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おかねのはなし(後編)

前回、疾患や障害のある子や人が生活するためにはどのくらいお金がかかるか、と言った話を自分の体験を踏まえつつ書いた。

疾患や障害のある人(子)が生きていく上で、医療費助成を始めとする社会保障制度を利用しているのは事実だ。
一方で、そうした制度は国民の保険料や税金から賄われており、だから「我々の金を湯水のごとく使って」という批判がある。
けれど私(たち)はその制度の多くに感謝しつつも、決して楽にのらりくらりと暮らしてあるわけではない。
そのことを知ってもらいたいなと、前回に引き続き、今回も書きたい。

前回の記事はこちら。事前に読んでいただければ幸いです。

はたらくこと①

疾患や障害のある子が誕生した場合、その保護者の多くが働き方を考え直す必要があるだろう。
そしてそれは特に、母親に当てはまるのではないだろうか。

といっても他の疾患や障害のある子のことはあまりわからないので、ここでは私のような先天性心疾患(生まれたときから心臓病)で考えてみる。

先天性心疾患の子を持つ親御さんは子育ての上で
「心臓の負担になりますから、あまり泣かせないでください」
と言われることは多い。
実際、私の母も言われていた。

小さな子というのは、泣いてお腹が空いたとか、おむつが気持ち悪いとか自分の変化を親に伝えるわけで、いわば泣くのが仕事だろう。
幼児と言われるくらいまで大きくなったとしても、自己表現をうまくできなくて泣くことだって多いに違いない。
それを「泣かせるな」とは、なかなかの無理難題だ。

これだけでも先天性心疾患の子を育てる大変さが伝わるだろうか。
おそらく、子どものそばをほとんど離れることができないだろう。

加えて、先天性心疾患の子の多くは比較的早くに手術を受けることになる。でなければその命が失われる可能性が高いからだ。
また、その手術の回数が数回にわたることも珍しくなく、生後間もなく~就学前に集中して行われるケースが多い。
(もちろん就学してからや大人になってから手術が行われることだって少なくないが、今は少し置いておく。)
要するに、そうした治療のための入院が頻繁にあるということだ。

入院すれば付き添いする必要があるかもしれない。
付き添いが必要でないとしても、なるべく子どものお見舞いに行きたいと考えるだろうし、すぐに駆け付けられる状況にしなければならない。
やはり、子どものそばをほとんど離れることができないだろう。

無事退院できたとしても心配は尽きない。
そもそも先天性心疾患は「完治する」という種類の疾患ではない。
それぞれの子どもの心臓や血管を、手術や投薬などの治療で一般的な心臓や血管のはたらきに近づけ、いわゆる健康な人と変わらない生活を送れるように持って行くというのが実際のところだ。
成長に伴い再び心臓の状態が悪くなることだってある。
患者自身がある程度自己管理ができるようになるまで、保護者が気を配る必要があるのだ。

また、発達がゆっくりの子や運動制限がある子もいる。
コミュニケーションを取りずらい子、誰かの手助けが必要な子。
その成長スピードは様々だ。
ちなみに私は3歳まで全く歩けなかったし、たくさん歩くと心臓がどきどき苦しくなるので、学校での教室移動など長距離移動の際は車いすを利用していた(そして40歳代の今も車いすは外出時の必須アイテム)。

更に多くの母親には、家事やきょうだいの子育てが待っている。
それらを父親と母親二人でうまくに分担できていたとしても、同時進行で働けるかといえば難しいだろう。

ひとまず産休や育休を利用して休職して、職場復帰の機会を待つ。
そういう人はいるだろうけれど、今度は疾患を持つ子を預かってくれる保育園や幼稚園を見つけるのが難しい。
職場復帰できるのは稀で、結局のところ退職せざるを得ないということが多い。

それでは小学生になればとそのときまで待つとする。

少し手が離れたな、働きに出るぞ!と思っても、学校側から「連絡したらすぐに来てください」とか「(体調が悪くなると教師たちでは対応できないので)別の教室で待機していてください」なんてことを言われてしまうこともある。
このような状況では、とても働きに出ることなど無理だろう。

