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性的同意と性教育:アダルト動画など性の商品化の顕著な現代において

 みたらし加奈さんが回答する人生相談の連載。昨日の夕刊紙面に掲載されていた回では、恋人に性的同意の確認をとるべきかという30代男性の相談に、みたらしさんは投書の内容をそのまま恋人に伝えるように背中を押している。(このnote記事のタイトルにアダルト動画とつけたが、この人生相談にはAVの話は出てきません。)

 もし人生相談ではなく社会時評として読むのであれば、応用人類学者の磯野真穂先生のコメントプラスが補助線になる。文化人類学的な性のイニシエーションの解説と、生死の医療化同様にカウンセリングなど性の医療化の流れを予想したうえで、現代的な性的同意の論点として性の商業化を挙げている。

 また、みたらいさんも指摘されていますが、現代の性的同意の問題について考えるべき論点は、性の商業化でしょう。性を共同体の中で学ぶ機会が激減する中、多くの人がAVのような商業化された形の性をモデルとして使うようになりました。売るために作られているコンテンツですから、そこには過激さ・過剰さが当然伴います。しかし他にモデルがないので、それを現実で模倣しないといけないと思ってしまう。こちらは性の商業化、個人化の問題で、ここには金銭が絡むという点で、医療化とも結びつきます。

上掲記事に対する磯野真穂氏のコメント


 みたらしさんの回答では男性相談者に配慮しつつ、また性の暴力性の被害側に回ることの多い女性にも寄り添うように見える。

 「性」が「エロ」として消費されていくことは必ずしも悪いことではありませんが、その「エロ」が誰かを客体化していたり、暴力性を帯びたりしているときに、その情報をうのみにしてしまうことで、いつの間にか、自分や誰かの身体をモノのように扱ってしまうのです。そうなってくると「性」というものは、単なる「性」ではなくさまざまな意味をもちはじめます。自傷行為としての性行為や、自分を肯定したり否定したりするための性行為。相手の愛情を確かめるための性行為や、自分の存在を誇示するための性行為などが繰り返されるのです。

上掲記事におけるみたらし加奈氏の回答

 後段の「自傷行為としての ~ 自分の存在を誇示するための性行為など」の例は、話題の書籍『私の身体を生きる』に鈴木涼美さんらが寄せているエッセイにも見ることができる。


 自身の夫婦関係もさることながら、これから思春期を迎えようとする子を持つ親としては家庭での性教育も悩ましい。
 保健師の大石真那さんによる絵本を子どもの本棚に置いたり、動画を紹介したりと試みているが、果たして我が子が見ているのかはわからない。


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