~才能と技術の判断~ 創作の系譜12
「わたし絵の才能ないから」
「わたし絵がヘタだから」
「わたし文章の才能ないから」
……
こんな事を平気で口に出来る人間のなんと多い事か。
「お前は才能云々やヘタウマを言える程にやってから言っているのか?」
と問い質したくなる。
多くの人は何一つ始めてすらいないで、
そんな事を平気で言う。
ふざけんな!
全ての人に創作なんてしろとは言わない。
総人口がシナリオを描くなんて馬鹿げている。
人は皆、どんな人でも一生に一冊の本が描けるなんて有り得ない。
だけれど、才能とかいうものは、
訓練の果てに初めて出て来る適正なのだ。
訓練を積める根気も才能の一つでもあるのだ。
技術の訓練を真面目に的確に行えば、
10段階の内の8までは、
どんなに適性が無くても辿り着ける。
10段階の10まで辿り着ければ適性があるであろう証拠であり、
技術が無くても10以上の魅力を惹き出せる、
創り手及び表現者は天才の可能性がある。
努力と言う言葉は、
“女の又に、力、更に力”であり、
それは出産が如何に大変であるかを物語る熟語だ。
(女偏の漢字が如何に多いか!女は偉大だ!)
努力とは強いられる労力であり、
好きでやる事ではない。
食う為以外に無理して努力する位ならば、
即刻止めてしまえ。
そんなのはちっとも楽しくないし無意味だ。
好きで楽しいこと事自体だけをやっているのに努力は無い。
例えばゲームで自分を強くするのは楽しいからでしょ?
(欲しい物や時間を得る為に、
好きで楽しい事をする為に、
不本意な労働で金を貯める努力や頑張りはあるが)
折り合いと言う言葉は諦める、妥協する様で嫌いな言葉だが、
見切りを付けて次へ行く為のステップとしては許せる言葉だ。
辛い事は責任が無い限り、
早々に切り捨てる事が自分の為だ。
責任がある時はキッチリとケジメを付けてから去ればいい。
大盛りを頼んで食い切れなかったら残せばいい。
注文をして無理ならば最悪キャンセル料か罰金を払えばいい。
手を付けたものの責任の対価を払えば、
往々に許されるし、自分にもリスクは返って来ているのだから。
半端な気持ちでヘンなモノをこさえたり、
惰性で続けて後悔するよりはよっぽどいい。
何もしないで初めから実力のある奴が天才だとか言われるが、
そんなものは全然違って必ず壁にぶち当たる。
レオナルド・ダヴィンチ、ミケランジェロ、
パブロ・ピカソ、アインシュタインのレベルで、
初めて天才だと言って許されるんだ。
多くの表現者たちは秀才なのだから。
秀才の中から僅かに天才が見出されるものだから。
手塚治虫先生だって結果的に神様に成ったけれど、
天才であった訳では無い。
死ぬまで全速力で突っ走り、
人並み外れた創作のたゆまぬ継続がそうさせたのだから。
初めから諦めない。
けれど嫌になって腐ったら、
そこで見切りを付けるのが大事。
“好きで楽しい事”は一生続けられれば最高だ!