meropen vanco

医師5年目/医系技官/SUMS/GRIPS 世の中はどうなってるのでしょうか。 five-years-old from doctor/public health officer/SUMS/GRIPS/how in the world??

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医師5年目/医系技官/SUMS/GRIPS 世の中はどうなってるのでしょうか。 five-years-old from doctor/public health officer/SUMS/GRIPS/how in the world??

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最近の記事

雑記 ウクライナ問題について

ウクライナ問題を私は日本人として静観することはできない。 ウクライナに起きていることは、今後日本に起きる可能性がある。より正確に言えば、この状況は台湾や尖閣諸島に起きる可能性がある。しかし、その仮想事態を考える前に、我々はふと立ち止まって考えるべきことがあると思う。国民国家とは何か。近代国家を成立させるための統治構造は果たして現代に必要なのか。そして日本を日本たらしめるものは何か。それを曖昧に議論したまま、ロシアがなぜ犠牲を払ってウクライナに侵攻するのか、そしてなぜ国際社会

    • ノンレム睡眠の奥底から目覚める夜明け前 太陽光線が突き抜けていく 眩い朝に向かって ムンバイの雑踏に君は何を思うか? Just before dawn, waking up from the deepness of non-REM sleep The rays of sunlight break through Towards the dazzling morning What do you think of the crowdedness in Mumbai?

      • 雑記 繰り返す

        同じ主題を繰り返す。そこに真新しさや斬新な手法はない。しかし、同じことを繰り返して述べることは重要である。それは剣道の素振りのようなものである。訓練であるとも言える。モーツァルトやベートーベンのソナタでも、長い楽章の中に主題は繰り返し出現する。それと同じことである。冗長であるかもしれない。退屈であるかもしれない。そもそも「同じ主題を繰り返す」という表現自体が間違いなく冗長である。 大事なことは繰り返して議論する価値がある。繰り返しの中に自分だけが気付く何かがあるかもしれない

        • 雑記

          平時の外交と緊急時の外交 ソフトパワーとハードパワー 医療は二面性を持っている ウクライナ問題から学ぶことは多い。しかし、技術革新が起こっても、本質的には国家と国家の権力闘争であることに変わりはなく、それはマキャベリやアウレリウスの時代から不変である。医療や健康は外交関係にどう影響するのだろうか。 diplomacy soft power/hard power medical policy affects soft power, but has partly do

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        • その他種々雑多なもの
          7本
        • 1本

        記事

          2021/09/12

          自分の生活をコンテンツ化できているか 土日の休みをどう過ごすか それができていない 地域医療構想に関する厚労省資料を読む アメリカは常に日本の教師であり反面教師である  データサイエンスやビッグデータを扱うエンジニアを集める それがどういう情報なのかを理解できるくらいの知識は持っておく必要がある これは車の例えと同じ 車のエンジンの機構やボディ剛性の計算方法などは知らなくても運転はできる プロフェッショナルであるならば、+αの知識は持っておきたい 議論やシステム

          部分最適より全体最適を 上から目線の政策論議はだめ 結局自己満足?

          ライカを買いたい

          ライカを買いたい 写真は撮らない だが興味がある モノクロ写真だ ライカは高い お金は手段であって目的ではない  ライカを手に入れる その手段がお金だ ライカの価値の判断? 宝の持ち腐れ? ライカを買いたい

          ライカを買いたい

          2021年9月5日のこと

          7時起床 実家で起きる 母は8時からバイトへ 実家は勉強ができる環境になく、だらだら過ごしてしまう 10時 電車で滋賀に帰る その前に伊勢丹でラルフローレンのスポーツコートを受け取り ああ、一度こういう格好をしてみたかった 値は張るが長く使えそうなもの 大事にしよう 15時まで読書 オルテガの『大衆の叛逆』を読む 大意は掴めてきたが、細かい記述、展開が分からない そもそも当時のスペイン人はどういう理解をしていたのか オルテガは歴史的文脈の中でどう受け取られているのか、が

          2021年9月5日のこと

          『何をやっている会社なんですか』と聞かれて一言で言えない会社は潰れる

          5時20分 起床 今日は外勤 遠い はるかに乗車 途中で大学生くらいの集団が乗ってきた 緊急事態宣言はどこへやら 今日は耳鼻科2例 今回は自分の負け 1例目は体格が大きく、声門ポリープで嗄声が出ていた 換気も難しく、抜管時も酸素化が落ち人を呼んだ 2例目は時間が長く、集中力が切れた 手術に連動するバイタル変動が少なく、集中できなかった 麻酔中に色々調べるのはやはりやめた方が良いのだが、バイタルをずっと見続けるのも厳しい 17時に返してもらい、大阪駅でとんかつ 夕方から

