読み書きができない人々から生まれた、感覚に訴える「マラケシュ・スーク」のディスプレイ
by パケトラライター 宮本薫(ドイツ・ベルリン在住)
昔、モロッコのマラケシュで暮らし始めた時、読み書きができない人が多いことに驚きました。2001年頃のモロッコの識字率は約50%(2015年68.5%)。農村部や女性の識字率が低く、田舎に行くと小学校にも通ったことがない、自分の名前も書けない女性が珍しくありませんでした(2019年現在では、ほぼすべての子どもたちが小学校に通えるようになっているので、今後徐々に改善されると思われます)。
私たち日本人は、どんなに勉強が嫌いな人でも日本語の読み書きはできますし、文字に頼った生活を送っています。「読み書きができない状況」というのは、なかなか想像がつかないと思います。
ちょっとしたメモも取れない、お料理のレシピも読めない、自分の携帯電話に家族が登録してくれた人名リストが読めない、食品などの成分表示が読めないなど、家庭内で生活していたとしてもかなり不便ですが、読めない本人は、あっけらかんとして、あまりコンプレックスにも感じていない様子。
固定電話しかなかった時代に、携帯電話が使えないことを不便に思わないようなものでしょうか・・・。彼女たちは、読み書きができない代わりに記憶力がものすごく良いので、毎日の暮らしではそこまで困らないのかもしれません。成人の識字教育をしても、実際の暮らしの中で使う機会が少ないため、文字に関してはすぐに忘れてしまう人が多いのだとか。
モロッコの旧市街のマーケット・スークは、現代でも100年、200年前のような雰囲気が楽しめる場所です。スークを歩いていて気がつくこと、それは、文字を使った宣伝があまりないことです。
それぞれの店先には、ぎっしりと商品が並べられているので何屋さんかわかりますし、文字が氾濫していないことで昔ながらの雰囲気が保たれています。観光客向けの大型店、有名店を除くと、お店の看板がないのは普通で、ポップや値札すら見当たりません。
近所の人々は、適当に「なんとか通りのハッサンの店」などと呼んでいて、店の正式名称は知らなかったりしますし、買い物をした後も、適当な再利用の袋に詰めてくれるだけで、お店の名前を書いた紙袋もなければ領収書もありません。
どうしても領収書が必要だと言い張ると出してくれますが、大変な騒ぎで、あちらからペンを借りてきて、こちらから紙を調達し、フランス語のアルファベットが書ける若いお兄さんを探して来てお願いして書いてもらう・・・というように、領収書一枚用意するのに30分はかかります。
私たちの感覚では、「お店を出す」となると店のロゴを作り、印刷物を刷り、ホームページを開設し、店の中で使うポップを作り、コンセプトのテキストを作り、良い口コミが集まるように工夫し・・・というように、店自体、商品自体と同じくらい文字を使ったイメージ作りやコミュニケーションに力を注ぎます。
しかし、モロッコ人が経営するモロッコのお店でそういうものを用意しているところはほとんどありません。看板もなしでどうやって商売しているのかというと、隣近所との信頼関係です。なんとか通りのハッサンが何をしているか、どんな商品を扱っているのかはみんな知っているので、モロッコ人同士の商売であれば特に必要ないのです。
そして「見たらわかる」が徹底しているので、どこの国の観光客が来ても問題ありません。また、お客さんが興味を持つと、それからのコミュニケーションは「会話」です。値札も、商品の説明も、素材の説明も、書いたものは何もありません。会話でひとつひとつ説明していきます。
読み書きできない状況を想像することは難しい、と最初に書きましたが、私自身「アラビア語の読み書きができないけれど口語の初級アラビア語のモロッコ方言は話せる」という状況で暮らしていたので、実はモロッコでは「読み書きができない人」の一人でした。
書かれたものがないと、その物をじっくり見たり、感じること、会話をして理解することに集中するようになるから不思議です。識字率が低いこと、低かったことは当然ネガティブなことで、それが改善されてきているのは喜ぶべきですが、モロッコの文字に依存しないディスプレイや商売のありかたは、とても印象的で、美しく、記憶に残ります。
以前、日本で大型展示会に出展した際にモロッコのディスプレイを再現してみたところ、非常に好評でした。雰囲気重視で感覚に訴える、マラケシュのスークのディスプレイは、外国人観光客が益々増えている日本でも参考にもなりそうです。
by パケトラライター 宮本薫(ドイツ・ベルリン在住)
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