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バスとヒールと、その他もろもろ

✳︎この記事は前回の記事「宝物の4年間」から派生した話です。今回だけでもわかるよう書いたつもりですが、可能であればそちらもお読みいただけると幸いです。

私はアラサーと呼ばれる年齢になってから通信制大学に入学した。

通信制大学では単位取得のため「スクーリング」と呼ばれる対面授業への出席が必要になってくる。
そのスクーリング期間中、私はホテルから大学、大学からホテルまでの同行をボランティアさんにお願いしていた。

私は先天性心疾患(生まれた時から心臓病)で、たくさん歩くと息切れ等を起こすために歩く量が多いときは車いすを利用していた。
また、車いすを自分で漕ぐことも体力を消耗するので、車いすは押してもらう必要があった。ボランティアさんには主にその車いすを押してもらうことをお願いしていた。

ボランティアになってくれたのは気心の知れた友人もいれば、その日初めましてでそのときだけお世話になった人も数多くいた。

一筋縄ではいかないぞ

私はホテルと大学の行き来に、主にタクシーを利用していた。
移動の楽さ、速さ、体力の消耗具合などいろいろと検討してそうしていた。

ただやはり費用面ではバスが安くつくため、スクーリングの2年目くらいまではバスを利用していた。

バス停はホテルからそう遠くない場所。
逆に、大学からもそれほど遠くない距離にバス停があった。
あの一帯はたくさんバスが出ている地域だったので、ほんの少し待てばあっという間にバスがやって来る。時間を気にして焦るということはあまりなかった。

それでも車いすを使うとなると気を遣う。

その頃、この地域ではほとんどがノンステップバスを採用していた。
もう長い間バスを利用したことがないのでわからないけれど、今ではノンステップバスが主流なのだろうか。ともかく、私がノンステップバスを見たのはこのスクーリング期間中が初めてだった。

けれどもこのノンステップバス、完全にバリアフリーな乗り物とは言い難かった。
私が利用していたノンステップバスの仕組みは、乗客が乗降時になるとバスの車高を下げて、歩道と出入口の段差を小さくするというものだった。
(出入口部分が下がるので、バスを後ろから見ると片側の車高だけ下がり、バスが斜めに停まっているように見えた。)

確かに出入口が階段のときよりはずっと乗り込みやすい。
けれど段差を小さくするといっても、道路とバスの出入口がフラットになるということはない。そのままスイスイ車いすごと乗るのは難しかった。
であれば簡易スロープが欲しいところではあるものの、介助者がいると十中八九簡易スロープは出て来ない。
だから車いすの後ろについている、ティッピングレバーと呼ばれる棒を押し手(このときはボランティアさん)に足で踏み込んでもらうことで小さな前輪を浮かせ、その勢いで車いすごとヨイショとバスに乗り込む必要があった。

ということで、私はバスがバス停に近づいてきたら車いすを降りて(車いすはボランティアさんに任せて)、自分の足でバスに乗り込み、近場の座席に座るということをしていた。ボランティアさんは座席が空いてるときは私の側に座り、畳んだ車いすを自分に引き寄せて持っている感じだった。

でも、車いすに座ったまま乗り込めば、座席が空いていなくてもそのまま車いすに座った状態で大学まで行ける。だから立ったり座ったりがしんどいときや疲れが溜まっているときはそのようにしていた。

そんなある日の朝。このときは車いすに座ったままの状態でバスに乗った。
すると運転手さんがやってきた。
何か決まり事があるらしく、車いすを留める位置を指定された。そしてそこへ行くと運転手さんがシートベルトみたいなもので車いすを固定し始めた。こんなことは初めてだった。
けれども慣れていないのか、運転手さんはその固定する作業にひどく手間取った。

車いすの側でゴソゴソする運転手さん。
出発の気配はない。
後続のバスが私たちを追い抜いて発車する。

朝の急ぐ時間帯。
車内に広がる「早くしてくれよ」感。わかりやすくため息を吐く人もいた。
こういう経験は久しぶりだった。
強がっているけど、元来打たれ弱い性格。これは凹む。
「あの、私少しなら歩けますから車いす降りましょうか」と運転手さんに伝えてみる。
「いえ、決まりですから」と、運転手さんは運転手さんで焦りと意地のような感じで答えてた。
ボランティアさんもどうしてよいのやらわからないといった風におろおろしていた。

