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メンヘラは海外に行け!!!
なぜ、メンヘラは海外に行くべきなのか?
私は、もし海外に行っていなければ、今頃この世に存在していなかったでしょう。
私は、俗に言う「メンヘラ」でした。
15歳の時点では、自ら命を絶つことを考えていた私。
中高生時代の荒れていた私を知る人々からすれば、現在の私の姿に驚くはずです。
現在、私はWeb制作の仕事をしながら、インドネシアで大学生として学んでいます。
インドネシアの環境と人々の温かさに魅了され、さらに深く理解したいと思い、現在はインドネシア語の学習に励んでいます。
最終的な目標は、海外移住です。
「メンヘラ」で死ぬことしか考えていなかった私が、海外に飛び出して前に進むことができた、その劇的な転機を綴ります。
今、私は苦しい過去を乗り越え、新たな人生を歩んでいます。
傷ついた心の軌跡
小学生の時、両親から虐待を受けていました。そして、ある時、両親は突然家に帰ってこなくなり、私は児童養護施設で生活することになりました。
ですが、その施設は、まるで牢獄のような世界でした。自由はなく、上級生からのいじめは日常茶飯事。平等に配られるお菓子やお小遣いは、すべて上級生に奪われていました。さらに、子どもをいじめる職員まで存在していました。
窮屈な生活に耐えられず、私は何度も脱走を試みました。
「なぜ、子どもを守るはずの大人が、心や体に傷がついた子どもをいじめるのか」
当時9歳だった私は、日本社会に対して闇を感じ、生きる意味合いについて考え始めました。
中学生になり、母が突然迎えに来ましたが、海外に行ってしまったので、わずか1年で再び家に帰ってこなくなりました。
私は当時、付き合っていた彼氏の家に居候していましたが、彼が警察に逮捕され、行き場を失いホームレスになりました。
生活するためには、お金が必要不可欠。
当時、メルカリが出始め、友人紹介キャンペーンを利用し、生計を立てていました。
やがて、いわゆる不良グループに属し、学校には行かずに毎晩遊び明かす生活を送るようになりました。
当時は、同じ境遇の仲間と過ごすことで、安心感がありました。ですが、周りの同級生が必死に受験勉強をする中、私は自分の将来に不安を抱いていました。
そして、早く自立したいと考え、中卒で働くことを考えていました。
しかし、中学3年生の担任の先生の一言が転機となりました。
「暇だろう?公立受験だけしてみろ。そしたら、焼肉に連れて行ってやる」
その言葉に、私は高校受験を軽い気持ちで受けることにしました。そして、運よく合格し、自称進学校の国際科に進学することになりました。
生きるための戦いと心の闇
高校生となった私は、早朝はパン屋、放課後はピザ屋とメイドカフェなど、休む暇もなくアルバイトに明け暮れました。周りの友人が親からお小遣いをもらい、アルバイトもせず遊んでいる中、私は生きるために必死でした。
睡眠時間を削りながら働き、日中は学校へ通う生活は、当時15歳の私にとって精神的に限界でした。人前で弱音を吐くことができない性格だったため、毎日隠れて一人で泣くことが習慣になっていました。
やがて自殺を考えるようになり、精神的なストレスが原因で摂食障害にも苦しむようになりました。
それでも、不良グループには依然として属しており、バイトがない日は朝まで遊ぶ生活を送っていました。それが私にとって唯一の心の拠り所であり、ストレスを発散できる場でもありました。
世界の片隅で気づいた、本当の「かわいそう」の意味
そんな中、高校の社会科の授業で視聴した「もし世界が100人の村だったら」というドキュメンタリー番組が、私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。番組に登場したフィリピンのスラム街でゴミを拾って生計を立てる少女の姿に、かつてホームレス生活を経験した自分の姿を重ね合わせました。
「テレビ番組だから、誇張されているだけかもしれない」と思った私は、自分の目で確かめたいという思いに駆られました。そして、高校1年生のときにアルバイト代を貯めて実際にフィリピンのスラム街を訪れることにしました。
