谷口晋也個展『Spin on Ice』 / 作家インタビュー
―― もう窯焚きも終わったんですか?
今終わったところです。言われたらなんでも答えますよ。
――では早速、来歴からお願いします。
来歴・・・、五条坂の焼き物屋さんの息子に生まれる。で、大学は京都市立芸術大学へ、そのまま大学院に進み、助手をして、非常勤をして、今に至る、と。
――書いてある通りですね笑 もう少し詳しくお願いします。ご実家も焼き物にまつわるご家系ですよね?
一番最初はおそらく明治元年からですね。元々の屋号が『近江屋』で、明治維新の時に滋賀県の方から京都に来た焼き物の問屋さんです。曽祖父の時には自分で作り始めて、(京都の)東向日市に登窯を持っていたらしいです。工場もあって僕が生まれ育ったのも東向日なんです。曽祖父が始めた頃は清水焼として器を作っていたんですけど、「チャイナマホー」という陶器の魔法瓶を開発して、しばらくはそれがメインだったらしいんですよ。
――「チャイナマホー」、フリマサイトで調べると出てきますね。
あるでしょ?それが主力商品だったらしいんですけど、今はもう中の魔法瓶が手に入らないので祖父の代でやめました。そして父は絵付をメインにした清水焼をやっています。家業としては焼き物関係だけれども、ある時は問屋、チャイナマホー、清水焼、そして僕、みたいに家としてのスタイルがあるわけでもなく、時代に合わせて変化をしている。
――伝統工芸系のように継承されたスタイルがあるわけではないということでしょうか。
京都の焼き物屋さんの特徴として、世代によってバラバラになっている場合が結構多いんですね。清水焼・京焼というのは、備前とか信楽みたいにこれっていうスタイルがないんです。瀬戸とかもそうでしょ?その時代に必要とされるものを作る。そこにプラスα、京都の場合はお菓子とか茶道とか文化面からの影響も大きいんです。ニッチな道具類を必要とする富裕層の趣味によって成り立ってきた土地柄でもあるんです。だから個人作家も多い。僕も、これっていうスタイルを持つよりは、焼き物の範疇でやれることを色々やるっていう感じでいます。
――カルチャー主導のものづくりとも言える歴史があるわけですね。
備前とか信楽だったらその土地の粘土が取れる。そしてその材料ありきで作るから○○焼になるんですね。
でも京都は、掘れば多少は出ますけどそんなに取れない。どちらかというと特殊な消費地だったので、その周りでいろんなところが多品種少量生産を、文化と結びつきながら続けてきたわけです。
なのでそこは多少意識してますね。「青磁」とか「穴窯での焼成」、とか特定のスタイルをあえて取らないようにしてます。
あと最近思うのは、この年になってある程度長い期間焼き物をやっていると、スタイルが固まっていくんですね。どうしても。でも固まっていく方向だと僕自身が飽きる笑
それもあって、いろんなことを並行して少しづつやっていくようにしています。器も立体造形も並行しながらです。それが自分の今の状況。
――白白庵では器がメインですけれども、neutron時代は立体造形メインでの個展もされていたんですよね?
むしろそっちだけでしたね。だって最初は焼き物の人はほとんどいなくて、現代美術、絵画、映像とかがメインだったでしょ?その中に僕みたいな立体の人がちらっと混ざっていた。なのでその時のテーマを決めてそれに沿って新しい何かをする、という形で三回くらい個展をしました。
――neutronとの関わりもかなり古いですよね。
neutronができてすぐの頃からですよ。僕は大学院生だった二十数年前、三条のビルの五階だけやった頃。僕たぶん足田メロウさん並みに古いですよ笑 そこからがっつり関わるわけでもなく、かと言って関わらないわけでもなく。ずーっとオーナーの石橋さんのスタイルの変化に合わせてやっているという感じです。
僕の場合は器と立体物の区分けを意識的にあまりしないようにしているんです。立体をやってる人が「ちょっと器作ってみます」「茶盌とぐい呑もやってみます」みたいなのは嫌なんですよ。
そうではなくて器は器として、立体物は立体物としてちゃんと作りたいので、全部対応できるような立ち位置にいたい。だからいろんな案件がきても断らないし、器でも立体造形でもどうにかするっていう形です笑
そしたら自分の幅も広がるでしょう。自分だけでやってるとどうしても固まっていくので、意識的に外していくようにしています。
――とはいえ便宜上区分けはありますけど、一直線に繋がってますよね。『波濤』シリーズのように、器にもちゃんと立体造形作品としての側面が存在しています。
