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産めない側の風景

2020年3月19日「はてなブログ」公開


子どもを持たない、持てないご夫婦というのは世の中にたくさんおられます。
私たち夫婦もそんな一組。

先天性心疾患であっても妊娠出産・育児をされている方は多く、そういう方の日々の積み重ねを見て、
「いずれ私も!」と思う女性や
「うちの娘も!」と思って、勇気づけられる人は多いでしょう。
それは本当にそうだと思うんです。

でも一方で、やはり妊娠出産を諦めざるを得ない人も多い。
その一人ひとりの事情は簡単に話せることではないし、誰一人同じというものはありません。
それでも、「産めない側の話」をしてみたいと思いました。
今日はそんな話です。

ちなみに、私は自ら「産まない」選択をしたご夫婦に関して嫌な気持ちになったり、反感を覚えることはありません。
そのご夫妻が考え抜いて出した結論を誰かが批判するなんてできないし、その答えを導くまでやはり何らかの葛藤があったと思うのです。
ただ私は子どもを「産めない」視点でものごとを書きます。
ですから、「産まない」選択をした人たちからすれば違和感のある文章になるかと思います。その部分を考慮いただきながら読んでくださると幸いです。

私とあなたは違うけど

まず、妊娠出産の話をする前に。
私のザックリとした病名は単心室・単心房・無脾症候群です。
その他もろもろ合併症があり、カテをするたび新発見があるまだまだ魅惑の40代。
病名を載せるかどうか逡巡しましたが、私は前々から病名を書いていましたので、書かない方が不自然かなと思いました。
また、産めない状態とはどういう病名なのだろうかと気になる人もおられるだろうと考えました。ですから、病名を書いておきます。

けれど、ご存じのように先天性心疾患は同じ病名でもかなり状態が違います。
だから、仮に同じ病名でもがっかりしないで。
たとえ同じ病名でも、あなたとは違う。
あなたの娘さんとは違う。
私が産めないからといって悲観しないでください。
私が生きている時代、結婚した年齢、取り巻く環境、医学的見地、そして合併の具合等など、私とあなたとは違う。私とあなたの娘さんとは違う。

でも、一方で思うのです。
「産めないかもしれない可能性」を理解しておくことも大事ではないかと。
当たり前のように子を授かり、育てることができると信じている状態で、産めないと知ることはとても辛い。
だから「もしかしたら産めないかもしれない」と頭の片隅にあることもまた、生きて行く上では大切なのではないかと思っています。

重ねて言います。
私とあなたは違う。
私とあなたの娘さんは違う。
だけど「産めないかもしれない可能性」があるかもしれないことを、ほんのり知っていて欲しいと思っています。

妊娠出産は無理だろうな、と

私は母から「あなたは妊娠出産が無理なのよ」ということを言われたことは一度もありません。
おそらく、母の中で妊娠出産どころじゃなかったのだと思います。
私は中学生の頃が唯一安定していた時期で、それ以降はすぐに生死にかかわる状態ではなくとも、常に綱渡りな体調でした。
なんとかこのまま踏みとどまって!
そんな気持ちが強かったかもしれません。

私が漠然と「あ、私は妊娠出産ができないんだな」と思ったのは17,8歳の頃。
明確な決め手があったわけではないけれど、この頃長い期間入院することになり、自分の体力のなさや、自分の体調を安定させるので精一杯の私が「子をなす」ことができるとは思えなかったのです。


入院中少し面白いなと思ったことがありました。

当時私は生理が不安定で、無排卵月経と診断されていました。
もはや私の中で無排卵だろうと排卵があろうとどうでもいいことでした。
それよりも早く安定したサイクルで出血して。でないとしんどい。
そう思っていました。

そんなある日、一人の看護師さんが私のベッドサイドに座り、静かに語り掛けてくれました。
「ぱきらちゃん、無排卵でも大丈夫よ。今は排卵誘発剤もあるから、ぱきらちゃんが赤ちゃんを持ちたいと思ったときに対処することはできるからね」

「…はい」(はい?)

