運命とは自分自身だ
ぼくは岡本太郎を尊敬している。
南青山の記念館に行ったとき、意外なことに、ひっきりなしに若い人が来ていた。岡本太郎を知らない世代のはずだ。とてもいいことだと思う。
岡本太郎は、人間の利己的な本能を理性で制御した人だ。
ぼくが生意気なクソガキの頃、岡本太郎をおちょくるつもりで質問したことがある。記憶ははっきりとはしていないが、真剣ではなかったのは確かだ。
「運命について」だったはず。
小説の一文を自分の意見のようにパクった最低の質問だったと思う。
師岡本太郎は「運命とは自分自身だ」「運命を変えるとは自分自身を変えることだ」みたいな答えをしてくれた。
その答えの意味を深く理解できたのは、生意気さを年齢によって削られたオジンになってからだ。
「岡本太郎先生はすごい」と最近さらに思っている。
今思えば、岡本太郎は、人間のいやらしい本能や利己的な運命を悲壮感なく人間として闘った人なのだと強く思う。
岡本太郎のテーマは、自分自身のテーマでもある。
「自分らしく生きる」を実践した人ではなく、その奥底にある「利己的な心」を敵としていた節がある。そこが岡本太郎の主張の肝ではないかと強く思う。
岡本太郎を乗り越えることは容易ではない。
しかし、いつも頭の中には、事あるごとに「運命とは自分自身だ」「自分自身を変えることが運命を変えることだ」という言葉が付いて離れないのだ。
今日は天気も良いし、ちょっといいこと言ったかも知れない。