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ゲームはなぜ面白い?

ゲームはなぜ面白い?


ゲームって基本面白いじゃないですか。

まあ「クソゲー」と呼ばれるようなゲームになると話はずいぶん変わってきますけども。

ちなみに筆者がプレイした中で一番印象深いクソゲーはWiiの「人生ゲーム」ですね。詳細はググれば出てくるので興味がある方は見て下さい。

なんとあのKOTY(クソゲーオブザイヤー)にも入選してたりしてなかったりしてます。

閑話休題。そんで近頃「ゲームはなぜ面白いのか」ってのを考えるようになったんですよ。

自分達の身の回りには無数の事柄があるのになぜゲームは人を引き付けるのか。

なぜ勉強や家事よりゲームのほうが面白いのか、とね。

これを言葉にするのはなかなか難しい。そもそも面白さってのを言葉にするのがヒジョーに難しい。

ギャグの面白さを説明するとそのギャグの面白さが失われるってのあるじゃないですか。あれから分かる様に面白さってのは言語からはかーなり遠い存在なわけです。

でもなんとか説明したい。そんなわけで色々調べて(=ググって)みたところ、何とかそれっぽいのが見つかりました。イエーイ。遺影でイエーイってね。うん。

ごめんなさい。今思ったけどこの駄洒落不謹慎すぎんか?そもそも駄洒落自体意味不明なシチュエーション多くない?なんで布団が吹っ飛ぶんや、と。なんでアルミ缶の上にミカンを置くんや、と。

ちなみに今日(7/16)の駄洒落ランキング1位は「地元区長は痔も特徴」らしいです。自分の痔が区民に知れ渡ってる区長あまりにも可哀想すぎんか。

閑話休題。という訳で次項で「ゲームの面白さ」について説明していきたいと思います。

 

 

 

(一人用)ゲームの面白さ


ゲームとは、「娯楽の核」を用いて「解決可能な課題」を「持続的に供給」する装置である。

この一文が「ゲームの面白さ」を表すのに最もふさわしいように感じます。また、

「娯楽の核」とは「意思決定とは無関係にそれに戯れるだけで快感を感じるもの」「意思決定」とは「ある状況において複数の代替案の中から最適解を求めようとする行為。複数の選択肢の中から、これが最善であろうと自らが思う選択をする事」

だそうです。ちょっと難しい言葉使いすぎじゃないですかね。

ちなみにこの文章は

ゲームの魅力を支える「娯楽の核」 - 未来私考

から取ってきました。面白いから364364

要は「戯れるだけで快感を感じるもの」を使って「自分がギリギリ解決できる課題」を「解決し続けることができる」からゲームは面白い訳です。

いやそりゃ面白いわ。面白く無い訳がないんですよそんなん。「人生は神ゲー」とかほざく輩にこいつを突き付けてやりたいですね全く。人生はクソゲーなんだよなぁ…

閑話休題。次項でこいつを対戦ゲーム(PvP)に当てはめて考えていきます。

 

 

 

対戦ゲームにおける「ゲームの面白さ」


ゲームとは、「娯楽の核」を用いて「解決可能な課題」を「持続的に供給」する装置である。

この基盤は前項と変わらんけど対戦ゲームは「娯楽の核」の中に対人要素も入ってくるんですね。

「他人とのコミュニケーション」とか「他人を打ち負かす快感」とか「他人と協力する快感」とか。マリオパーティを思い浮かべると分かりやすいかな?

これは強いですね。人間は「シャカイテキドーブツ」らしいんでただでさえ楽しいゲームにそんな要素がついて来たらそりゃあ面白く感じるに決まっているだろうと。

しかーし!世の中そんなにうまい話ばかりじゃあない。対戦ゲームでは「娯楽の核」を用いて「解決可能な課題」を「持続的に供給」する事がヒジョーに難しくなるんです。

なぜかって?対戦相手が「人間」だからです。相手の人間はゲーム内のキャラ・ステージとは違って対戦相手の力量に応じてプレイを変えるなんてことは殆どありません。よってゲームに勝利し続ける「勝者」とゲームに負け続ける「敗者」が生まれてしまいます。

これじゃ「敗者」側は「娯楽の核」を用いても楽しめないですね。これは友達同士のスマブラを思い浮かべると分かりやすいんじゃないかな?

ちなみに自分は「敗者」側でしたね。4人プレイしてて自分がいっちゃん先に落ちて他の3人のプレイをずーーーっと見てる…みたいな状態が何ゲームも続くんですよ。

あれは控えめに言って辛い。多分3人側もそれなりに気まずかったんじゃないかな。だから未だにスマブラは余りすこれないです。動画見るのは好きなんですけどね。

閑話休題。まあこれはオンラインであれば同実力帯の人とマッチングさせることで解決するので些細な問題です。しかしもーひとつ問題があるんですねハイ。これは次項で話しまーす。

 

 

 

尻切れトンボ


ってな感じでこっから

「自己・社会的環境による自己への解決不可能な課題の提示」
「試行回数増加による飽きからくる娯楽の核の変質」
「ランダム要素の扱いからみるポケモンがストレスフルなゲームである理由」
って流れにして

「ポケモンの娯楽の核には「愛着」がふさわしい⇒自分でPTを組んでそいつに愛着を持って「自己のPTの成長」という目標を立てて解決可能な課題を自己に提供し続けるのが良いのではないか?」
って結論でシメようと思ったんすよハイ

だけどこれ見返してみるとただの「レートに拘りすぎるのは辞めよう」「他人のPTの丸パクだけでひたすらレート回すのは良くないから辞めよう」っていう自分の思想の押し付けなんですよね…

しかもここら辺の文章には何の根拠もない自分の思い込みがかなり多く入ってるし 

んで憶測&謎理論で他人の思想を否定して自分の思想を押し付けるのは自分でマイナーポケ使って「俺は厨ポケ使っても楽しくないからお前も厨ポケ使ってて楽しくないだろ?構築にはオリジナリティが大事だ!テンプレ厨パ使いは思考停止してる!」ってほざくのと同レベルの話だということに気付いてしまったのでもうこれ以上書く気が失せてしまったんですね

無論そんなもんがまかり通るわけがないんでこの記事ごと葬り去ろうかとも思ったんですが前半部分はまあ間違ったことは書いてないんじゃね〜かな〜って事で日記とゆー形で公開しようと思った次第です

変な終わり方になってしまってもーしわけない

 

 

 

最後に


近頃コラム的な記事ばっか書いてるから次は単体考察書きたいな…

 

 

おしまい