元々波濤のシリーズもニュートロンで発表した立体造形作品からの派生です。まだ立体系の作品がメインだったころに考え出されたもので。だから波濤の方は器が先じゃなくて両方行ったり来たりする感じです。
――香炉の形にもそうした繋がりを感じます。
これも三条にあったneutronの地下でやった時の作品からの流れです。
最初にやったことを捨てるんじゃなくて、変化させながらずっとやり続けてる。幅が広いのも、そうやって続けてきたことの種類が多いだけです。
――では、そんな中での今回の出品テーマについてお伺いします。
まず始まりは「ほんなら展覧会しましょうか」と。その時に、さっき言った波濤の元になった立体物、ああいうテイストのものでどうか、と石橋さんから言われたんです。じゃあそういう方向で、というのが第一。さらに言うと、素材的な側面からアプローチして、磁器の新しいテクスチャーのものも作りたかったんです。
今回のメイン「白妙」シリーズは全部無釉なんですよ。釉薬をかけずに磁器を焼いています。ひたすら削って、焼き上がったら磨いて作っています。焼物でも特に磁器って釉薬をかけて当たり前みたいになってますけど、そうでなくても別にいいんじゃない?という思いもあったんです。その方が素材感も出ます。
そして今回はお茶会もやるでしょう?やるんだったらお茶会自体は何か新しいことをしたいわけです。季節は夏。そうしたら中山福太郎氏が夏に面白いことをやってたのも思い出して、「この白妙の器はそれにぴったりじゃないか」と。実にうまく全部繋がったわけです。つまり「やれ」ということだろうと。
そんなわけで今回の展示のうち、「氷茶会」については新しいお茶会の形を器から全部作ってしまおうという試みでもあります。夏向きの、それにあたっての道具も作る。その方向性でいろんな部分が噛み合わさってピタッときているんです。これでいくべきと言う必然性がある。
――白妙の器はどんな作り方をされているんですか?
素材としては磁器で無釉で焼いて磨いて作ります。ただそれだけです。
――特殊な磨き方とかはされてるんですか?
ないですね。石を磨く耐水ペーパーです。要するに磁器って、焼いてしまったら石なんですよ。焼物って岩石が風化して土になって、その土を焼いたら岩石に近いものに戻る。なので石を磨いてるようなもんですよ。石を磨いたらツルツルになるでしょう。でも磁器の場合、焼く前は加工しやすいから、石彫ではできないような石っぽいものができるというのがミソです。磁器だからちゃんと焼くと吸水性が限りなく無くなるので、釉薬をかけなくても器として成立します。表情としてもぬるっとして、ちょっとこう、手触りとかも不思議な感じになるんです。ツルツルじゃなくて、なんて言ったらええんやろう?ナハァンとか笑
――絹とか滑らかな布みたいな手触りに近いですよね。
そうそうそう、そう言う感じです。柔らかさがある。ぬるぬるでもざらざらでもなくて、しゅるっとした感じです。磁器を磨くとああなるんです。だから手触りっていうのがポイントになるんですけど、作り手からすると意外と盲点なんですよ。もちろん焼締の磁器をやってる人は他にもいますけど、人によっては釉薬混ぜて焼いたりするでしょう?あれだとなんかちょっと違うんですよ。釉薬を混ぜるとガラスに近くなるんですけど、僕のはそうじゃなくて普通に焼いてあるだけ。その方が石感が増す。石感があって、磨くとぬるっとしてるのがね、またいいんですよ。
――高い温度での焼成ですか?
温度も高いし、二、三回焼いたりもします。もっと焼きすぎるとだんだん硬質感が出て、プラスチックみたいな人工物っぽさが出てくるんです。あまりにも人工物っぽいのも違うんです。そこまでは行かない柔らかさが欲しい。
――手入れなど取り扱いについてはどうでしょうか?
食器としていろんな方に使ってもらってますけれども大丈夫です。吸水性もないから陶器よりは汚れにくいですよ。全然大丈夫。さらに言うと食洗機もガンガンかけた方がいいです。だって食洗機だと研磨されるから。もっといい感じにツルツルになっていく笑
――初めて聞きました「食洗機推奨の器」笑
推奨ですよ。なんの問題もないのでガンガンかけてください笑
電子レンジももちろん大丈夫です。
どうしても落ちにくい汚れは耐水ペーパーで磨けば良いです。そして使えば使うほど磨かれていって表情も変わっていきます。ずっと家でも使ってるんですけど、だんだん光沢が増している気もします。
宝瓶も茶房で使ってもらってますけど汚れも問題ないそうです。
――緋色高台も同じ焼締シリーズですか?