(もしやこの看護師さんは私が妊娠出産できると思っているのかな。思ってるんだろうな。…できそうに見えるのかな)

良かれと思って、励まそうと思って言ってくれてるんだな。
そう思って、ただそうだね、ありがとうとお礼を言いました。

これはしかし、私の場合は自分が妊娠出産が不可能だと(ほんのりだとは言え)把握していたし、そのことについて特に思い悩んでいたわけでもないからこれで終わりです。
でも、私がスーパー繊細JKだったら少々ややこしかったのでは、と思っています。

①ひどい、私は妊娠出産が無理なのにそんなこと言って…。
となるパターンと、
②看護師さんがそう言ってくれるんだもの、じゃあ私も妊娠が可能なんだわ!
と思ってしまうパターンがあり得る。
どっちに転んでも、ちと厄介。

先天性心疾患の女性患者に対するそうした問題は、中高生の間から医療者の間で共通の認識を持っていて対処して欲しいなと思います。

私の場合の、明確な妊娠できない理由

さて、私は結婚前に主治医と夫と私で三者面談をしました。
当時私は30代前半。
私の体のこと、予後について、そして妊娠出産に関する説明を受けました。

当時の主治医は、私が中学生になる頃からお世話になっているお父さんみたいな人でした。結婚することをとても喜んでくれました(そして引っ越しに伴う転院についても一緒にいろいろと考えてくださいました)。

先生は私が妊娠出産が無理である理由として、大きく次の2点を挙げました。

①心臓への負担が大きすぎること
私の普段の(この頃の)BNP値は200~300台。具合が悪いと400程度。
BNPという数値は心不全の指標として使われるのですが(採血でわかります)、健康な人は18.4以下だと言われています。
この数値から見ても、立派な(?)慢性心不全といえるでしょう。
「(いわゆる)健康な女性でもね、妊娠すると心臓に負担がかかってBNP値がぐんと上がる人がいるんだ。100台を超えてくる場合もある」
先生はそうおっしゃいました。

なるほど、じゃあ私が妊娠したら4桁超えてくるな。
心臓への負担は想像もできない。
もしかしたら妊娠したら尋常じゃないくらい苦しくなるのかも。
そんな風に思いました。

「もし妊娠したらすぐわかると思われますか?」
「うん、たぶん酸素が急速に奪われ始めるから、妊娠したらすぐ変化に気づくと思う」
とのこと。

…妊娠したらすぐわかる…私は「スピーシーズ」の宇宙人か( ゚д゚)

こんなときに思い出されたのは、昔の映画のタイトルでした。
「スピーシーズ 種の起源」

簡単に内容を説明すると、宇宙から送られてきた信号をもとに人間がDNA操作で誕生させた宇宙人の少女が成長、地球上に子孫を残すために自分の子をなそうと条件に合った男性を見つけてはナンパ、ベッドを共にしようとする…SF映画の気持ちで見ていましたが、もしやセクシー系?の映画。1995年公開時にはとても綺麗な映像で話題になったようです。続編も多数あるようですが、これしか見てません。
映画の中で、宇宙人が自分のお眼鏡にかなう人を見つけてセックス、終わった直後に「…私、妊娠したわ!」とわかってしまう、そんなシーンがあるのです。

それが浮かんだ私。
自分でもアホだなと思いつつ、イメージ的にはそれくらい早く妊娠を自覚するんだろうなぁと思ったのです。
…私今、割と重たい話を書いてはずなんですけど、なんか道を誤った気がする…。

えいっ、軌道修正。

②サチュレーションが低い
もう一つ言われたこと。
「ぱきらさんはもともとspo2(酸素飽和度)が低い。その状態で妊娠してもね、自分が苦しいだけではなく、酸素がお腹の子に行き届かないんだ」
「つまり?」
「子どもが育たない(不育)」

これは、なかなか効きました。
そうか…私はお腹の中に子を授かっても、人間にしてあげられないんだな。
そうかそうか。

「あと、もし仮に妊娠して処置(堕胎)することになったとしても、簡単にはできないと思う。君にとってリスクの高いもので、すごく大変なことになる」
「正直、絶対に妊娠して欲しくない」

