「クラクラ日記」の中の石神井
石神井の「ふるさと文化館 分室」では、練馬区ゆかりの文化人がパネルで紹介されているが、太宰治や坂口安吾の展示まではない。二人は石神井でもエピソードを残しているのだが、この地と昭和文壇の面々を結びつけてくれたのは、檀一雄と書き残した「小説 太宰治」や「太宰と安吾」という著作のお陰だと思う。
最近、練馬区教育委員会が旧檀一雄邸のそばに「檀一雄文学顕彰碑」を建てた。今さらな気もするが、いいことだ。
坂口安吾が、妻・美千代と共に石神井在住の檀一雄宅に身を寄せていたのは1951年。「太宰と安吾」によれば、精神に不安があった安吾は「石神井のちっぽけな料理屋」にライスカレー100人前を注文する騒動を起こした。用意した店は、現在も営業中の「辰巳軒」と、2022年に惜しくも閉店した「ほかり食堂」らしい。
美千代が安吾との結婚生活を回想した「クラクラ日記」(ちくま文庫)では、安吾のアドルム(催眠薬)中毒と奇行の数々が紹介されている。彼女は一か月余りの石神井滞在について、「私が思い出すのはつまらないことばかり」と書いた。自転車で公園を一周する朝の散歩では、飼い犬のラモーが肥だめに落ちる。先のカレー騒動では、檀家の庭の芝生でライスカレーを食べながら、縁側に次々と並べられていく様子を眺めていたそうだ。
「クラクラ日記」では十人足らずで百人前を一生懸命食べたことになっておいるが、檀一雄は「二十皿」くらいと書いていて、ささいな食い違いはある。何より印象が異なるのは、美千代が当時のことを「今はオカシクてしょうがないような気持で思い出される。」としている点だ。檀の表現では「怒号している安吾の声を、今でも耳に聞くような心地がする。」となっていて、同じ逸話を語っているようには思えない。
苦労の絶えなかった美千代には同情を禁じえないが、彼女の筆を通すと、非常事態さえユーモラスな光景になってしまう。肝が据わっているということなのだろう。
「クラクラ日記」のあとがきによれば、「クラクラ」とはフランス語で「野雀」のことだそうだ。「そばかすだらけで、いくらでもその辺にいるような平凡なありふれた少女のことをいう綽名」ともあるが、これは彼女が経営した銀座のバーの名前になっている。
石神井公園駅の近く、かつての「西友通り」にも「クラクラ」という「自然派ワイン食堂がある。飾り棚が通りに面していて、レストランと気づかずに通り過ぎていたが、本棚に文庫の「クラクラ日記」が並んでいるらしい。
土曜日のランチタイムに行ってみると、その日は誰も飲んでいなかった。満員の九割が女性で、小上がりにいたのは幼い子ども連れ。「昼飲みセット」もあったけれど、こうした状況になると、一人で飲むのは気まずい。「週替わり定食」を頼むと、体に良さそうな、優しい食事が出てきた。
店内に本棚があって、「ゴダール」(フランスの映画監督)の本などが並んでいる。確かに「クラクラ日記」も置いてあったけれど、ゆかりはあるのだろうか。他に坂口安吾を連想させるものも見当たらず、いまだ店の人に質問出来ずにいる。
ゆかりがあると言えば、こちらを先に紹介するべきだったかもしれないが、新宿ゴールデン街には「クラクラ」というバーがある。以前から、看板だけは見ていたが、酔って頭が「クラクラ」するのだと思っていた。こちらの方はかつて美千代が銀座に開いたクラクラから、承諾を得て、先のオーナーがつけたそうだ。
その夜、集まってきたのは常連さんばかり。昨今の観光地的喧噪からは一線を隔され、落ち着いていた。また行こう。