誰のための行いなのか
私がいつもチェックするのは、支援にしろ行為にしろ傾聴にしろ、それが誰のためのなんのための行為なのかということを振り返ることです。
去年の4月に成人年齢が18歳に引き下げられました。ということは、18歳から色々な権利が生まれるわけです。と同時に、守られる権利からは離れる訳です。ただ、大人(特に私のようなお節介な)から見た時にまだ自立するには難しいと感じる子がいる。今まで20歳まで守られていた人が、18歳で自立になってしまう。そういう側面もあるなぁと感じました。
特に感じていたのが未成年後見人の件について。高校卒業する前に未成年後見人の管理から離れて自分で財産の管理をする。重要な契約ができてしまう。何とかならないのかな、と考え法律に詳しい知人に聞いてみたのですがその人は「自立が早まって親から離れる権利を早くに持てるのはその子にとっていい側面もありますよね」と伝えてくれました。
難しいなぁと思いましたね。確かに。守られていることがその人にとって嬉しいのか、自分自身で失敗をするのがその人にとって必要なことなのか、そもそも危惧しすぎているのか、実際に起こってみないと分からないことに気をつかいすぎていた。
見方は人それぞれ、色んな人がいて社会は成り立っている。私が見ている世界を誰一人として実際に見ることが出来ないのと同じように、その人それぞれの世界を一番優先しないといけないと思いました。
ただ、その人がいつでも求めたい時に求められる存在であればいいのかな。