ああ、今すぐバスから消えたい。
そう思ったところでもちろん消えるわけもなく、大学に到着するまでの時間がものすごく長かった。

これ以降私は車いすに座った状態でバスに乗り込むことはなくなった。

それでも私はいざとなれば立てるし歩ける。
でも立ち上がることのできない、座位を変えることが難しい車いすユーザーだとどうなるのだろう。

車いすのヤツは車で移動しろって?
そんなの、みんながみんな自分や家族が運転できるわけじゃない。
それに公共交通機関を使う自由は誰にでもあるはずだ。

私が子どもの頃に比べ、公共交通機関はだんだんと使い勝手が良くなってきている。私の子どもの頃は…と、これは長くなるので別の機会があればそのときに。

私がノンステップバスを利用していたのは10年以上前になるのだから、今はあの頃より更に使い勝手が良くなっているかもしれない。
けれどおそらく、車いすの人が「完全に一人で」利用するのはまだまだ厳しそうだ。

それは些細なことだけど

その日来てくれたボランティアさんは大学生で、確か教育学部の人だと言っていた。
その人は都合がつくからと二日間に渡って朝夕の送迎に付き合ってくれることになっていた。同じ人だと説明が省けるし、緊張しないで済むからありがたい(初めましての人に会うときはいつだってドキドキする)。

その人は笑顔がきれいな、サッパリとした雰囲気の人だった。
カバンがどんなものだったかの記憶はない。こちらは印象に残っていないので、それほど気にならなかったのだろう。

そして足元。ヒールのある靴だった。
パンプスではなかった。どちらかというとハイヒール。
彼女はこういうボランティアは初めてなのだと言った。車いすに触れるのも初めてとのことだった。

ヒールか…大丈夫かな。

私はハイヒールが似合う人が好きだ。履かされているんじゃなくて、お洒落のために自分の意思で履いて、颯爽と歩いている人。
とても格好いい。素敵で憧れる。この彼女もよく似合っていた。

とはいえハイヒールで車いすを扱うのは、慣れている人でもなかなか難しいのではないだろうか。
車いすを押すだけならまだいける。でも凹凸のある道で車いすを押し続けることや、畳んだ車いすを抱えてバスに乗り込むこと等に適しているとは思えない。

なるほど、初めての人にはこういう点も伝えておくべきなんだなと密かに思いつつ、私は特にヒールについて指摘しなかった。
指摘されたとしてもその時点で履き替えに行けるわけではないし、ハイヒールで来ちゃったと恥ずかしい気持ちになられてもこれまた申し訳ない。
大変かもしれないけれどヒールで頑張ってもらうしかないかなと、これが車いすのブレーキでね…などと車いすの扱い方をレクチャーした。

彼女はその日ホテルから大学、大学からホテルの行き来にきっちり同行してくれた。けれどやはり、バスに乗り込むときや坂道を押して行くときなどは足元がおぼつかないことがあった。
そうだよね、ごめんね、ヒールはしんどいよと連絡しておけば良かったね。

それくらい察することができるだろうと思わなくはない。実際そうしてくれる人はたくさんいるし、その方がこちらも楽でありがたい。
けれどそれはこちらの考えだ。
初めて車いすを押すとき、靴は何が適しているのかわからない人がいても不思議じゃない。
私だって自転車の運転にヒールの靴が不向きかどうかなんて知らないし(きっとあまり良くないだろうとは思うけど)、これからもたぶん知らないままだ。
でも知らなくても生きていける。だって接点がないから。それだけのことで、特段彼女がものごとを知らないわけじゃないだろう。

…てなことを考えていたのに、大学の講義でへとへとだった私、その日の別れ際に彼女に「ヒールだと足が疲れるだろうから、明日はヒールじゃないとほうが良いと思う」と伝えることを忘れていた。