そこで、私は想像を絶する光景に衝撃を受けました。広がるゴミの山、鼻を突く異臭、無数の虫。最初は「かわいそう」としか思えない環境に圧倒されました。しかし、その中で笑顔を浮かべ、力強く生きる現地の人々と出会い、私の価値観は根底から覆されました。
物質的には豊かでない生活の中に、彼らは愛と希望を見出し、小さな幸せに感謝していました。日本で抱いていた「貧しさ=不幸」という先入観は、見事に打ち砕かれたのです。
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さらに、タイのバンコクを訪れた際、カオサン通りという、夜が明けても賑やかなクラブ街の片隅で、私は衝撃的な光景を目の当たりにしました。小学生くらいの小さな少女が、観光客に花を売る姿を見かけたのです。
その小さな体で、夜通し働き続ける彼女の姿には、まだ幼さが残るものの、目の奥にどこか消え入りそうな無力感が漂っていました。また、彼女が遭遇している現実には、言葉にできないほどの深刻さがありました。
観光客の男性たちは、無邪気に接することなく、彼女にキスやハグを強要する場面も目撃しました。幼い少女の表情からは、かつて無邪気であったであろう笑顔や温かみが失われ、代わりに見えたのは、ただひたすらに「生きるため」の冷徹な視線でした。
その眼差しには、彼女がただ生きるために、どれほど必死に戦っているのかを物語っているようでした。
彼女が抱える現実は、私の想像を遥かに超えて過酷なものであることを感じずにはいられませんでした。
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その時、私は気づきました。
「日本に生まれたというだけで、私はどれだけ恵まれていたのか」を。
世界では、戦争や飢餓、日々の生活を生き抜くための壮絶な現実。それでも、懸命に生きる人々の姿に、私は真の強さを感じました。海外で見た光景は、私に新たな視点を与えました。日本人は、物質的な豊かさや社会的な成功を追い求める一方で、幸福の本質を見失いがちです。一方、貧困地帯で生活する子どもたちは、小さな出来事にも純粋に喜びを感じ、生きることそのものを肯定していました。
私は、世界の現実を直視することで、自分の抱えていた不満や自己憐憫が、どれほど小さなものだったかを痛感しました。
そして、この経験が、私が新たな人生を切り開く原動力となったのです。
どん底からの挑戦 : メンヘラだった私が掴んだ未来
高校を卒業した私は、大学に進学する予定はまったくありませんでした。奨学金を借りることも難しい状況で、自分にとって大学進学は贅沢で遠い存在に感じていたのです。
しかし、高校の担任の先生から、「海外で活躍したいなら、大卒の肩書きがあったほうが道は広がる」とアドバイスを受けました。この言葉に背中を押され、大学のレベルを下げて特待生制度を活用できる大学を目指すことを決意。そして、努力の末に特待生として進学を果たし、大学では児童労働や人身売買について研究を深めることにしました。
しかし、大学生活は決して順風満帆ではありませんでした。一人暮らしの家賃、生活費、学費のすべてを自分で賄う必要がありました。授業は週5日、1限から4限までぎっしり詰まっており、その隙間時間でアルバイトをこなし、課題や試験勉強に追われる日々。
1日の睡眠時間はほんのわずかで、心身ともに疲弊していました。
さらなる試練は、コロナ禍で訪れました。
アルバイト先が閉店し、収入が途絶え、ホームレス生活を余儀なくされたのです。ネットカフェや公園、シェルターを転々としながら過ごした日々は、まさに人生のどん底でした。
それでも、「今の辛さを乗り越えれば、必ず良いことが待っている」と自分に言い聞かせました。
その時、ふと海外で目にした光景が頭に浮かびました。
フィリピンのスラム街で出会った子どもたちや、タイで深夜に働く少女のことを思い出したのです。
「自分だけが苦しいわけではない。世界には、自分以上に厳しい状況に置かれながらも、懸命に生きる人々がいる。」
