なんだか居心地がわるいとき
大見得を切っていてミスっちゃったとか、仲良く話している勢いで後ろにいる友達に「ねぇー!」って、声をかけたら、そこに全く知らない人が真顔でいた時とか。あとは、勢いよく走って電車に乗ろうとしたら手前でプシューと扉がしまった時とか。
この上なく、居た堪れない。でも、それをしたのは自分だから、自分からは逃げれないので居るしかない。なんという辱め。
そして、そこに責任が乗ってくると、グサリと周囲の空気が体に刺さってくる。その刺さり具合を感じているのも自分だから、それは感じるしかない。
んで、あー耐えられなーいってなってお酒とか、遊びとか、ゲームとか。
でも、それってなんの解決にもならないんだけど、済んでしまったことをどう料理しても、出来立ての感動にはもうならなくて、あくまでもチン。
「冷めたコーヒーあるけど、温め直そっか?」
「コーヒー淹れるけど飲む?」
の、大切にされる感の差ってのは、大きい。
でも、セカンドハンドに慣れてしまった私には、ちょっとどうでもいい方がピッタリきていて、ステキ過ぎるものはちょっと分不相応に感じてしまう。
だから、居た堪れない時には「そうだよねー、やっぱり私だもん…」と割と認めてしまうけれど、そうじゃない人にとってはきっと「ふん、こんなの時々起こることよ。私、失敗しないんで」と、私が思う私に近い方で、しっかりと落としてるんだろうなと。
そのどっちの自分に落とすかが、お酒とか遊びよりも、回り回って次回への健全な打開策な気がするなぁ。。。
自分を大切に、することかしら。
だ!