          『何をやっている会社なんですか』と聞かれて一言で言えない会社は潰れる

          おっちゃんがタバコ吸いながらバドミントンしてた

          6時起床  7時病院着 今日は縦隔腫瘍 全硬麻 硬膜外麻酔は自力で入った 骨に当たる方向を繰り返したが、角度を思い切ってつけてみる そもそも絶対に入るという気持ちが大切 術中の硬膜外麻酔はよく効いていた様子である が、術後抜管直後の嘔気が激しかった 結果論に過ぎないが、TIVAでやれば良かったかもしれない 民族によるPONVのなりやすさとかあるのだろうか 東南アジアから実習生として来た患者さんだった 異国の地で言葉も何も分からないのに手術させられて、そりゃまあ、大変です

          おっちゃんがタバコ吸いながらバドミントンしてた

          家庭の幸福は妻への降伏である by 安倍晋三

          6:00起床 待機中に電話がないことに焦りと安堵を感じる タクシーにて7:00前に病院着 タクシーは便利であることを改めて実感 その間にできることは何かを考えておかないと損 ここには英単語が来るのだけれど、だるくてやっていないのが自分の弱いところではある 午前は症例なし オルテガの大衆の叛逆を少し読む 難解な部分もあるが、言わんとすることはわかる 暇と退屈の倫理学に繋がるところもあるのではないかと感じる ここの自分が思うところは一度言語化したいなと考えるが、なかなか難しい

          家庭の幸福は妻への降伏である by 安倍晋三

          日曜日を過ごすということ

          日曜日はあまり好きではなくなった。研修医になった時から。どう過ごしていいかわからない。かといって、病院に行く、医学の勉強をするという気もなかなか起きない。 じゃあ何をする? 趣味という趣味もないから、ただ無為に時間を過ごす事が多く、家に引きこもりがちになってしまう。そして時間だけが過ぎていき、夕方ぐらいから月曜日のことを考えて憂鬱になってくる... そんな日曜日を繰り返してきた。 中学生や高校生の時は勉強をしていたし、それがそんなに苦ではなかった。月曜日に学校へ行くの

          日曜日を過ごすということ

          今日一日のこと

          人はそんなにすぐには変われない。周りの人の言葉に左右される。自分なりに少しでも先へ進む。 自分なりの行動のルールを作る。価値判断のルールを作る。それを貫く。

          今日一日のこと

          言語化するということ

          初期研修以来のこれでいいのか?というモヤモヤ感を、ようやく何か昇華させられそうな気がする。 これでいいのか?というのは、自分に対してもそうだし、現在行われている医療のありさまに対しても感じる。患者さんや治療に対して何も役に立っていない、一体これからどうするんだという自分自身に対するモヤモヤ感。きつい労働環境の中でみんな文句を言わず、今までこれでやってきたのだから、これで良いのだ、というような半ば諦めにも思えるような現状に対してのモヤモヤ感。 研修医や専攻医は、当然だが臨床

          言語化するということ

          今日は美術館に行った

          グッとくる作品があったのでその紹介. 紹介した作品は全て下の『国立美術館・所蔵作品検索』に収載されている.  三輪晁勢 『家』1954年 大きさは113.5×162.0cm. 大きい画面の中に太い線で縁取られた家々が並び立っている. 縁取られた黒い線や矩形に塗られた壁紙の並びが、モンドリアンのコンポジションを彷彿とさせる.  https://www.artpedia.asia/piet-mondrian/ 三輪晁勢とPiet Mondrianが活躍した時代は重複している

          今日は美術館に行った

          ノートを始めた理由

          僕は日本のある病院で専攻医の身として医療技術を学ぶ途上にいます. 日本の研修医、特に後期研修医 (専攻医・修練医と呼んだり、シニアレジデント senior resident、フェロー fellowというイカした呼び名もある) は、日々の業務や当直に追われ、その日その日の患者さんや手術のことを考えるので手一杯. もちろん、それが我々resident (文字通り病院の住み込みというわけだ) の至上命題であり、存在理由であり、第一義的な職務です. 救急や病棟の急変で貴重な症例を得て

          ノートを始めた理由