そう考えると、不思議と前を向く力が湧いてきました。
そして、幸いにも、私はNPO法人の方々からの支援を受けたり、シェアハウスを運営している方との出会いを通じて、住む場所を確保することができました。
さらに、外資系IT企業に就職する機会を得て、会社から学費の半額を支援していただけることになりました。そのおかげで、大学卒業という目標を無事に達成することができました。
また、コロナ禍の収束を機にバリ島の旅行会社でインターンシップに参加しました。日本ではインドネシア人富裕層を対象とした観光事業に携わり、バリ島では日本人観光客をサポートする業務を経験しました。
この中で、インドネシアの人々から多くのことを学び、その豊かな文化や温かい人々に次第に魅了されていきました。
一方で、バリ島の田舎で目にした現実は、再び私の価値観を揺さぶりました。
1日100円で生活をしないといけない家庭、子どもたちを祖父母が育て、親は海外で不法労働に従事して家族を支えるという、貧困に苦しむ現実を目の当たりにしたのです。
このような現状に触れるたびに、自分の境遇や経験が小さく感じられると同時に、何かを変えたいという強い思いが芽生えました。
一歩踏み出す勇気が未来を拓く
私は様々な経験を通じて、次第に自分の使命を見つけつつあります。
それは、「困難を抱える人々に希望を届けること、そして新しい可能性を切り開く手助けをすること」です。
私はこれから、海外で生活基盤を築き、同じような境遇にいる若者たちが新たな一歩を踏み出せるようなきっかけを提供していきたいと考えています。
私が目指すのは、ただの「場所」ではなく、人々が成長し、夢に向かって進むための「コミュニティ」を作ることです。このコミュニティは、現状を変えたい、挑戦したい、夢を追いたいという熱意を持つ人たちが集い、互いに支え合いながら進化していける空間です。
そして、将来的には海外の貧困地帯で未来を諦めざるを得ない外国人の若者たちにも、可能性を取り戻すための支援を行いたいと考えています。社会的孤立や不安を抱える人々が、誰かの手を借りて希望を見つけられる社会を実現することが、私の目標です。
しかし、この大きな目標を実現するためには、まず私自身がしっかりと地に足をつけた生活基盤を築く必要があります。
現在、私は多くの方々の温かい支えの中で、自分自身を磨き、成長を続けています。Web制作を教えてくださる方々、海外で活躍されているビジネスマンの方から、実際の現場や成功のノウハウを学ばせていただいています。
このような貴重な経験を通じて、「行動し続けること」の重要性を改めて実感しました。
とはいえ、最初の一歩を踏み出すには、言葉では言い尽くせないほどの勇気が必要です。なぜなら、未知の世界に飛び込む恐怖や不安は、誰しもが感じるものだからです。私も同じように迷いや恐れを抱えた一人でした。それでも、その一歩を踏み出した瞬間に見えた景色は、かつての私が想像していた世界とはまったく違うものでした。挑戦することで得られる自由、可能性、そして喜び。
これらは、ただ安全な場所に留まっていては決して手に入れることはできません。
そして、今、私がここまで来られたのは、周りの方々の支えと助けがあったからこそです。だからこそ、次は私が誰かを支える番だと思っています。まだまだ未熟で社会経験も浅い私ですが、これまでに培った経験や知識を、同じように一歩を踏み出そうとしている人々に還元していきたいと考えています。
今の私は、新しい自由を手に入れ、これからが私の新しい章の始まりです。支えてくださったすべての方々への感謝を胸に、同年代の方々に追いつき、そして追い越すために、これからも努力を惜しみません。
最後に
もし今、苦しみや不安の中にいるあなたがこれを読んでいるなら、伝えたいことがあります。
世界は、あなたが想像する以上に広く、未知の可能性に溢れています。
一歩を踏み出す勇気を持つことで、あなたの未来は大きく変わります。
恐れを超えて踏み出した先に、新しい道が必ず見つかるはずです。
どうか、自分自身を信じてください。
未来を変える力は、あなたの中にあります。