ここでは触れていないが、父親がその働き方を大きく変えることもある。
例えば休みが取りやすい部署へ移動願いを出して移動する、転職をするなどだ。しかしこの場合、生涯年収が大きく変動することが考えられる。

はたらくこと②

私の母は専業主婦であった。
母は結婚を機に仕事を辞めた。
昔はそうすることが当たり前みたいなところがあったのだ。
だから私は幼い頃から家に母がいるのが当たり前で、何の疑問も持たなかった。

けれど同じような疾患を持つ人の言葉ではたと気づいたことがある。
その人のお母さんは、その人を出産する前はバリバリ働いていたそうだ。もちろん職場復帰するつもりでいたらしい。
ところがその人が誕生したことで仕事を辞めて専業主婦となった。

その人は、そのことが心苦しいと言っていた。
「本当は仕事をずっと続けたかったんだと思う。(自分の存在が)親のやりたいことを奪った」
そんな風に言っていた。

そのときふと私も思った。
そうか、私の母も、もしかしたらどこかのタイミングで働きたかったのかもしれないなと。
実際のところはわからないし、今更聞こうとは思わない。
それでも私が生まれたことで母や、家族みんなの生き方が変わったことに違いはないだろう。
(とはいえ今の母は大変陽気に生きているので、かわいそうな人ではない、決して)

疾患や障害がある子を持つというのは、その家族の働き方にまで影響を及ぼしてしまうのだ。

子どもがいても働く。
そう想定していた人たちにとって、働けないことは由々しき事態だろう。
働くことは社会へ出ることでもあり、これまで社会参加ができていた人たちが働けなくなることは大きな喪失感に繋がるのではないかと想像している。

実際(Twitterなどを見ている限りでは)、疾患や障害を持つ子がいるために一旦専業主婦になったものの、「働きたい」と願っている母たちは多い。
それは専業主婦を否定しているわけでも、専業主婦を見下しているわけではない(と信じたい)。
ただ、働いていたことに意義を感じ、働くことで充実感や達成感を得ていたならば、働きたいと願うのは至極当然のことだろう。

何より、現実問題として夫婦共働きで家計を運用するつもりだったのが、働き手が夫一人きりになった場合の経済的損失は大きい。
自分が働いて得るはずだった賃金が得られないのだ。
生活水準が大きく変化することだって考えられる。

今、働きたいと願う疾患や障害を持つ子の母親が、いずれきちんと働きに出られる日が来れば良いのに、そうした体制ができれば良いのにと願っている。

はたらくこと③

一方で、成長できて大人になれた先天性心疾患患者は、働けるだろうか。

私はきちんと就労したことがないので、ここではいろんな人の話を踏まえて書く。
またここでは「働くこと」による具体的な苦労や大変さには触れないでおく。
それは私が実際に働いたことがないことが理由だ。どれほど言葉を重ねても、真実味がなくなるだろう。
だからあくまでも経済的な話だけをする。

先天性心疾患の場合、就職している人は多い。
私のように就労不可というケースはあるだろうが、ある程度体調が安定していれば就職する人は多い。
いや、体調が安定していなくても賃金を得るために働くという人も多い。
生活するためにはお金がいる。

私はたまたま夫と結婚し、夫の賃金で生活している。しかし結婚することなく両親の元で生活していたらどうなっていただろうか。

父は自分が退職後の生活費についても考えていたようで、たまに今後のお金の有りようみたいなことを一緒に話すこともあった。
私がそこそこ長生きする前提で計画してくれていたのは嬉しいけれど、実際両親と私の3人の生活は厳しいものになっていた可能性もある。
働くことができないというのは、生活する上で大きな打撃だ。

さて、先天性心疾患で就職している人は一般枠で就職する人がいる一方、障害者雇用枠で就職する人もいる。必ずしも障害者雇用にこだわる必要はないようだ。

とはいえ、自分の就きたい職業に就ける人はそれほどいないのではないだろうか。
就きたいと願う職種に就けるだけの体力があるか。
体調を崩したときに速やかに休むことができるか、職場で理解は得らえるのか。
そうこうしているうちに、その選択肢はぐっと狭まる。

