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富田啓之 個展 『宙二廟』 / 作家インタビュー
豪胆な造形作品、古陶をモデルに現代的な姿へとブラッシュアップした茶道具、優美かつ奔放な器たち。SFと桃山と中二の心を行き来してイマジネーションを刺激する富田啓之の作品は各国の好事家たちから高い評価を受けています。
昨年2023年の『魔神ゴールド』に続き白白庵では六回目となる個展前、作品制作途中に行われた最新インタビューでは、ルーツから最新モードまでを巡ります。どうぞお楽しみください。
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――ということで、まずは自己紹介から。陶芸家になるまでの経緯をお願いします。
話すと長くなるんですけど。ある日「陶芸家の助手をやらないか?」っていう電話が来たんですよ。23歳の時に。
僕は高校三年生の頃から東京藝大を狙って美術系の予備校に通ってたんです。家が貧しかったので国立の大学がいいなと思って頑張ってたんですけど、三浪して受からなかったので受験は諦めました。そこから父の建築板金加工の仕事も手伝いながら、生まれ育った大磯でふらふらとアルバイト生活をして過ごしていたんです。
浪人してる間も、三浪目の年に予備校費を20~30万くらい滞納してしまって、その予備校から鉄工所のアルバイトを紹介して貰ってそれで支払ったりとか。そこでは都内のレストランの内装とかもしてたんで良い経験にはなったんですけど、受験のタイミングもあって十ヶ月くらいで辞めて、その後はずっとふらふらとしてて。
で、ある時またその美術予備校から電話があって、「隣町の平塚で陶芸やってる先生が一ヶ月だけでもいいからとアルバイトを探してるんだけどどう?」と。じゃあ一ヶ月だけ行ってみます、っていうのが2000年。それが陶芸のスタートです。だから陶芸家になりたいという目標を持って始めたわけでもなく。暇してるのを見かねた予備校の先生が心配してくれてのスタートですよ笑
――とは言いつつ、ものづくりの家系ではあったんですね。
元々は小田原の方の鋳掛屋さんとか金物屋さんの家系です。
祖父が大磯で「富田商店」という屋号で家族経営の建築板金業をやっていて、銅葺きの屋根を作ったり、お茶室の水屋の炉を切ったりとかもしていたそうです。
詳しい経緯はわからないですけど、僕が小さい頃にその会社を畳むことになって、父は独立して板金の仕事をしていました。
――金物を扱う家系に生まれ、時は流れて陶芸家の助手になって。そこから独立される。
初個展は2006年でその後2007年に独立しました。
陶芸家の伊集院真理子先生のところでは2006年くらいまでは助手として働いて、その後もしばらく週三回くらいはアルバイトでお手伝いに行ってたんですよ。最初からすぐに食っていけるわけでもないですし。そういう独立準備期間も何ヶ月かあったので、まともに弟子をしていたのは5年くらいです。
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――その後個人作家として活動の幅を拡げていくわけですね。
その初個展がきっかけで色々と開けた形です。
藤沢のジネタというギャラリーで開催したんですけど、そのオーナーさんが鉄装飾というかアーティスティックな鉄の製品を作っていて、僕が20歳の頃働いてた鉄工所ともよく仕事をしている間柄だったんです。そもそも伊集院先生と美術予備校の先生もその知り合いで、当時はよく知らなかったけど、ローカルな大人のつながりに支えられていた形です。
おかげさまで作品もかなり旅立った初個展でした。
で、この時に作品を気に入ってくれた藤沢在住のマダムが自分の家を陶芸教室にしていて、そこで働かないかと誘われたんです。
さらに葉山にあるGallery蓮RENの方々も伊集院先生の繋がりでいらっしゃって、そのまま次の個展も決まり、その上「うちも陶芸教室やってるから講師やらない?」とお誘い頂いたんです。もっと言えば茅ヶ崎の銅版画家さんにも気に入られて、日本橋の砂翁っていうギャラリーを紹介されそこのオーナーさんにも目をかけていただいて・・・
要するに初個展の間に次の個展が二件と陶芸教室講師が二件決まったんですよ。これで助手を辞めても生きていけるかな、っていう土台ができた。
でもその時にはまだ自分の工房を持ってなくて、話を逃しちゃまずいと日程だけ決めて「やります!」と笑
そこから個展に合わせるために工房を探したんです笑
――そして伊勢原に工房を。当時から今の作風、スーパーノヴァ的なものって作られてたんですか?