そうです。あれは何か塗ってるわけじゃなくて、本当に火の色なんですよ。磁器って登窯で焼いたりしてもすごく緋色がつきやすい。綺麗な緋色がつくんですわ。それを見てたから、電気窯を使って出てきたこの色もそう言う感じなのかも、と思ったんです。
焼き物を焼くときに板の上に置くでしょ?その上に釉薬とかの成分が染みてるんですよ。
いつも焼いてると高台の裏側がこういう色になるんです。ということは高台の部分をもっと大きくしたら緋色がつくんじゃないか、と思いついて、この作品だと緋色がついている広い面を下にして焼いてます。還元焼成するときにその設置面に炎の通り道ができると反応してこういう色が出てきます。
どのように出るのかはある程度しかコントロールできなくてランダムですね。
――白妙の方はつかないようにしている?
そう、あれはつかないようにしてます。釉薬系のものが横にあると色が飛んできたりもします。
完全に接地してると白いまま、そこらへんの加減をうまくやると真っ白にもできるし、バリバリに赤くすることもできんことはないです。
――そう伺うと確かに磁器の焼締は盲点ですね。
焼物って面白いよね、っていう話です。磁器だと出るけど、白土だと不思議とならないんですよ。
――『波濤』シリーズについて伺います。
まずは素材として磁器の特性を活かしたものを作らなきゃと思ったんです。磁器だから薄くもできるし、尖らせても強度がある。輪花の器なんかでも強度が保たれるからできるわけです。
僕らが若い頃に、磁器をわざと土っぽく扱ったり、逆に土で磁器っぽい造形をする風潮もあったんだけれども、やっぱ素材に即した形でないと不自然になる。
次に僕の個人的な趣向として、定型よりも不定形に興味があるんです。波とか炎とか煙とか渦とかです。縄文土器も「火焔土器」って言いますけど、あれは不定形でありながらそれを形に落とし込んだ結果という感じがします。僕はそれがやりたいんです。シンメトリーではなく、不定形のものを形に落とし込んだものが水禍紋とか波濤のシリーズの大元。その中でも水の動きに注目して作ったものです。煙とか波とか渦とか揺らいでいるものを連想させるような不定形の形。それがそもそもの発想です。
――硬質なはずなのに動きの途中のニュアンスがあります。
静止してるものではなくて動きが感じられるものが作りたくて、有機的な曲線に興味がいきます。その上での素材との兼ね合いの結果、ああ言うものができるんです。
もうひとつ言うと、neutronで一番最初にやった時のテーマが「宇宙」で、螺旋とか回転とかもイメージのベースにあって、そこから波濤に繋がり、くるんとした形になる。そんな感じです。
――歴史とともに紐解くことができて感慨深いです。
やっぱり最初からずっと繋がってるんです。ちょっとずつ形は変われども大元はずっとあってそこから派生していくんです。器でも立体造形でも、それがどこかで繋がって形になるのが自然な流れですね。
――無理に作るわけでない自然な流れが大事である、と。
そもそも焼物って素材が土に限定されてますよね。それが現代美術とか彫刻と大きく違うところです。その土俵では自分の言いたいこととか作りたいことがまずあってそれに即した素材を選ぶ訳です。僕らはまず土という素材ありき。そうするとその素材感を無視できない。素材感を活かしつつ、その中で発見をしながら自分の言いたいことを混ぜ込んでいかないと、わけわからなくなってしまうんです。
場合によっては土で作らんでもいいんじゃない?ということにもなる。
かたや、あんま言うと角が立つけど、どこかで掘った土をそのままただ薪窯で焼いてどうにかこんな風になりました、というのも「焼物」に寄りかかってしまってる状態に思えるんです。僕はどっちも、真ん中らへんが好きなんですよ。細かい絵柄を描きまくったのも凄いし、シンプルなものの良さも分かる。でも自分は折り合いのついた真ん中らへんってないかな、って思ってます。過不足なくある、というくらいの。
――確かに言い方によってはいろんな角が立ちますね。
そう笑
でもそれが間違ってるとはよう言わんのよ。ただ考えてくと自分にはちょっと違うよね、とも思うんです。大学の時に彫刻の先生にも「言いたいことは分かるけど、それを土でやる理由が希薄である」ってよく言われました。そりゃそうやと。だから結局、土を素材にして立体造形とかやると、どんどんポエムになっていって、抽象的なニュアンスが増えていってしまう。そうすることしかできなくなる。そして後付けでいろんな言葉を並べることになってしまいがちです。それは気をつけようと思ってます。