そして翌朝。

はっ!しまった!彼女に言わなかった!
と思いながら待っていると、彼女は昨日と同じようににこにこ笑顔で現れた。

足元はスニーカーに変わっていた。

おお…。

なんだろう、なんだかとっても嬉しい。
そうか、言わなくても彼女は靴を変えてくれたんだ。
いやたぶん、尋常じゃなく足が疲れたんだろうと思う(痛かったのかも)から、その結果だろう。

それでも嬉しかった。
車いすを押すのにハイヒールは適さないと体験して知ってくれたのだ。

私は彼女に車いすを押してもらうことで大学に行ける。
彼女は私の車いすを押してくれることで気づきがあった。
ギブアンドテイクだ。

この人が将来学校の先生になるのかどうかは知らない。
ただ、少なくとも車いすの子どもや人がいたら、車いすの扱いに戸惑うことなく手を貸してくれる人になるだろう。そして、「歩けるけど車いすに乗る」という人たちのこともすんなり受け入れてくれるだろう。
きっと、私との出会いは無駄じゃない。

こういう些細なことは、だけどとても嬉しい。

私は主に「力を貸してもらう側」の人間だ。
それでもただ力を貸してもらってばかりじゃないし、ましてや「迷惑」をかけて生きているわけじゃないんだと気づかされてホッとする。
そしてこういうギブアンドテイクの中に、世に言う「思いやりの心を育む」ってやつがあるのかもしれない。

…なんて、思ってみたりする。

気がつけば、常連さん

スクーリング期間中に宿泊するホテルについては、いろんなホテルを試してみた。
快適だけど費用がかさむホテル。安いけど…うーんというホテル。ビジネスホテルだと煙草の匂いが部屋に染みついていることもあった。

1週間程度滞在するときもあったため、いっそウィークリーマンションを借りるかと一瞬頭に浮かんだこともある。けれどもそれは母の反対により値段を調べることもなく終わった。

母曰く「ホテルなら倒れてたらホテルの人が発見してくれる」とのこと。
ウィークリーマンションだとしても、ボランティアさんに来てもらうので他者との接触がなくなるわけじゃない。しかも私はどれほどしんどくなろうが意識を失わない系。
それほど心配することではない気がしたものの、なんとなく母が言いたいこともわかったのでそこは言うとおりにした。

で、結局。
大学から離れすぎてはおらず、朝食付きプランでも安価で、あまり周囲の音が聞こえずベッドはそこそこしっかりしている…という、Aホテルにばかり泊まるようになった。

私は昼食はパンと決めており、夕食はお弁当。どうせホテルに泊まるなら、栄養はここで摂るぞと朝食つきプランのあるホテルを探した。

Aホテルの何が良いかって、朝食が洋食と和食のどちらかを選べるシステムだったことだ。

朝食がバイキングタイプのホテルはたくさんある。
それはそれで選ぶ楽しさがあるのだけれど、大学へ行くことが目的の私としてはバイキングは疲れるのだ。
ご存じバイキングは、トレーを持って食べたい料理を自分で食器に盛るというシステム。
この動き、実はかなり体力を使う。
トレーにお皿やお茶碗、コップに箸にお手拭きに…と持っていると重い。料理を取るほどに重さは増す。しかも「これも食べようかな」とかウロウロすればそれだけたくさん歩くことになって疲れる。
だから私はバイキングスタイルの食事は楽しいけどあまり好きではない(複雑)。さあこれから大学へ行って勉強しよう!という朝にバイキングは不向きだった。

ということで、Aホテルのように座ってれば「洋食、和食のどちらになさいますか?」と聞いてくれて持ってきてもらえるのはありがたかった。
ただ、バイキングのように自分が食べられる量を調整できないので、たいてい量が多い。食べきることができない。
だから私は申し訳ないと思いつつ毎朝半分くらい残していた(ホテルの人が嫌な顔をすることはないけれど、やっぱりねぇ…)。

毎回毎回、車いすに乗った私が一人で泊まっていたのはそれなりに目立ったと思う。そして毎朝宿泊客ではない人がその部屋を訪問し、毎夕宿泊客ではない人に車いすを押してもらいながら帰ってくる。
ホテル側が宿泊客の事情を詮索することなどないけれど、それにしても不思議だったと思う。
それでもフロントの人はにこやかだった。
それほど大きなホテルではなかったから、フロントの人も大体同じ人だ。
朝、私が大学へ行くために鍵を預けに行くと「行ってらっしゃませ」と送り出してくれる。ホテルに戻ると「お帰りなさいませ」と言ってくれた。