作ってましたね。初個展のタイトルが「サークル」で円環とかそういうのはテーマにあったんですよ。もちろん今のとはちょっと違うけれど。
――おお。最初の頃から器と造形を両立するアプローチだったんですね。
僕にとっては器の概念の方が後から入ってきてるんです。器が好きで色々知っててで陶芸家になったわけじゃなく、たまたま陶芸家の助手になっただけでしたから。家は板金加工で、鉄工所での仕事もして、さらにその前は予備校に行って絵を描いてたからデザイナーとか現代美術の方が目にする機会は多かったです。
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――今だと古陶などを手本にされてますけど、それはいつからでしょう?
それは独立してからですね。初個展の頃は先生の写しみたいな作風だったかと思います。
初個展も「いつまでも助手を続けるわけにもいかないし、30歳までには独立をしよう」と決めての開催で、表現欲求が積もり積もってという話でもなかったんですよ。
自分に自信をつけたかったし、辞めるからには先生にも安心して欲しかったので。
――制作スタイルよりもまずは先生を安心させよう、と。
だからその時点ではやきもののことを全然知らないし、そのことにも辞めた後に気づくんですよね。陶芸の勉強をしてたわけじゃないから先生の焼き物しか知らない。もっと言えば助手の仕事をやっていただけで、陶芸そのものをしていたわけじゃなかったんです。
それで片っ端から陶芸関係の美術館とか展示会を見て回り、その中でビビッときたのが2007年に出光美術館で開催されていた「志野と織部」展。
四百年前のやきもの、いわゆる桃山陶をまとめて見て、素直に「すげーかっこいい!」と思ったんです。それまで全然知らなかったけど、まずはこれを疑わないでいこうと決めたんですよ。みんなが良いって言ってるんだから、これを美の基準として動かさないように。疑ってあれこれ言うよりまずはそこを信じようと。もちろんそれで違和感もなかったし、これはかっこいいんだと決めたんです。
織部みたいな楽しい茶盌があったり、野武士みたいな志野茶碗『羽衣』とかのごわっとした世界観があったり。長次郎みたいに色がたくさんあり過ぎて色がなくなって見えるような朧な世界とか全部が同時にあった時代ですよね。黄瀬戸の端正な感じとか、多様性のある価値観を一度に見られたのは良かったと思います。本当にそれがきっかけで、今でも器を作ろうとしてまず古陶磁の形が出てくるくらいに大きな影響を受けてます。
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――その後は国内外の展覧会、ホテルや旅館などの大型作品制作も多数、そして「大磯うつわの日」や「陶ism」の運営に関わられたりと精力的な活動をされ、2021年には群馬県邑楽町に移住。その辺りのお話も伺いたいところですが、時間と紙幅の都合でまたの機会に。
それでは今回の展覧会の話に移ります。『宙二廟』はどのようにイメージをしていますか?