――笑
そんな話をよくかのうたかおさんともきゃっきゃっとやってます。その上でぶつかるのも大事なんですよ。かのうさんともよくぶつかるけど、それで関係性が崩れる方がおかしい。逆に当たり障りのないことしか耳に入らないのも怖いでしょう?年齢を重ねるにつれそれがよくわかる。
――大人になるにつれ角を立たせないようにしますからね。
そのほうが安全ですもん。福太郎さんもある時、みんながあんまり褒めるもんだから不安になるって言ってました笑 怒られたい、と笑
ものとしても中道がいいと思うんです。そうしたことが不自然じゃなくなるように。そう言うことです。
――絵付師konikuさんとのコラボシリーズについてお願いします。
以前に『京焼今展』という京都の焼き物の人たちが集まって展示をするイベントをやっていたんです。それは焼物と焼物以外の人、お茶とか造園とかいろんな人とコラボするのが趣旨でした。その際に職人さんとか絵付の人たちにも入ってもらって、何か一緒に作ろうという機会があり、その時に出会ったんです。
僕は器に絵を描くところまでは無理ですけど、この人だったら任せられるな、というシンパシーもあって。そしてやるならば模様と形が乖離してたらあかんのです。「こういう模様があるからこの形になる」と「この形があるからこの模様になる」の折衷くらいを目指してやっています。
――確かに他の作品シリーズとも形のニュアンスが違いますね。
プロダクトも僕にとって大事な要素で、分業には分業の良さがある。絵を描くにしても「こういう絵を」とは言わないです。「こういう模様が描きたい」「ならこういう形にしよう」というやりとりを詰めていくことで、それぞれの名前もちゃんと出せるようにしたいんです。
最初から最後まで自分が作らなくてもできるものがあってもいいんです。これもゆっくり並行してやっています。
――中山福太郎さんも『京焼今展』からのお付き合いですか?
もう長い付き合いですね。『京焼今展』で和菓子の方とコラボして、器と和菓子の一体化を目指しつつ、それをちゃんとお茶会で使うという形にしたかったんです。その時に一番適任なのは福太郎さんじゃないか、ということで呼んでくれたのがきっかけ。そこからの付き合いで色々とやってます。僕の作ってるものも大体知ってくれてるし、彼のお茶のスタイルも大体理解しています。
お茶人さんって、昔は利休にしろ織部にしろ遠州にしろ、自分好みの何かを作らせてたでしょ?そういうのをやりたいというか、やってよ、と笑
あるものだけを使うのではなくて。新しい何かを道具として作り出すのも楽しいですし、お茶人さんって最終的にそれしなきゃいけないんじゃないかな、って福太郎さんにも言ってます。
そんな中で今回、彼が夏に氷を使ってお茶会をするわけですよ。そのための道具なんてないんですよ、もちろん。それに元々抹茶は水では点てられないわけです。だけど文明の発達で、フリーズドライの抹茶が出てきたんですね。夏は暑いし冷たいのが飲みたいじゃないですか。じゃそれでやりましょう、ということです。そのために道具を作って一から新しいお茶会をやってみるんです。
――なるほど。
昔も暑いから夏場にはあまりお茶会をしていなかったみたいですし、少しでも涼しいように早朝とか深夜のお茶会になってたわけですよね。その時代にも今のテクノロジーや道具があったら何かやってたかもしれないですね。お茶人って本来そういうのを工夫して生み出して後世に残す人じゃないですか。だからで福太郎さんに「よろしく!」と笑
――では〆の言葉を。
半分は新しいお茶会のお披露目です。そして今回力を入れている磁器の焼締・白妙シリーズはずっとやってきたことの一つの区切りです。普段作ってるものと違うわけじゃなくて全部繋がっています。neutron tokyoの個展は土瓶と水琴窟でしたからね。長い期間を経て色々変えながら、最近作った水琴窟もあります。
もう一つ、最近力を入れてるのは飲食店と何かを作ることです。飲食店での使い方に合わせつつもこちらのテイストを出す。盛り付けたら完成になる器を究めていくことですね。だからバーとかが多くはなるんですけども。そうやって合わせて作ることでまた自分の幅が拡がって、今後の何かに繋がる機会になれば良いかと思いますね。