これはもう、納得するしないの問題ではありませんでした。
私はまかり間違っても妊娠してはいけないのだ。
子を授かってはいけないのだ。
私に選択権はない。

もともと妊娠出産は無理だろうと思っていましたし、夫には結婚前から「子どもは持てない」ということを伝えていました。夫もすんなりそれを受け入れてくれていました。
「うん、俺とぱきらちゃん二人で生きて行こうよ」
そう言ってくれていたので、先生の説明に対して驚くことはありませんでした。
でも、やはり先生の「絶対に妊娠して欲しくない」は思うところがあったようです。


他の、先天性心疾患で妊娠出産ができない人に対しての説明がどのようなものかはわかりません。
それでも、私はここまではっきり説明してもらえて良かったと感じました。
だって、お腹の中で子どもが酸欠で育たないんですよ。もしかしたら臓器の一つも作ってあげられないのかもしれない。
酸欠って苦しい。そんな苦しい思いさせたくない。
私の場合、「産めない」ではなく「妊娠できない」…いや、「妊娠してはならない」が正しいのです。

受容には時間がかかるのではないか

私は、自分が妊娠できないことをすんなり受容できていると思っていました。
でも結婚し、夫と暮らしているときにふと
「ああ、この人との間に子どもがいたらどんな感じだったろうなぁ。赤ちゃん欲しかったなぁ」と思って、一度だけ泣きました。

そうか、子どもが持てないって、そこそこダメージ食らうことなんだ。
いや、もちろんすんなり受容できる人もおられるだろう。
でも私には、存外大きな衝撃になっていた。
そう感じました。

これはなんというか、あれだ。
結婚→妊娠出産→子育て を頭に描いている人ができないとわかったら、とんでもなく辛いんじゃないのかしら。

そして私は30代になってからの結婚。
もしこれが20代だったら?
もっともっと、子を持ちたいと思うんじゃないか?

果たして、結婚してから妊娠が無理だとわかることの方が辛いのか、それとも私のように最初から分かっている方が辛いのか。
結局それは受け止め方次第なんでしょうけど、少なくとも事前にわかっている方が「心づもり」はできるような気がします。
私ができていたのかと問われると難しいところですが、それでも「夫と二人の生活」を基準にものごとを見ることができていたと思います。


私は20代前半での入院中、一人の女性と出会いました。
とてもチャーミングで、かわいらしい人でした。
でも息切れが激しく、チアノーゼもきつくて私よりもspo2が低いことは見て取れました。
その彼女が「今度結婚するねん」と教えてくれました。
そうか、良かったなぁ。そう思っていましたが、それからしばらく後になってとても落ち込んでいたことがありました。
「私、妊娠できへんねんて。彼、めっちゃ子ども好きな人やねん。申し訳ないわ」
そう言っているのを聞いて、私は本当に驚きました。
まさか、妊娠できると思っていたなんて。

そうなんです。
彼女は妊娠できると思っていた。

こんなに傷つくことになって…こんなにも悲しい気持ちにさせて。
どうして。どうして、誰も彼女に言わなかったの。
私は悔しかった。
そりゃ知っていたら知っていたで彼との結婚を躊躇したかもしれない。それでも、彼と話をすることだってできたはずなのに。
その後彼女は結婚して、短い間だったけれどご夫婦二人の生活を楽しんで、旅立ちました。



医療は日々進歩しているので、「現状」妊娠が難しい人であっても、将来的には妊娠できるようになるかもしれません。
だから早い段階から妊娠出産について考える必要も、話す必要もないという指摘があるかもしれません。

それでも私は、なるべく早い段階から産める可能性と産めない可能性を、話をして欲しいと思うのです。
産めるとしたら、出産までどういう過程が必要なのか(観察入院が必要になるとか、帝王切開が必須であるとか)。たとえ産める場合でも、ハイリスク妊婦となることに違いはなく、「妊娠できるよ!」の一言では片づけられません。
そして産めないのなら、なぜ、どのくらいのリスクがあって産めないのか。