僕じゃなくて(白白庵主宰の)石橋さんがつけたタイトルですからね笑
もちろん自分なりに解釈はしてますよ。制作活動とか、何かを表現したいっていう衝動に駆られるのは中二病的な心の動きがあるはずです。自分の能力を過信しての「もっとやれるはずだ」って思う自分がいて、そこに至らないことのもどかしさによる自意識とのギャップも、さらには他者からの視線を意識することもありますよね。そういう軋轢とかチグハグでまとまりのつかないものが圧縮されたところに根源的な制作意欲があると思うんです。今となっては注文の締切とか展示会のスケジュールに合わせて作る、みたいなシンプルでまともな制作理由もあるけど、初期衝動としての中二的な心の動きはエンジンとして絶対にある。それはほんとに根底にあります。
――創作においては中二病は手放せませんからね。
今だとちょっとポジティブなイメージもあるけど、昔はもっと馬鹿にされてましたよね。
でも、『宙二廟』って表記はいいなって思ったんですよ。今やってるスーパーノヴァとか古材を使った作品も古墳とか廟の意味合いが強くありますし。もちろん宇宙的なイメージもありつつ、「二」についても「自他」とか、「複数の世界」や「異なる視線」などは意識はしてますね。
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――ではスーパーノヴァについてお伺いします。今回はこのシリーズをフィーチャーした展覧会になる予定ですが、どういったきっかけで作り始めたんですか?
原点は古いです。小学校の頃から映画が好きだったんですけど、家が貧しかったからビデオデッキとかなかったんですよ。だからお金を貯めて隣町の平塚まで一人で映画館に行って、千円で三本立てとかのやつを観てました。ターミネーターとかエイリアンとかのSFが凄く好きで、80年代のそういうのばっか観てたんですよ。
中学に入った頃、姉がバイトしてでかいテレビとビデオデッキを買ってきてくれて、それで近所のレンタルビデオ屋とか、映画マニアの父親がいる友達からいろいろ借りて一日四本とか見てたわけです。
ある日、名前は聞いたことあるけどよくわかんないなと思いながら『2001年宇宙の旅』を借りてみたんです。そしたら全然違うじゃん、これが映像表現か、と。その時中学一年でめちゃくちゃ感動した。それでキューブリックを調べて作品を片っ端から観たわけです。それこそ『2001年宇宙の旅』の猿がモノリスに出会って知識に目覚めるみたいなことが自分に起きたんですよね。
で、その映画の「人類の夜明け」パートでモノリスが白い月とシンメトリーになってる画面があるんだけど、あのシーンがスーパーノヴァの造形に繋がってるんです。シンメトリックな星と人工物。人工物なんだけど超自然的なもの。あの印象が直結してる。
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――確かに。あの映画に出てくる宇宙船とかの造形にも近いイメージを感じています。
それに加えて「回転」という見方もありますよね。星が最終的に爆発してブラックホールになったり、新しい星が生まれるサイクルを考えるときに、どうしてもドーナツ状のものを想像してしまうんです。
そんな風にシンメトリックな画面のかっこよさを脳裏に残しながら、陶芸を眺めてみると、円環型の土器もあると知るんです。近現代だとハンス・コパーもそういう表現をしている。古墳時代から現代に繋がるんですよ。ただハンス・コパー展に行った時は正直「俺の方がいいな」って思っちゃったんですね。
建造物のミニチュアっぽくてこぢんまりとして見えるし、土味とか焼き味とか陶芸的な要素はほとんどない。だったら日本的な、窯を信頼してできるテクスチャーとかで見せた方がこの形はかっこいいんじゃないかと思ったのも今に繋がってます。
たまに金彩をスーパーノヴァに入れてみたりはするけど、やっぱりどちらかといえば土っぽさとか土そのもの、地面とか鉱物とか、星のリアルな感じをイメージできるものにしたいんです。空に輝いてる星も、キラキラ光ってる砂粒とかサンゴのかけらみたいな小さいイメージで眺めちゃうけど、近づいたら本当はとてつもなくすごい質量ですよね。
そこをしっかりやろうと思った。イメージとしての星じゃなくて、地に足ついたものを作ろうと。
――コパーの作品はシンメトリックですけどスーパーノヴァは崩していきますよね。
そうですね、崩します。陶芸のいろんな名品を見て学んだんだことで、良い物ってシンメトリーぽく見えててもちゃんと崩してあります。それが見せ方の技術。キューブリックもよく見ると完全なシンメトリーにはせず少し崩してて、ああいうのはすごく参考にしてます。
その方が自然に見えますよね。
――キューブリックはシンメトリックな印象を作ってるだけでそこを揺らしてくる感じもあります。
そう、まさに揺らぎ。だからみんな陶芸が好きなんですよね。焼き味とかも勝手な揺らぎが出てしまうし、ギターのディストーションもそう。リズムも揺らぎが重なってグルーヴ感を生むんだろうし。
――完全に整ったものじゃなくて揺らぎをどう取り入れていくか、という視点がある。
で、やっぱり根本は星なんです。細かく見れば星だって巨大な山脈とか海溝とかがあるんだけど遠くからだと丸く安定した形に見える。
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――造形の構成としては基本となる円があって、カットしたものを組み合わせていくんですね?
