大人になるとは初体験の機会を失うことである|絵を描くことで思考する #01
30年ぶり、絵を描く目的で鉛筆を手にすることになった。
と言っても、もともと私は「鉛筆超ヘビーユーザー」だ。仕事でゲラに文字を書き入れるときに鉛筆を使っているからだ。BLACKWINGの602が手元にないと、仕事ができない。カポーティもナボコフも愛用した銘品である。『冷血』も『ロリータ』もこの鉛筆から生まれたのかと思うと気分が上がるし、じっさいとびきり書きやすい。家中のシャープペンシルをすべて火に焚べたとて、わが人生にいっぺんの悔いなし、と思い詰めるほどのBLACKWING原理主義者である。知らんけど。
BLACKWING愛については語るとキリがなくなるのでここらでいったんやめるけれども、鉛筆については一過言ある。それがレッスン初回のカウンセリング(私の絵画体験をひたすら楽しく喋りまくり、それを裕美師匠に聴いてもらう。その気持ちのいいこと!)を受ける前、絵を描くときには違うメーカーの鉛筆を使ってみよう、かな? という気分になっていた。なぜか。「初体験」という状況に自分の身を置いてみたいと思ったからだ。
大人になるとは初体験の機会を失うことである。
上等な肉を出す焼肉屋の隣卓から「こんなに美味しい肉を初めて食べた!」という常套的な感想が聞こえてきたとする。話者が小学生なら「そうか、よかったやん!」と思う。だがしかし、これが分別のある大人の会話であるなら、「確かに美味しいけれども、ほんまに初めてって思てはります???」とは考える。汚れつちまつた悲しみである。
いい肉を食べるーーそんなこと一つが「初めて」だった、「初めて」で満ち満ちに満ちていた世界は、馬齢を重ねるうちに緩慢に錆びつく。フレッシュで素直な驚きを持って世界を感じ、知ろうとする己の感性は、気がつくと太々しく遅鈍なものに成り下がっている。油断がならない。
30年ぶりの体験は正確には初体験ではない。しかし、物ごとをきっぱり止めてしまうようなところがある私は、「もう描かない」と決めたのち、落書き的に絵を描くことさえほとんどしなかった。絵を描く感覚は30年をかけて、すでに失われていた。
ゲラに鉛筆で文字を書き込む。
スケッチブックに鉛筆で絵を描く。
二つの行為は、ともに鉛筆という道具を使う意味では似ているようだ。だが、目的、ゴール、ひいては「実現したい世界」はまったく違っている。行動原理が違うのだ。そして、行動原理が違う以上は、目的の実現手段としての道具である鉛筆もまた、「同じ鉛筆であって、同じでない」ということになる。禅問答か。いや、そうじゃない。
つまり私は、「絵を描くため」に、「文字を書くため」とは「似て非なる」「鉛筆」という道具と一から向き合おうと思ったのだった。そのとき私に必要なのは、「文字を書くときに使っている『いつもの』アレ」、という惰性にまみれた固定観念を捨てることだろう。慣れ親しんだ鉛筆というものへの思い込みと経験をいったん捨てる。真っ白に戻る。でも、そんなことができるのか。
かつて、外科医をしている左利きの男友達に訊いたことがあった。お互い学生で、気まぐれにどちらかが思い出しては、ご飯を食べた。
「最初、右手でメス持つの大変やったんと違う?」
彼は答えたものだ。
「いや、べつに。メスを初めて使うんは、みんな一緒やからなあ。右利きの人かて最初慣れへんし、おれかてやっぱり慣れへんし。慣れへんという意味ではスタート一緒やん。そない変わらへんよ」
禅問答か。だがしかし、本気でそう思い込んでいる様子だったし、利き手ではない手で道具を操作することにディスアドバンテージを感じている気配はなかった。
右手でメスを持ち、線を引くように動かす。皮膚が、刹那遅れて割れ、肉が露わになる。その人はもはや、放課後バイオレンス映画ばかりを一緒に好んで見にいった特別仲のいい同級生ではなかった。自分がよく知る、自分の世界に存在していた人では、すでになくなっていたのだ。ほとんど人がいない映画館。「ソナチネ」。彼は左利きで私は右利きだから、彼が右、私が左に座るのが常だった。私はかつて、どんな道具も左手で器用に扱い、しかしそれが器用であればあるほどどこか不自然な動き方をする彼の左手の所作に惹かれたものだった。
右手で新しい世界に踏み込んでいった男友達とは、自然な流れで会う機会も減っていった。
***
裕美師匠のアドバイスで買った道具
鉛筆「STAEDTLER/Mars Lumograph」2H、H、HB、B、2B、4B
練りゴム
スケッチブック「Maruman/ART Spiral」F6判、「Maruman/CROOUIS」SS-01
カッターナイフ
文:編集Lily
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