試みるもんだから大きめのゲージを買いに行こうと訪れた先に、彼女はいた。
二匹目を購入するつもりは正直全くなく、でも来たからにはなんとなくイベント周っときたいよね、位の感覚でウロウロしていた、そのスペースの一角。
ととは割と大きめのサイズだったのだが、実はヒョウモントカゲモドキは幼いサイズのほうが人気で、少々お値段も張る。そんな幼いモルフたちの中で、プラケースがひっくり返るぐらいグイグイと暴れるヒョウモントカゲモドキと、目があってしまった。
「なんでこんな狭いところに詰め込まれてんのよ、おかしいでしょ、出せやゴラァ」
・・・あれ、おかしいな、半年前に同じ幻聴を聞いた気がする・・・
気がつけば帰宅の電車の中、私の小脇にはさっきのふんぞりかえっていたモルフが鎮座していた。
初対面の図である。いかに新入りのこの子が小さいかわかっていただけるだろうか。(ととの貫禄たるや・・・)
この小さい身体の子は、信じられないくらいぱくぱくと勢いよく美味しそうにご飯を食べたので、名前はぱくと命名された。
飼い主の名付けの安直さは半年ごときでは矯正できなかったらしい。
彼らとの生活
爬虫類といえば、皆様はどんなイメージをお持ちだろうか。
こわい?気持ち悪い?
元来の爬虫類好きである私はそこまでのイメージはなかったが、犬や猫に比べるとそこまで感情はなく淡々とした生き物なのかな、と思っていた。
爬虫類カフェとかの爬虫類もみんな大人しかったし。
それが我が家に二匹が来て一転、そのイメージはガラガラと音を立てて崩れていった。
彼らはもう、そりゃあワガママで、自分勝手で、好きなときに寝て、すきあらば脱走を試みるもんだから何回心臓が止まりかけたか数え切れたものじゃない。とくにぱくの脱走癖はすごく、毎回こちらとの心理戦である。
このゲージは上の扉がスライド式なのだが、そこまで理解して自力で扉を開けて脱走しようと試みている図である。本来助けるべき場面なのだろうが、そこまでの知能を持っているという事実に思わず感嘆してしまった。
スライド式ドアが突破されてしまったのでゲージをパネル式に変更した。
高低差があったらアトラクション感があって脱走を試みるのを辞めるかな、とおもって流木を多めに入れたらそれを逆手に取ってパネルの爪を押し開けようとした。まじで賢い。その小さい頭のどこにそんな知能が詰まってるんだ。
まだ狭いのか、そうかそうか、ならば広くさせていただきますとゲージを広めのゲージに更に変えた。全面ガラス張り、広さも十分、扉も鍵付き、これなら安全・・・と思いきや、どうやって登ったのか、唯一ある送風口の金網によじ登って上のパネルを外そうと試みていた。知識って応用が聞くんですね。知りませんでしたと完敗の白旗を掲げた。
たまに脱走が成功して飼い主が血相を変えて家中を探し回って見つけたらこのドヤ顔である。頼むから脱走だけはやめておくれ・・・
あなたたちが、そこにいるということ
実は飼い主である私は、双極性障害という病気を患っている。双極性障害とは鬱状態と躁状態が交互に訪れる病気で、鬱の状態のときはベッドから身を起こすことすら困難だったりする。
そんな自分が動物を、尊い命を預かってもいいのか、守りきれるのか、最初はとても葛藤があった。
でも、ふたりが我が家に来て確実に変わったものがある。
にんまりと安堵して眠る、安全地帯を提供できているということ。
コロコロと変わる表情(不思議なもので一緒にいるとわかるようになってくるのだ)を横で見られるという幸せ。
指先の一本一本にまであふれる愛しさ。
ふたりはきっと、私のことはなんともおもっていないとおもう。うんこを何故か必ず取りに来る、不思議な人、位の感覚かもしれない。
それでいい、それくらいがちょうどいい。
あなたたちは、“ただいま”という相手がいる、その愛しさをくれる、わたしにとって大切な存在。
これからも私は、かれらにとってのうんこ取り係として、住環境を整えつつ、快適に過ごしていただきながら、一方的に愛を注いでいこうと思います。どうぞひとつよしなに。