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【星涯哀歌3】分解された女【蔵出しSF詩】
【コーヒー/海/ペパーミント/煙草】
なじんだ感情波が流れてくる。
鳩尾に力をこめる。
眉間に集中する。
ひょいとこころの触手をのばす。
彼の思考波がわたしのこころに入りこむ。
【今夜は七時半に待ち合わせで】
【その前に銀行に寄って】
【なんで彼女は黙ってるのか 黙っているのはそれはそれで】
【面倒くさい】
【もう暑いなあ 冬物しまわないと】
彼がわたしを面倒くさがってるのは知ってる。
そんなことは知ってる。
わたしが見たいのは
その奥。
【彼女とはちがう】
【あのこの舌の使い方】
【大きめの乳房が手の下にゆがんで】
吐き気を抑えてさらに奥に入る。
からみあう肉体のイメージ、豊饒の角、
白い砲弾のような乳房がねじれて下につながり、
下半身は二匹のよじれた蛇、これは見たくない、
でもその奥、
強烈な深紅にいろどられた、
意識の深奥の唇がめくれあがる、
恐ろしくてあまいその抱擁、
あれは彼の母親だ。
奥に入り過ぎた。もうすこし、手前。
【土曜の午後/川辺/読みさしの本/紅茶】
ここよ、ここなの。
記憶は消えていない。
意識の表面が忘れても無意識は忘れない。
五月の日ざしの下、明るい川辺での一日、
土手にシートを広げてすわっているのはわたし。
あのとき彼の目に映っていたわたし。
わたしがあんなにきれいだったことはない。
空が夕暮れてゆく、
あのころは長かったわたしの髪が、
すっかりオレンジに染まって。
ふりむく。
一枚の絵のように。
でもそれは絵ではなくて、
絵ではない証拠に移り変わってゆく。
舞台は川辺から暗い部屋に移り、
わたしは黄土色のみっともないガウンを着て、
やめなくちゃ、
もうのぞくのをやめなくちゃ、
わたしは分解されてゆく、
あまり大きくない乳房と、うすい尻と、
あばらの目立つ腹部と、
もうやめなくちゃ、
彼の目に映ったわたしはもうすこしも美しくない。
わたしは分解された女、
分解され尽くして彼の興味をひかない女。
彼のこころのなか、
野放図にはびこる雑草の粘っこい草いきれのなか、冷たい水が湧きあがり湧きあがり、
冷たい水は氷となりわたしを凍りづけにし、
「俺、そろそろ用事があるんだけど」
彼が言う。めんどくさそうに言う。
わたしはこころの触手をひきもどす。
わたしは彼に謝る。謝る。
ごめんなさい。覗き見してごめんなさい。
でもそれだけがわたしの生きるよすがなのです。
もちろんそんなこと言わない。思うだけ。
思うだけなら彼に伝わることはない。
彼にテレパス能力はないんだから。
わたしは彼にさよならを言う。
なじんだ身体がなじんだ感情波とともに去ってゆく。
【コーヒー/海/ペパーミント/煙草】
※※※
タイトル元ネタはアルフレッド・ベスター『分解された男』です。『破壊された男』という翻訳もあり私はどっちも読みましたが『分解された男』のほうがなぜだか好きです。『分解された男』とこの詩の分解の意味は全く違います。でもテレパスが思考をどう受け取るかについての表記にはひっじょうに影響を受けております。というかすごくわかりやすく真似しました。
男と女を逆転してみる、というのは何度もやりましたが、「接続された男」が書けません。元ネタはもちろんジェイムズ・ティプトリー・ジュニアですよ。いずれ書いてやりたいものです。