角居康宏個展『えん。』 / 作家インタビュー
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――まずは今回のタイトル『えん。』とそのメインビジュアルとなった作品シリーズについてお伺いします。
昔、『円相』という作品を発表したんですね。直径1mくらいの彫刻作品です。通常、彫刻を制作する時には同じシリーズをいくつも作って、連番にして発表するんですけれども、これに関してはこの1点だけだったんです。
そして彫刻作品を作る時にはコンセプトだけを決めてスタートして、完成形の想定はしていないんです。その時は「始まりと終わり」とか「収縮と拡散」などの相反する事柄の、矛盾を矛盾なく取り入れる形として円を作ったんですね。けれどその1点しか作らなかったので、まだ思索が深まりそうなのに、核になる扉がまだ先にある感じがしていたんです。ずっとやりたいと思っていたその続きに取り組んだ形です。
今回、円に首をつけたんですよ。作ってみてイメージが繋がったのが、”対称性の破れ”の話。物理学者の南部陽一郎さんや小林・益川先生が述べていたお話で、世界に物質が残ってるのはなぜかという思索ですね。円にこの首を作るのはある意味では破れの話なんだな、という感じがしたんです。破れを作るのに、「円を繋がない」という方法もあったんですけど、そうではなくて円が破れるという状況。円が壊れていく、対称性が破れる状況。あるいはバランスが崩れていく状況ですね。安定が崩れていくことを考えてわざわざ首を作ったんです。その上での美しい形というものを考えていました。
円環なのでどちらが表とも言いにくいんですが、内向きに磨いたもの、外向きに磨いたもの、全く磨いてないものとあるんです。例えば仮に、全く磨いてないものを原初の円のイメージであるとするならば、そこから調和して拡散していく円と収縮していく円のイメージがある。そしてこの形そのものが答えになるわけでも、この作品によって示される決まった主張があるわけでもない。この作品からその先に僕が何を考えていくかが大事なんです。僕は何かを理解するために物を作ってる感じがするんです。特に彫刻に関しては。何かへの理解を深めること、そのために今回の『円』シリーズを作ったんです。
――円が破れてまた別の何かに移行する途中とも捉えられますね。
そうですね。僕のイメージでは出来上がって完結しているものではないですね。フローして移行する中のある一点ですし、拡散する円と収縮する円では多分次元も違いますよね。そうすると粒々がマルチバース的なイメージにも繋がるかもしれない。
――泡宇宙論っていうくらいですしね。首から繋がる台があることで移行のイメージが強調されるように思います。台から生えてきたのか、台に入っていくのかわかりませんが。作る際に何かイメージされてましたか?
今まで「台についてそんなに執着してはいけない」と思い込んでたんです。彫刻あるあるですね。だから今まではそっけなく鉄で作っておけば良いや、くらいの感じでやってたんですけど。今回は台まできちっと作品として見られるように作りこんでみよう、全部に手を入れて隙のない感じにしてみたらどうだろうと考えたんです。やりすぎるならとことんやった方が良いという持論もあります。
台も含めた全体が作品ですけど、結局台の方により時間かけて作ることになってしまいました。むしろ台だけで見せて良いな、と思えるくらいまで。「シンプルな四角柱でこんな綺麗に見えるんだ」というのは新しい発見でしたので、今後の制作にも繋げたいですね。
――テクスチャーも豊かですね。
凄い手がかかったんですよ。素材としては上がアルミで下が銅です。どう?
