人間というもの: 心もよう
私は「人間とは何か」とよく考える。
「思うと考えるは違う」というのは私が言い出したことだ。
「苦悩や煩悶は期待と思い込みから生じる」というのも私が言い出したことだ。
人間を観察していると普遍的な心の働きを見出すことができる。
期待と思い込みが苦悩や煩悶を生じるというのは、仏陀の原始仏教にもその分脈から見出すことができる。
人間の推論は自動的に働くが、そのネタになるものがある。そこから発生する推論が現実をうまく表していないと苦悩や煩悶を生じるのだ。
環境や状況に対する態度が心の働きに強く影響する。心は環境の変化という大きな変化ではなく、人間関係も含めた小さな変化にも対応しているが、それをどう制御するかとか、どう考えるかというのは、後天的な学習が不可欠である。
思考は、自動的に働く本能的な心にほぼ負けるのだ。それは自由にも思え、反対に不自由にも思えるのである。
心は常に変化していき、上書きされながら、さらに修正や訂正をしつつより健常な心を作り上げようとする。
もしかすると、健常な心が初めにあって、無駄な心の働きが健常さを覆い隠していくように思えなくもない。
心は身体と同じように、健常であればあるほど苦悩や煩悶はないのだ。
こうやって考えることは悩むということではなく、満足に向かう過程なので楽になっていくのである。
なかなか理解してくれる人はいないが、心について学び考えることは、心を健常を保つことに貢献することがわかっている。