“描くことはふたたび愛すること”|Lilyさんの絵画レッスン #04
Lilyさんの絵画レッスン、初回の桃に続き、2回目のモチーフにはお銚子が選ばれた。白地に藍色の牡丹の絵が入っており、アンティークな風合いで趣がある。これで日本酒を飲んだりするのかな、いいな。
絵画レッスンをしていると、楽しい。多くの人は、レッスンにあたり、好意的に思っているものごとを描く。コンセプチュアルな美術作品などはその限りでないが、絵画技術を習おうという段階で大嫌いなものを描く人は、あまりいない(あるとすれば、心理療法的な何かとか、はたまた呪いの類とか……、ちょっと目的が変わってくる)。
ヘンリー・ミラーに “To paint is to love again/描くことはふたたび愛すること” という言葉がある(書籍のタイトルにもなっている)。これは私の座右の銘として、いつも心の床の間にある。描くことは、自分が世界の中で選びとったものを自分の手で再確認し、再発見し、慈しむことだ。おそらくそれは、絵画に限らず、すべての探求と表現活動の根幹ではないだろうか。大仰なようだけれど、確かにそれは、愛と呼んでもいいんじゃないでしょうか。
絵画レッスンでは、絵を習おうという人たちの、この “ふたたび愛する”その 過程を目撃することになる。
この日も、画面越しに初対面するお銚子に、私まですっかり愛着が湧いてしまった。その白く滑らかな質感とほんの少し歪さを残したフォルム、粋で艶やかな藍色の牡丹、全体をきりりと引き締めるように配された上下のライン。
さてこの白いお銚子を白い紙に写生する。明暗の相対関係が的確ならば、しっかりと暗いグレートーンを使っても、白い色味を表現することはできる。陶器の滑らかな質感が出るように、やや硬めの鉛筆を立て気味にタッチを入れていく。Lilyさんにはその工程を化粧に例えて説明したが、陶器の質感をきれいに出すために紙のキメを潰さないよう丁寧にタッチを置いていく点なんかも、人の肌の扱いに似ている。
Lilyさんには、筆圧と鉛筆の角度に気を付けつつ、しかし遠慮せずに塗り重ねてもらうように伝えた。繊細なお且つ、大胆に。
経験上、少し過剰なくらいにやってみて、そこから作業量や力加減を抜く方向で習ったほうが、上達が速い。デッサンは「三歩進んで二歩下がる」だとよく説明する。思い切りが大事だ。このあたり、Lilyさんは素晴らしく胆力がある。生来のものもあるだろうが、編集という仕事で、日々の取捨選択の連続により鍛えられた決断力の賜ではないかと推察している。何を選ぶか、何を選ばないのか。自分で責任を負った決断の数が、その選択の精度を上げていく。人生はワンツーパンチ。
形が取れて、全体の大まかな明暗がのったら、今度は牡丹の図柄も入れる。円筒の表面に描かれている模様の歪曲に気を付けつつ形を取り、図柄を写す。まるで刺青のようだ。そして今度は、図柄の上も跨いで鉛筆を往復させ、お銚子全体の明暗をさらに入れると、牡丹がお銚子の表面にしっかり張り付いて見えてくる。牡丹のトーンにより、陶器の地の白さもさらに引き立った。台座の陰影も入れて、デッサンは完成した。
描かれたお銚子は、さながら小粋な姐さんといった姿で、心なしかLilyさんそのものを彷彿とさせた。
文・絵:仙石裕美
◎ 今回のレッスンについてのLilyの日記
■ London Story:画家の生活|仙石裕美
■ 絵画レッスン交換日記:目を凝らせば、世界は甘美