――笑 いろんな表情が出ていて色味も面白いです。
基本の着色法はあるんですけど、本来だったら後に持ってくる手筈を先にやって手順を逆転させたり。そんなことをしてます。
――事前のやりとりでは「今回の作品についてはあまり多くは語らず鑑賞者に委ねたい」とおっしゃってましたね。
今割と話しちゃいましたね笑
ただ「破れ」から先については、僕の中で想定してイメージしてることはあるんですけど。まだ確定しているわけでもないし、まだ話せないな、とは思ってます。ぼやかして書いておいてください笑
――ご覧になる皆さんそれぞれに、そのさらに先を見てもらいたいですね。
――今回はお茶道具にも力を入れて制作していただいてます。まずは茶盌から。
今までも茶盌を作ったことはあるんですけど、夏の冷茶用としてでした。今回はこの季節なので、通常のお点前の中で使えるものを作りたかったんです。なので今回は二重構造に挑戦しました。
(白白庵主宰の)石橋さんとの打ち合わせの中で「ちゃんとお茶を点てるなら二重構造にしなきゃダメなんですよね」って話をしたら「楽しみにしてます」と返されてしまって笑
じゃあ作るぞ、がんばるぞということで。
――作ることになってしまったわけですね笑
もちろん前々からやってみたかったんです。いろんな種類のお茶道具を作ってるのに、主役となる茶盌を作れていないのは気になっていました。そもそも金属の茶盌が成り立つのかもわからなかったですし、やるならきちんとやりたかった。金属だからキラキラが良いというわけでもないので着色もしたんですが、器として使える着色技法も限られます。結果としてお茶道具として成立する渋さには収まったな、と思います。実際に熱湯を入れてもちゃんと持てるのでホッとしました。
――素材についてご教示ください。
外が銅で内が錫ですね。口元をろう付けして繋いでいます。中空部分に水なんかが入ってしまうと熱が伝わりやすくなってしまいますので、きっちりとやってます。
もうひとつこだわったポイントがあって。実は天目茶碗に覆輪をかける仕事を度々やらせてもらってるんです。それもあって、茶盌をやるなら覆輪のかかってる感じにしたかった。焼き物の場合だと、内側と外側に2mmずつくらい輪がかかってる状態になります。今回は内側が錫なので、それがそのまま外にめくり返って覆輪になってるのは面白いな、と思って作りました。
金属の茶盌を、お湯を入れる前提で作る人も人はいないでしょうし、覆輪をかけられる人もあまりいない。両方できるのは僕くらいですから、これは自分がやらないと誰もしない仕事です。面白いという納得と満足感があります。
――実際に熱いお湯を注いでみると、遠くから手に熱がやってくる感じがあります。熱そのものを優しく掌で包み込んでいく感じと言いましょうか。金属なのに固さや強さよりも柔らかさが伝わってきて優しいですね。
そうですね。空気含んでいる分、普通の抹茶碗よりも手触りも柔らかいのではと思います。もしかしたら楽焼を持った感じにちょっと近いかもしれないです。初日のお茶会でも実際使っていただく予定ですし、ぜひ皆さんに手に取って体感していただきたいです。
――次に柄杓について。
先日白白庵で開催していた大下邦弘さんによるガラスの柄杓を見て、あれ以上にシャープなものを作ろうと思ったんですよ。素材はアルミです。使い方によっては安っぽくなってしまう素材を上質かつシャープに仕上げることを念頭におきました。
――まさに金属でないとこうはならないというシャープさですね。
湯気の中に浮かぶとかっこいいですよね。そもそもアルミを選んだ理由としては重さと使い勝手のバランスを考えた必然なんです。銅だと重さが三倍になるし、錫だとあんな細い持ち手は作れない。アルミしか使えないからどう仕上げようかなと。それで湯を掬う合の外側を、鏡面と曇らせた部分とで対比にしました。さらには内側の底面も鏡面にしてます。覗き込んだ時に自分の目がうっすら映るイメージです。きちっと考えて作りこんだおかげか上質に仕上がったかなと思います。
それと普通の柄杓の場合は、合の方にスリットを入れて柄を差し込む作りになってます。アルミの場合はろう付けも溶接も難しい素材なので、リベット一本で、金属らしいやり方で潔くやりました。一層上質に見せるために、リベットの頭も旋盤をかけてあるんですよ。
――ディテールを伺うことで作品の世界観が立ち上がってくるのが面白いですね。続いて茶杓について伺います。
柄杓の次に作ったのが茶杓でした。柄杓が上質に仕上がったので、これもアルミでいけるな、と。茶人の皆さんは重量を気にされることが多く、重いのは嫌がられます。なのでまずはアルミでやってみて、その次に真鍮でも作ったんです。真鍮は存在感の強い金属なんですよ。こちらは形の限界としてどこまで細くできるか、使いやすさとのギリギリのせめぎ合いの中で作りました。ぎこちなくない程度に柄の細さと頭のバランスを取って、柄の真ん中のラインも細く作りこんでいます。
――二本並べた時に素材から導かれるシルエットの違いを強く感じました。
そこを強く意識していましたね。アルミの方はゆったりとしたラインで上質に仕上げ、真鍮の方はギリギリまで細くして、それぞれの素材の特性を活かすようにしています。
そして、普通の竹の茶杓だと同材で鞘を作りますけれども、それを革でやってみたらかっこいいかな、と思いました。金属と革って相性良いんですよね。当たりも柔らかいので単純にケースとしても良いです。それぞれの色に合わせた革で縫いました。蓋は錫で合わせてます。
――蓋置についてお聞かせください。これは・・・どうなってるんですか?
