触れる 撫でる
手で触れる事 撫でてあげる事。
それは人だけができる事。
手を手として使うのは人だけ。
サルは手で歩きもするから。
撫でてあげる事。
それが心地よくて、撫でられにくる動物も 人も。
抱っこされる赤ちゃんも。
その手から伝わるのは、想い。
手だけではなく
人は言葉で相手に触れる事もできる。
心の触れ合いと呼んだりもする。
私の自我は、自分の中にあり、また周辺にもある。
景色に心を奪われているときはそこへ、
逆に運転中でも景色が気にならないほど
自分と会話するときなどは内へ。
自我が強いとか弱いという認識は、
我が強いだけで、
まわりと触れて一心同体になってしまうようなものも
一つの自我。
だから、言葉のやり取りがなくても、
相手の纏う自我に触れあうこともできる。
空気読める的な事も同じ自我。
イライラが伝わるのもそれ。
ドイツで昔、孤児の赤ちゃんに対して、
肉体を満たす眠る、食事、排せつのお世話はするが、
触らない、話しかけない、笑わないという実験がされた。
結果、触れ合わないと、生きる栄養が与えられても、
97%は死んでしまったそうで。
ゲーテの緑の蛇のメルヒェンの話に、
洞窟の中で何が光よりも、
生き返るような心を輝かせる素晴らしいものはなんだ?
という問いに
対話だ と答えたというやりとりがある。
そう。誰かが喋ってくれることは、
目の前の世界が新しく開かれる事。
境界線は大切だけれど、
最初からシャットダウンせず
そうなんだね と受け止めたらそこから。
私たちは触れ合って生きている。
触れている時は触れられる。
触れるということは触れられている事に気づくこと
これがまた
ミクロコスモスとマクロコスモスの対極の話。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?