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スポーツという政治
こんにちは。
サッカー好きのITコンサルタント(仮)です。
早速、
本日のテーマ
スポーツと政治
なんか書籍みたいな題名になってしまいましたが、
これ以外に思いつかなかったので。
政治の話は詳しくないし、かなり個人的な偏見と思考の塊なので、その話しはしません。
ただスポーツという枠組みでならいくつか考えることや問題提起が出来るかなと思って書きます。
スポーツと政治の不可侵条約
実際に存在する条約ではありませんが、よーするにスポーツを政治利用してはいけませんよっていう考え方が世間一般というかスポーツ界には存在します。
ただ、昨今の若者の政治参画意識を鑑みると、
スポーツって政治に興味を抱く道具として使えないかな。
ってふと思ったんです。
そもそも、スポーツを政治利用してはいけないと言いながら米ソ冷戦時代にはモスクワ五輪、ロサンゼルス五輪で当時の政治事情をもとにボイコットしてるし、
国威の発揚の場として五輪やW杯が使われてきた事実だってあるわけで、
実質形骸化してはいるんですが。
でも逆にこういう歴史的事実をもとに学校の授業で政治を教えていくのって、
先生にとっても政治というコントロバーシャルなテーマをみんなが分かりやすいスポーツっていう文脈に置き換えてソフトに教えられるだろうし、
生徒にとっても分かりやすいだろうし。
スポーツで政治が語れる環境
ってスポーツを不自由にしてしまうんでしょうかね?
それともスポーツの価値を発揮させるんでしょうかね?
スポーツが「戦争の代理」にまでなってしまうと、スポーツの面白みを無くしてしまう不正(ドーピングなど)が横行してしまうけれど、
政策としてのスポーツや歴史としてのスポーツは割りと良いヤツなんじゃないかなーと思う。