金属って厚みが作れないのがネックになってるんです。手をかけた面の作りで勝負したいから、なるべく断面は見せない方が良いんですよ。水盤にしても蓋置にしても、今までは断面を見せるような形で作ったんですけど、そうじゃなくて金属の存在感で見せたいと思ったんです。
それで中空の状態で厚みを見せて、かつ断面が一切無いように作りました。蓋置は下の方に足を五本つけてます。亭主だけが「この面白さを誰も知らないな」という状態でお茶を点てる。後でお道具拝見で「これはなんだ」となって、足を触った時に気づいてもらえるように。その時に亭主がにっこりできる仕掛けですね。畳に置かれた姿を見てるだけでは何気なくポテっとした形で、持った時に仕立てがわかるような作りにしたかったんです。
水盤もその延長で制作しています。
実際のところ、ナイフみたいにキレのある姿よりも鈍重なものの方がデザインとしては好きなんですよ。個人的な好みとして。ナイフよりもナタみたいな方向に近づきたいんです。柄杓を作った時にものすごくシャープに仕上がって、それでバランスを取りたくなって作ったのがこの蓋置と水盤です。
――続いて茶入について。
最初に途中まで作ったものは、底の中心と口をずらしてみようと思ったんですけど止めました。「茶人はそれを求めるだろうか?」と考えたんです。主にオーセンティックなものが求められるお茶の世界で、金属の茶入という時点で既になかなか珍しいことです。その上で形も不定形となると、ズレが大きすぎてただの自己満足になってしまいます。だから形だけはオーセンティックな部分を踏襲して、そもそも格が高い茶入という道具を上質に仕立てるべきだという意識で作りました。
形自体は筒形で金属と相性の良い形、それを少し大ぶりに仕上げています。錫の胴に真鍮の蓋です。少し着色して胴のトーンを抑え、蓋の金色がより目立つようにしました。口も叩きではなく旋盤で削って、よりすっと背筋がのびる感じに、そして隙を与えないようなつもりで作りました。
――他にもいろんなお茶道具がありますが、後はスタートしてからのお楽しみですね。続いて酒器関係について伺います。cobosシリーズのバリエーションが豊かになりました。
今年の春に神戸でcobosシリーズメインの個展をやりました。その流れで色々と揃ってます。「盛りこぼし」という文化自体は皆知ってるのに、そのための道具は誰も作ろうとしない。器屋さんもたくさんあるのに全然見かけない。湯呑には茶托がつくのに、お酒にはない。ということでこのシリーズは楽しんで作ってます。もはや啓蒙活動ですね。ぐい呑と皿をセットで買わないといけないという経済的負担をお客様に強いるわけですが笑
啓蒙活動をする中で他の作家の皆さんも作ってくれるようになったら面白いですよね。
今後の展覧会でも定番としていろんなシリーズを作ります。キャッチーなものから捻りのあるものまで、バリエーションを広げて作っていきます。
――では次に新作の花器について。
スリットが入ってると性的なニュアンスも匂ってきますね。今年はそういう傾向の作品が増えてるんですけど。若い時に作ると欲望が暴走してる感じに見えてしまうけど、この年になるとまぁ良いかなと。そこはかとない感じで散りばめていきたいな、と思ってるんですが。「直球だね」とはよく言われます。
――全然そこはかとなくないですね笑
年寄りになって暴走するパターンもありますからね笑
――ルーチョ・フォンタナのイメージにも繋がります。
切り裂くという行為と性衝動には近しいエクスタシーがある感じがします。壁掛け作品のスリットを作ってみて、フォンタナも多分そう感じてたんだろうと思いました。縦でも横でも。
――DM用作品一式が届いた段階で、DM表面の『円』シリーズがちょうど対に見えたんです。そしてスリットの壁掛けと合わせて眺めると創造神話っぽいイメージもあるな、と感じていました。
どこの国の神話にもありますよね。現代って社会が進みすぎたおかげで性に関してのタブーが表向きは多くなっています。でもどこの国の神話を探っても元々はそのタブーが無かったはずなんですよね。ゼウスも暴れ回ってますし。日本神話の国産みのイメージもそうです。
