生活の安定とは
おはようございます。昨日に引き続き、朝寝起きで更新します。
生活が安定するってどういうことなんでしょうか。収入とか、愛情とか、色々人によって考えるところはあるかと思いますがまずはマズローの構造から考えてみたいです。
まずは生命の安定。とにかく、死ぬ心配がないって言う状態が最初になきゃいけないと思っています。そのためには、食と睡眠がいちばん大切かなと思います。混同しがちなのが、この欲求のあとに住宅保証とかの安定が出てくるので、正直言えばなんとか食べれてる、なんとか寝る場所がある、でも明日への保証はどこにもない。そんな状況でもまず食べれる、寝れる、死にそうになっていない、というところが必要かなと思います。
そしてそのあとはその食べれる、寝れる状態が安定しているということ。虐待とか重度の精神疾患っていうのは多分この辺に属していて、ネグレクト、身体的虐待があると寝る場所も食べる行為もできるけど、もし相手の逆鱗に触れるようなことがあればその保証はなくなっちゃうんですよね。そうなると、他人の顔色を伺うことを最優先して生きることになってしまう。相手の顔色より自分の気持ちを優先してもいいんだよ?と伝えてもそれができないのは、自分の気持ちより自分の生命のほうが大切だし、自分の生命を大切にするということは相手の機嫌を取るということ。そのように学習してしまったら、病的なその状況を打破するために自分だけの力じゃまず変えられないと思う。トラウマインフォームドケアが必要。
その次は自分の居場所があることで精神的に安定するということ。この辺も、精神疾患などが安定を阻害する可能性が高い。周りが認めていても強い認知の歪みがあったりすると素直に受け入れられなくなる。その歪みからまた人間関係の不安定が生まれてくる。最終的に「あの人めんどくさい人だよね」と仲間はずれにされてしまう。そして、その本人はその人がとった言動という「行為」がめんどくさいのであってその行為が無ければその人自身がめんどくさいということはないはずなのに「私はめんどくさい、他人に迷惑をかけてしまう人間だ」という認識に変わってしまう。躁から鬱へのエピソードとか、様々なパーソナリティ障害とか、発達障害の二次障害がこの辺に該当する。
この次は承認欲求。私の居場所で、私という人間が私という存在のまま認められたい。これに関して言えば、自己肯定感が低いと言われる人たちが該当する欲求になるのではないかなと思う。ここは、私の感覚だけで言うと努力と自分に対する正当な評価を繰り返すことだと思う。努力して、それがもし認められなくてもまだ努力して。そして社会的に認められる資格を取得したり、難関校に合格したり、出世したりすることでその所属するコミュニティから承認を得るという体感は得やすい。最も、承認欲求についても「努力した結果を認められたい」というものと「何も努力していないフラットな自分を認められたい」というものに分別できるのではないかと思う。化粧をした自分をきれいだと認められたいのが前者で、すっぴんの状態で認められたいのが後者だと感覚的に捉えている。
最後は自己実現、自己超越。これは自分が自分を超えていくという感覚であり、自分の将来像をしっかり見据えることができている状態であると思う。ただ、この自分の将来像をしっかり見据えるためには前提条件として所属する場所があり、その場所で誰かに認められているという実感があり、もっと根底に衣食住が安定しているという事実がある。
ただ、このピラミッドはいつだって壊れる可能性がある。例えば職場が急になくなると、自己実現どころか明日の生活の不安が見え始めてくる。この様な状態で「誰か私を認めて!」とはならないのかなと思う。
いずれにせよ、生活の安定には段階がある。私が他人の生活を安定に導こうとする時、まずはその他人がどの様な欲求が一番強くあるのか。マズローの欲求段階説に当てはめてどこにいるのか。そして、それを阻害する要因は何かをしっかりとアセスメントする必要があるかと思う。大体の場合は精神疾患かパーソナリティ障害、もしくはそういった診断はされていないがその様な状態にあることが一番の要因だと思う。私は医者ではないので薬を処方したり診断を下すことはできないが、その分その状態に対してどの様な解決方法があるのかとか、医者にうながして薬を処方してもらうとかなり楽になるだとか、その人のナラティブを理解して伴走者として生きることを選択するとか(お付き合いするとかその様な意味合いではない)、その様な支援をすることはできる。そして、それらは全て医者からの診断を元に支援を決めることはない。その人をカテゴライズすることのない、個別化の原則を保証するものでもある。
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