もちろん、いわゆる健康な人であってもなりたいと願う職種に就ける人は一握りだろう。
どこかで妥協して働く人の方が多いのかもしれない。
けれどAの仕事がダメならBかC、あるいはDなんていうのも…といった、選択肢に幅を持たせることができるだろう(ある程度年齢が若いという条件は付くかもしれないけれど)。そこの違いは大きい。

また、就職することができても体調が大きく悪化して仕事を続けることが難しく、休職や結局退職せざるを得ない人も多い。
それは障害者雇用枠で就職していても同じのようだ。

安定しづらい疾患を持ちながら働き続けることは難しい。
安定した収入を得ることが難しい。

一方で就職して、長い間勤めている心疾患の友人もいる。
日々忙しく働いている彼らを見て私は
「そんなに長年勤めているんだから、管理職とか偉いポジションにいるの?」と聞いてみることがある。
(冷静に考えればなかなかに失礼な質問だ。
私はずっと働き続ける彼らを眩しく思い、尊敬して、じゃあ偉い人になってるんじゃ!?という単純な気持ちになってつい聞いてしまう。皆優しいので許してくれている。)

そしたらその友人たちは言うのだ。
「いや、昇格試験とかもあるけど受けてないよ。入社からずっと同じポジション」と。

「責任あるポジションになったら今みたいに検診だからとか、体調が悪くなったからといって簡単に休めないからね。入院なんてもってのほかだよ。それって精神的に負担だから」と。

ある人は「もう偉くなるのは諦めてるから」と話していた。

私はこの話を聞いて初めて、就職して勤め続ける上での厳しさを知った。
同じ仕事をずっと続けているならば、ある程度責任を任される地位に就きたいと思っても不思議ではない。やりがいだって違うのだろう。
みんながみんな上昇志向ではないにせよ「もっと上」を目指すことができる場所に立っているにも関わらず、それができないというのは…もどかしく、悔しいのではないだろうかと想像している。

そして自分の働くポジションが変われば、おそらく給与額にも変化があるはずだ。
「得られるはずだったかもしれない賃金」を得るために挑戦することが、彼らにはできない。

暮らしの中で

私は先ほども書いたように3歳まで歩かなかった(歩けなかった)。
だから両親は「これはもう歩かないだろうな、無理だろうな」と私の身体に合わせた椅子を作った。
当時は助成制度もなく、完全オーダーメイドで作ったその椅子は、母曰く「それなりにする値段」だったそうなので、安くはないだろう。
ある日ひょっこり立ったもんだから、椅子の出番はなくなった。その椅子には長らくぬいぐるみが座っていた。

また私が子どもの頃は、自分が使う車いすを実費で購入していた。
当時、車いすを購入するときに補助を受けられることができる人は肢体不自由児(者)に限定されており、私のような「歩けるけど苦しくなるから車いすを使う人」は自分で用意する以外に方法がなかった。

だから親が購入してくれていた。

私が成長し大人用の車いすが使えるようになると、大人用の車いすを購入した。
母は背の小さな人で、大人用でかつ重い車いすだと車に積み下ろしするのが大変なので(車いすの昇降機みたいなものも一般的ではなかった)、買うならなるべく軽いものにしようということになった。
背もたれ部分も折りたためるものを…とか考えたら、結構な価格になった。
結婚してからもしばらく使っていたから、かれこれ20年は使っていただろうか。しっかり元は取ったものの、当時としてはかなり高価な買い物であったろう。

こうした生活する上で必要な道具を、疾患や障害のある子や人が実費で購入することは多い。
生きる上で必要不可欠な道具を、自分で手配する。
それだけの経済力があるうちは良いが、やはりそうした費用は大きな負担となって行くことだろう。