表現をする上で今まで自制してた部分を、だんだん物がわかるに連れて隠す必要がなくなってきたという感じもあります。
円の作品を作ると、どこの会場でもその作品に入り込みたいとか飛び込みたいという感想が出てくるんです。そこと性衝動の兼ね合いもおそらくある。イザナミが黄泉の国に入るのも、イザナギが穴に潜って探しにいくのもそうです。死と性衝動だって真逆に見えるけど同じ方向を向いてる可能性もある。ジョルジュ・バタイユがセックスを「小さな死」と言ってますが、その感じも分かるんです。
――そう考えると『円』のシリーズはタナトスとリビドーが同一のものとして繋がるイメージですし、彼岸と此岸、表と裏が同一空間にあるわけですね。そこに破れとかスリットが加わる。
それぞれに自分の意図はありますし、思ってることはありますけど、ご覧になる皆さんもこうやって作品のイメージを繋げて楽しんでいただけたら嬉しいですね。
――宇宙的創造神話的イメージに繋がって。今回のショットグラスのlettersのシリーズについて。
先日名古屋で開催した個展のテーマが「線」だったんですよ。線を点の集合体として捉えて作ったんです。例えば銀河がどんな大きさだったとしてもここから見るとM82みたいな記号でしかない。自分だけが記号じゃない。自分と関わりのある人は多少記号じゃなくなるかもしれない。そして遠くなれば全て記号になってしまう。そういうものの集合体として線がある、という風に考えて作っていました。
人は人が集まるところに集合したがるので、その結果として集合体ができます。都市に人が集まり、層になると非常に分厚い層となる。一本のシャープな線で出来上がる線もあるでしょうけど、点の集合体として線を考えた上で出てきた形ですね。
――注器も変わった形のものがありますね。こちらは口が下を向いています。
下向きの注器って無いですよね?こぼれるから笑
これもcobosのシリーズで作ったんです。
中は覗きましたか?口の付け根の内側にカバーがかかってるんですよ。そうすると中でサイフォン構造ができるんです。だから口の付け根まで水位が上がると、口の先っちょのレベルまで水位が下がるんですよ。液体を足して口の付け根の高さまで入ると、自動的にぐい呑一杯分くらい外に出ちゃうんです。
水平とか上向きの口は見慣れているので安定感のある形として認識できるんですけど、下向きの口って安定感がないから本当に形にならないんですよ。カッコよくならない。それで口ばっかり10個くらい作ってこの形に落ち着きました。その違和感を和らげるために蓋にゾウさんがいます。
――ゾウさんの鼻は上向きですね。もうひとつ不思議な注器。パイピングのものについて。
それも線をテーマにして、稜線を作りこんだんですよ。パイピングは服飾の世界ではごく当たり前ですよね。袖口にレースをあしらったり、ラインを入れたりする。線を強調する上でそういう手があったか、と。それで真鍮の薄板を稜線上に貼り合わせるという凄くめんどくさい作業をしたんです。
注器に関しては今までも色々作っているので、せっかくなら誰も見たことのない仕事をしたいんです。当たり前ですけど。その見たことのないものにするためのネタはいろんなところから持ってくるんですよ。パイピングって服飾では当たり前なのに、僕らはツルツルなまま納得してるのも不思議だなと思いましたね。
――パイピングの視覚効果で、写真に撮ると平面的に見えて形がわからなくなるんですね。写真で立体に見える角度は非常に限られてます。不思議な構造です。
制作の前に紙にメモでイメージを描くんですが、頭の中で思い描いても絵がかけないものもたくさんあるんですよね。そういうのは「できるのかな?」と思いながら、とにかく作ってしまうしかないんです。そういうことってワクワクしません?
――そのワクワクは作品から溢れ出てるように思います。
実は今年一年を通して新作しか作ってないんです。スケジュール的には辛い毎日なんですけど笑
この歳になって作ることを楽しんでる自分がいるんですね。まだ開いてない扉がこんなにあったのか、と驚きながら超楽しく作ってます。
――角居さんが初めて作るということは、世界にそれまで存在しなかった誰も見たことの無いものが揃っています。展覧会スタートを楽しみにしています。