人間というもの: 印象操作

私たちは自動的に印象を作り上げていく。怖い話を聞くと柳の木も幽霊に見えてくる。

最近はテレビでの偏向報道や印象操作の問題も大きく指摘されるようになったことは喜ばしい事だ。
「テレビではね!」「テレビで言ってた!」「だってテレビが!」テレビは全て正しいことを言っていると思い込んでいる人が多かった。

それが最近では高齢であっても「テレビは嘘ばっかり」という人もだいぶ増えた。
「テレビでやってたから嘘かもしれんけど」とまでいう人もいる。

私たちはこれまでテレビで印象操作や常識を刷り込まれてきた。考えることをさせてもらえなかったのだ。

たとえば、政策の良し悪しよりも「好きか嫌いか」の話にすり替えられ、儲かるか儲からないかとか真実とは別の話をさも大切な話かのように思い込まされてきた。

しかし、面白いことにそのテレビによって目覚めさせられたのだ。
「自分で考えること」
「嘘か誠かはわからない」
「もしかすると」
といった熟慮する機会を与えられたのである。

「あんなに騒いでいたコロナって何だったんだろう」と多くの人が言う。
コロナに感染して治らないことが怖いのに、感染することが怖いことだと印象操作されたのだ。治る風邪ならこれまでと同じだ。

「コロナが怖い」といまだに大騒ぎしている人は一部に過ぎない。

「テレビがやり過ぎた」と気づいた人も多い。

ドラマを見過ぎで自分が主人公になった気分になりがちだが脇役にもなれないのが現実だ。
人生はそんなもんじゃない。
美男美女にもなれないし、そんな人も現れない。

空想と現実を混同させる印象操作に気をつけなければならない。

無駄な時間を過ごし要らぬ煩悶に悩むことになる。
「そうすることによって得るメリットとは何か」という質問をしながら考えることがメリットとなる。

印象操作によって私たちをどこへ連れて行こうとしているのかをよく考えると、相手の意図がわかるようになっている。

嘘の情報を与えようとする人と真実を伝えようとする人との違いを見分けることは難しいが、その背景やこれまでの言動や目的などを知ることは重要だ。

自分に何のメリットもないのに頑張っている人はおそらく真実の人ではないだろうか。