勝手に背負う系の私たち
キャロットケーキ、カフェラテ。室内から流れる音楽。スマホ。本は忘れた。この順番に気を移していく。キャロットケーキに戻る。
こだわりのあるカフェのマスターの、こだわりのある飲みもののつくり方の指導が耳に入ってくる。
はい、なるほど、そうなんですか?マスターの横にいる店員さんの相槌も耳に入ってくる。
やけに体積を占めてくる、静かなピアノ音楽。
私は短く髪を切り揃えた、彼女がそれを揺らしながら戻ってくる想像をする。
ふたり用の席に座り、懐かしいカフェにいる私。時間が経つほどに研ぎ澄まされて、もしかしたらあの物音が、ひょっとしてこのいらっしゃいませの向こうに。
どっちも違って、でもどちらものときに、背筋が少し伸びて、足の向きを揃える私をおもしろいと思う。
おもしろがっている間に本当に彼女はやってきて、座って、ついさっきの話の続きをする。
彼女が喋りながら下を向く、長い睫毛がびっしりと並ぶ。
そしてまたこっちを向く、彼女はちょうどこのふたり用の席分の、わたし用の大きさの声で喋る。
数え切れないほどの細胞でできあがっているんだなと思うとよく分からなくなって安心する私たちの「個人」、でもたしかにそのカップを包む小さな手で、あの映像を映したから私たちの目にこうやって同じものが届くんでしょう。
閉店時間です、と声をかけられる。会計を済ませて、足早に店を出る。外が暗くなっている。
車に乗り込んで、手を振り、アクセルを踏む、ぼんやりと運転がはじまる。
ふと脳に流れこんでくる、歌と、今日の1日の振り返り。
ここで息ができないなら、
海の底へ引っ越そうか。
シャッフルして選ばれた曲のさんこめだったかと思う。
まだ、海の底には引っ越さなくても平気だと思う。
ただその選択肢が、私たちにあることを忘れないように。
帰り道、車に乗りながらそんなことを考えた。
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