それは決めてます。作りたい形っていう風にやってないんです。基本的には単純なものをカットして、再構成していく編集作業。基本的に定規とコンパスで数学的に表現できそうなものにとどめたいという気持ちもあります。テクスチャーとか肌触りにはもっと細かい情報量が詰まっているようにするけれど、質量を持った形自体はあまり複雑にしたくない。道路標識を作っているのに近いかもしれないですね。伝えたいことをいかにシンプルな形でどうできるかみたいな。
――安定感というか、落ち着くべきところに落ち着いた形ですよね。
もちろん違和感のない形を目指すんだけど、どこかに引っかかるポイントは欲しい。これも揺らぎですね。ちょっと欠けていても綺麗な月ってあるじゃないですか。満月じゃなくたって完璧な形はあって、欠けていたとしてもその形自体はすごく綺麗に見えてることもある。例え満月に至らなくても景色として成立しているものでありたい。それが画面的に美しく見えているのであれば安定はしているはずで、完璧な満月みたいなものを求めているわけではない。そんな感じです。
それに、春がきて夏が来て、みたいに動かしようのない自然の摂理には沿っていきたい。冬が好きだからといって、ずっと冬のままだったら落ち着かないじゃないですか。誰が決めたかはわからないけれども、そういうルールがあるんだとしたらそこに乗っかっていきたいんです。だから自分で考えた勝手なルールで作るっていうのはあんまり好きじゃないんですよね。
――何かの法則性に従って作りたい、と。
そこから外れちゃうと、サーフィンで波に乗れてない感じになるというか。
心の動きも含めて全部運動体で、その運動に乗って作っているかどうかが大事。
今ならビニールハウスで秋の野菜を春に作ることも可能だけれど、自分はあまり得意じゃないです。だから金彩とかもパターンを決めてやってますね。
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――ではその流れで次に移ります。金彩など装飾の話をお聞かせください。
分解して考えたらスーパーノヴァを作ってるのとあまり変わってないんです。円や球体とかをカットして繋ぎ合わせるみたいに、金彩もパターンの連続性をやっているのでその辺は感覚として近いかと。
――つまりスーパーノヴァの造形作品と装飾の器は全部同じ線上にあって繋がっている。
スーパーノヴァの方が先だけど繋がってますね。けれども、もちろん金彩を使うのは道具として手元におきたいとか毎日使いたいとか、愛着を持ってもらうためですね。キティちゃんの絵柄が可愛いから使うみたいな、そういうかっこよさに寄せてます。
模様なので器に洋服を着せてるみたいな感覚もあって、『2001年宇宙の旅』で感動したあの感じを表面的な装飾としてやって、より手に取りやすいようにはしてます。
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――形と模様の関係はいかがでしょうか?