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私のような先天性心疾患に限らず、疾患や障害を持つ多くの子や人たちは「暑さ寒さ、なんなら雨にちょっとした温度差」に弱い。
要するに、気候に体調を左右されることが多くあるのだ。
私は子どもの頃から寒さに特に弱くて、冬の暖房を欠かすことはできなかった。
また母たちには「風邪をひかせないでください」という恐ろしいミッションが課せられていた。
室内の温度が下がり過ぎないよう気を遣っていたようである。
当時の光熱費がどれほどだったのかは知らないが、母が冬になるたび「高い…」と嘆いていたから相当なものだったのではないか。

さて現在40歳代になった私。
今も変わらず寒さに弱く、ここ数年の猛暑というか酷暑による暑さにも弱い。春や秋はほんの一瞬で通り過ぎ、一年のうち多くをエアコンと仲良く過ごしている。いかに省エネ設計のエアコンであったとしても、電気代が安いとは言えないだろう。

また私は利尿剤を飲んでいる。
それが効果を発揮すればトイレに何度も通う。
私はずっと家にいて、トイレの回数は一般家庭よりおそらくかなり多く、そのたびに水洗するのだから水道代もなかなかのものになる。

実際、私が長期間入院して夫だけが生活するようになると、我が家の光熱費はぐんと下がる。

繰り返しになるのだが、生活するためにはお金が必要だ。

巡ってきたもの

父は「ずっと社会保険料が高いなと思っていたけど、それが回りまわってぱきらの医療費になっているなら、納め続けたかいがあった」
というようなことを言っていたことがある。

祖母95歳は現在も健在で、これといった大病を患ったことがなく、90歳を過ぎるまで介護保険制度を使うこともなかった。
介護保険制度を利用してからも「要介護1」とかいう、すこぶる元気な人だ。
そんな祖母は「うちはありがたいことに元気やから。うちが納めたお金はしんどい人が使ったらええねん」と言っていた。
随分とできた人だ。さすが?大正生まれ。
とは言えそんな祖母も年金を受給しているし、その財源は他の人が納めてきた保険料や税金だ。

私の医療費は、私の両親やきょうだいや夫、更には祖父や祖母、長生きだった曾祖父や曾祖母といった人たちが納めていた保険料や税金が巡ってきたものだと考えている。
これは彼らが納めてきた額が私に使われた額に値するほどのものであったとか、そういう額面の話をしたいのではない(それに、そんな生涯納めた保険料だのの金額を私が把握できるはずもない)。
そういう「流れ」の中で、私が医療費助成を利用できているのだと言いたいのだ。

前回の記事で
「医療費助成制度のおかげで、私の子どもは医療費の負担が軽く多くの治療を受けることができている。こうした制度に感謝しかない」
と発言したお母さん。
そのお母さんだってこれまでの暮らしの中でたくさんの保険料や税金を納めてきたはずだ。その家族も。その親戚も。そのまた遠い親戚も。
そして巡ってきた。
その上で、この国の社会保障制度に助けられたと感じている。

「でもその子どもは何も生み出してないじゃないか」
なんていじわるなことを指摘する人がいるかもしれない。

そのときは、
その子は未来に生まれる同じような疾患(障害)の子どもたちの治療法を確立するために、生きて情報を提供しているのだ、と伝えたい。
その子は生きることそのものが社会貢献なのだと。

疾患や障害があると、その当事者を含めた家族の人生は変わる。
そしてその人生が変わるのに合わせて、かなりの金銭的負担が発生する。

そしてそれは、誰にでも起こりうることだ。
「そんな風に、私は絶対にならない」という人だって、ある日事故に遭遇するかもしれないし、何らかの疾患が発覚するかもしれない。
自分は何ともなくとも、家族が何かに巻き込まれるかもしれない。
そうなったとき、あなたの生活は激変する。

私のような者も、あなたも、基本的には同じ場所にいる。
ただ私は疾患を持つ側にいるだけで、
あなたはいわゆる健康な側に「今」いるだけだ。

あまり本を読んで来なかった私、いただいたサポートで本を購入し、新しい世界の扉を開けたらと考えています。どうぞよろしくお願いします!