自分の経験や、いろんな知り合いの場合を見ていても、受容はそう容易いものではないと思うのです。
事前に知ることができるのなら、その方が良いのではないか…私はそう考えています。

先天性心疾患患者は長生きできるようになりました。
自分の将来を、自分の子どもについてを早くから考えて、何が悪い。

夫婦二人で生きること

ベランダで洗濯物を干していると、子どもたちが遊んでいる声や、その保護者と思われるお母さんたちの話声が聞こえてくることがあります。
子を宿し、育てることはとても大変なんだろうと思います。お母さん同士の関係もきっと難しいことがあるんだと思います。
だから無責任に聞こえるかもしれないけれど。
ああ、ああいうママ同士のおしゃべりしてみたかったなぁ。
夫との子を、ぎゅうって抱きしめてみたかったなぁ。
そう、思うときがありました。
未練たらたらです笑

「子どもなんて育てるのが大変だし、いない方が気楽で良いじゃない」
と言われることがあります。
うむ…確かに気楽かもしれないけど… それを、子どものいる人から言われると若干モヤァッとします。
気楽、か。
悪気はない。むしろ夫婦二人の生活を肯定しているような気持ちで言っているのでしょう。
けれど夫と二人の生活だとしても、「気の合う人と面白おかしく同居している」というのとは違います。
私たちも家族になったのです。
それ相応の波はあります。

子を持ち、育んでおられるご夫婦は尊い。
心からそう思います。
私に自分のものとは違う命を背負う覚悟はありません。
そして子どもがいる生活は楽しそうです。
けれど夫婦二人の生活が劣っていることなんてなくて、夫婦二人も結構楽しいです。

子どもが持てない、諦めなければいけないと言われると、とてもマイナスなイメージになります。実際、マイナスかもしれません。
でも、私は今毎日が楽しいです。
…いや、腹立つときもありますけど、でも全体的に楽しいのでそれで良しとしています。

子どもを産めない人が、親戚や周囲の人から責められるのはなぜなのか。
子どもを産めないでいるその人こそが辛いのに、なぜ周囲に「申し訳ない」と思わなければいけないのか。子どもがいないことは罪なのか。生産性がないなどと否定されなければならないのか。
子どもが持てない事実を受容できずに傷ついている上に、更に傷つけられている人を見ると悲しい気持ちになります。


私はまだまだ、隣の芝生は青く見えます。
子を持つ先天性心疾患の女性を見ると、すごいな、そして産んでからまた始まるんだなぁ、子育てってすごい…と思ったり、自身の体調も気をつけてと願ったり。
それと同時に、それはもう、羨ましい気持ちが溢れます。びしょびしょです。

私もあちら側になりたかった。
それが偽らざる本音です。

でも仕方ない。
夫と二人で、子どもがいない側で日々を積み重ねていこうと思っています。
その日々が楽しければもっと素敵。
そして、たまに出会うお子さんには「ちびっこかわいいぞ」光線を送り、親御さんには「ほんと尊敬してます」ビームを放っておきます。

そんな、産めない側の話でした。

↓生産性について触れている記事もありますので、よろしければこちらもご覧ください。


この記事は公開と同時に多くの人読んでいただきました。
反応と面白かったのは「この人(私)は生きてるだけで丸儲けの人だね」というもの。
なるほどうまい!そういう見方があるかと唸りました。

さてこの記事から4年、私はもう隣の芝生が青くはありません。
というのもこの4年ですっかり体調を崩してしまい、体力は落ちるは日常生活を送るのに精一杯だはで、完全に子どもを育てられる状況ではなくなりました。
今私の胸の内にあるのは「良かった、子どもを持たなくて」です。
命を育て上げるのに資格が必要ならば、私は確実に資格なしでしょう。
代わりと言ってはなんですが、今まで以上に世のお子さんが皆それぞれに合った成長ができるよう、保護者の皆さんが子育てしやすい社会になるよう日々念じています。
(2024年11月末追記)

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ぱきら
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