DMの茶碗だと市松の金彩も今回はイレギュラーに茶碗全体の形に沿ってやってるんですけど。いつもやってる感じだと釉薬をかけてニョロってなったところを市松にしてるんですね。あれは模様空間を別物として捉えてます。呼継とかの感覚に近い。別の空間があそこにくっついちゃってて、釉薬の焼き味を表現するのとは違う次元です。同じ器の中に違う人為的な何かと理屈が乗っかってくるのが面白いなと思って始めたんです。染付みたいに器と一体化した模様とかの感覚とは違う。全然別です。
――装飾として、本体とは全く違う物体がくっついてるんですね。
そう、そうです。
ただしDMの茶碗は科学雑誌のNewtonとかで、重力を示すためにグリッドとフレームがあって、重たい物体があると空間が歪む、みたいなやつがありましたよね。あの市松の茶盌はそれに近いです。あえて形の解像度を低くしてアニメチックにするみたいな。
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――そう考えるとスーパーノヴァと繋がるイメージがありますね。
まさにその通りで全部繋がってるんです。そんなに器用に違うことはできないから。
高台の方に収縮してく感じとかは書いてて面白いですよ。そんな模様とか書かなくても茶碗には本来全部あるんですけど。長次郎の茶盌を見て「宇宙だ!」とか、そういうのをちょっと茶化してるかもしれないですね。こんな図で宇宙を表現してみた、みたいな。
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左『タケミカズチ』
右『フトダマ』
――それを踏まえて今一度スーパーノヴァの話に戻します。去年から古材を使ったシリーズを展開してますがこのシリーズについてお聞かせください。
これは流木とか古木じゃなくて、古材なんですよ。人の手が加わってるものを使いたいんです。人間が何らかのために加工した材をまた加工するのがポイントですね。自然の摂理からの何かだけじゃなくて、大先輩の誰かがやってきたことにまた僕の解釈で形をつけていく。古材と連結してたらインパクトとして面白いかなっていうビジュアル面での衝動もありますけど、始まりのない形をやりたいなと思ったんです。
一体どこから始まってるんだろう、と。そもそも古材を作ってる人がいないと成り立たないので、この作品の本当の意味での始まりは神社を作った人からかもしれない。
もしかしたら、あの時観た『2001年宇宙の旅』やキューブリックが自分を作っているのかもとか、お母さんがいたから今自分がいるとか、色々言えますよね。あの時「お前絵上手いなぁ、美術系の大学とか行ったら?」って言ったくれた友達のおかげかもしれないですよね。自分が自分で思っていることって、他者とのやりとりにおいて生まれた何かの積み重ねに過ぎないかもしれない。だから「これは自分の作品です」ってはっきり言えない作品をやってみたかったんです。
みんなが自分自分って言いすぎるから逆に自分自身を解体してみたいな、って思ったんですよ。材を使って再構築はしているけど、同時に自分を解体しているみたいな、俺は何を作ってるんだろう?と思わせてくれる作品。古材を見ながら組み合わせてくのってインテリアを置いてくのに近いんですし、よく考えてみると自分の存在はただ選ぶだけ笑
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――昔から親方の審美眼によって「作品」になる場合もあります。選球眼にオリジナリティがあると考えるとこれだって富田さんの作品ですよね。
参考にしてるのはありますよ。大竹伸朗さんもスクラップみたいなのを拾ってきて面白いものを作ってる。見立ての能力ですよね。そういう表現って一歩自分を俯瞰しないとできないので、そこに興味がありますね。
それに元々板金の家だから建築材料にそもそも惹かれてる部分もあります。シンプルにかっこいいと思っちゃうし。
――違う時間軸の物体がくっついてるからこれも『宙二廟』ですよね。
そうですね。市松の話にも繋がりますね。釉薬をかけた部分だけ違う世界観とか時間軸が組み合わさってるので、全部一緒の感覚。
タイトルでこういう言葉を投げかけてもらったから自分の作品をそんな風に解釈できて、他者の視点が入ることで膨らむ部分もありますね。
――他の作品ラインナップはいかがでしょうか?
お茶道具関係で言えば、水指は白の多面体のタイプを制作中です。スーパーノヴァに寄せて白くてカクカクしてて、テクスチャーもざらっとしてるものを作ってます。
茶盌は装飾系メインになるかなと思いますが、これから追い込んで制作ですね。
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~ 爆発と創造の 無限ループ。 ~
南青山・白白庵 企画
陶芸・富田 啓之 展
『宙二廟』
会期:8月17日(土)〜25日(日)
*会期中の木曜定休
時間:午前11時~午後7時
会場:白白庵、オンラインショップ特設ページ