17作品目 バラエティ「日本怪奇ルポルタージュ」(テレビ東京)
どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。「淹れながら思い出したエンタメ」17作品目です。
今回は毎週木曜日深夜1時から放送中、テレビ東京のドキュメンタリー的バラエティ「日本怪奇ルポルタージュ」について書き留めておきたいと思います。
これを書いている現在(4月23日時点)では、4月11日放送分の「桐島聡は罪に泣いたか?」と4月18日放送分の「ネットミーム」の2本がTverで見逃し配信されています。ですので、主にこの2回分について書き留めておきます。
これを見て、まず、前提条件として、「ルポ」という略語で一般的な「ルポルタージュ」と先ほどこの番組を形容するのに何気なく使った「ドキュメンタリー」とは、どう違うのだろう、という疑問が浮かんできました。
と、いうわけで大きな違いは見つかりません。もう少し、詳しく違いを追ってみると、こんな記述を見つけました。
こう言われると、なんだか腑に落ちるような気がします。事実そのものを提示するのが「ルポルタージュ」、それに対して、制作者が取材対象になんらかの意図を含ませて、発信しているものが「ドキュメンタリー」である、ということです。
それを言われて納得するのが、この番組は、最後何にも残しません。「、ということがあるんだけど、あなたはどう?」という投げかけをして終わります。
報道番組ではないので、各テレビ局の立ち位置(テレ東だから日経の主義主張に準じているとか)やプロデューサーの意向が大きく関わることはありません。
それにしても何かも結論つけることなく、番組は終わります。
例えば、「桐島聡は罪に泣いたか?」という回では、今年の4月に49年の逃亡生活の末、死亡した全国指名手配犯の桐島聡氏をテーマに放送されました。
当時の学生運動の風潮や時系列、逃亡生活中の精神状態などを、ジャーナリスト、元公安、精神科医、臨床心理士など、いろんな角度の専門家にコメントを求めており、取材が非常に丁寧でした。
そこには、当時の学生運動を現代でどうみるか、という評価軸はなく、ただ、時代背景、当時の空気感だけが、事実として伝えられます。
本名を最後に述べた理由に関しては、桐島聡、という一人の人間として死にたいという願望、自分を捕まえることが出来なかった公安に対する勝利宣言、病状や高齢を加味したせん妄、後世に名を残すためのエゴ、など専門家がコメントをしていますが、番組はそのどの意見にも加担することなく、
で番組は終わります。
ただ、彼がどういう時代に爆破事件を起こし、晩年をどう過ごしていたか、という事実を淡々と並べ、専門家によるいくつかの違った意見を、どれ肩入れすることもなく紹介します。
面白いのは、この放送のタイトルが「桐島聡は罪に泣いたか?」という疑問文なところです。
内容は事実を並べ、専門家の意見を並べ、結論は何も出さないのに、タイトルは疑問形。
視聴者の私たちに答えを考えろ、と言わんばかりです。
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