これ、結構安心感があった。
ボランティアさんは友人であることが多かったものの、初めましての人が大多数だった。
おまけに朝から夕方まで大学でずっと勉強。気が張っていた。
見慣れた人の顔を見て、声を聴けるというのは良いものだなと思った。
ウィークリーマンションじゃなくて良かったとも思った。

宿泊している部屋のトイレの水が止まらなくなったことがあって、フロントの人が工具を持ってきて何やらゴソゴソ、修理?してくれたのも思い出かな。…新しいホテルとは言い難かったから、うん。

いつの頃からか、ホテルから季節のご挨拶のハガキが届くようになっていた。

次にそのホテルを訪れると、彼らは私の顔を見ただけで「ぱきらさま、いらっしゃいませ」と言ってくれるようになっていた。

おお、もしや私ってば常連さん?
なんだか大人になった気がして嬉しかった。
…いえ、年齢的にはその頃でも十分大人なんですけどね。

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私は社会に出たことがほとんどなかった。
だからおそらく、一般的な同年齢の人よりも常識に欠けていると思っている。そして今もたぶんそうだろうと考えている。

でもこの頃の私はそれはもう、必死。
バスに乗ったのははるか昔、おそらく小学一年生の頃が最後だったのによく乗ろうと思ったものだ。しかも、初めましての人と一緒に。

タクシーだってそう。家の車に乗せてもらうことが当たり前で、たまに乗ることがあってもそれは家族とだ。初めましての人と車内で会話といってもたかが知れてて、沈黙が重いときもあった。

そしてタクシーの運転手さんは人によって癖が強い人もいた。
車いすに触れたことがなくて、背もたれ部分が折れるので…と畳んでも、結局力任せにトランクに積んでいる人がいた。
トランクからはみ出した車いすが何かの拍子に落ちやしないかとヒヤヒヤしたこともある(ゴムチューブみたいなものでトランクの蓋を括っているから実際に飛び出ることはないのだけれど)。

一方で「実は私介護福祉士の免許持ってますねん」とにこにこしながら「大変ですなぁ。頑張ってくださいや~」と励ましまくってくれる人がいたり。
「個人タクシーに乗るのはやめとき。お客さんがこの辺の道路に詳しくないの知ってるから、変に回り道して料金高くするんや」と教えてくれる人もいた(確かに乗るタクシーによって妙に料金の差がついて不思議に思うことがあった)。

一つひとつが強烈な社会勉強だった。

疾患や障害のある人たちが社会に出ることはとても大切なのだと身に染みて感じている。
それは何かを読んだり見たりして得た知識とは違って、ああいう直接的な体験が私と社会を結び付けてくれるのだと思う。

そしておそらく私が社会に出ることによって、なんらか気づいてくれる人が出てくると考えている(そしてそう思いたい)。

それはバスの中で乗り合わせた人かもしれないし、タクシーの運転手さんかもしれないし、ホテルの人かもしれないし、私と直接関わってくれたボランティアさんかもしれないし、その辺の通りすがりの人かもしれない。

「共生社会の実現を」的なことを耳にすることがある。そのためにはもちろんハード面の環境整理は必要だ。そして基本的な考え方を学ぶことも必要だ。けれども私は本来、共生社会の実現のために何かを構えて取り組むといった必要はないような気がしている。
というより、何かを構えて取り組むことがなくなったときが「共生社会が実現された」ときになるのではないかと考えている。

私と私の横に座っている人は違う。
それは目に見えて違うこともある。目に見えない違いもある。
それがわかっていることが最も大事なのではないだろうか。

人生で一番、初めましての人に会って自分のことを説明した期間。
人生で一番、バスを利用して、ホテルに宿泊して、タクシーに乗った期間。

嫌なことも嬉しいことも色濃く残った、スクーリング期間のコソコソ話。

「共生社会」とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会である。このような社会を目指すことは、我が国において最も積極的に取り組むべき重要な課題である。

※文部科科学省「共生社会の形成に向けて」より抜粋。

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ぱきら
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