人間というもの: 自己評価
自己評価は低く設定しておいた方がいい。
こういうと「だって…」と反論されがちだが、高い自己評価への期待はそう評価されることはほとんどない現実に打ちのめされる。
感情が不安定な状態が続くと自分への関心が高まるようだ。
うまくいかない自分は何なんだと思うのかもしれないがその疑問の答えはゴールではない。
人間の生きていく条件の中で自分への関心が占める割合は多くない。
その関心に対応するビジネスはあるがあくまでもビジネスであって重要度は高くないのだ。
「自分、自分、自分」とやかましいが、何がどうあって欲しいのだろう。自分を知ったところで何かが始まるわけではない。
報われない想いは煩悶を更に増すだけだと思うがどうなのだろう。
自分への強い関心は自己憐憫の副作用じゃないかと思ったりもする。
助け舟を出したことがないのに助け舟を求める心理はあり得るのかと考えると簡単に答えは出るだろう。
いくら自分への関心を追求しても得られる答えに重要度はない。他人からの関心もないのだ。
それなら他人へもっと関心を持つべきである。
何をしてもらいたいかじゃなく、何ができるかという態度を身につける方が実りはあるんじゃないか。
「自分って何だろう」と問う明確な答えの一つは「他人に興味がない自分」である。それは他人も同じなのだ。関心のない人へ関心はないのである。
答えを見出せない問いを延々と繰り返す心理に決着をつけたくなる。
人間は頭が良すぎてアクセルを踏みながらブレーキも踏むという厄介な生き物なのだと感じさせられる。